第35話 地図を調べに行ったら、洞窟に謎のモフモフが住んでいた
「閣下、少しよろしいですか」
朝の執務室で、ヘンドリックが静かに近づいてきた。
「何だ」
「ドラゴンの件なのですが……トールから改めて打診が来ておりまして。空飛ぶ宮殿の魔石動力化の実験に、試験的に一頭だけでも貸してもらえないかと」
俺は少し考えてから答えた。
「断れ」
「……やはりそうなりますか」
「イレーネが嫌だと言っている」
「それだけではございませんよね、閣下」
ヘンドリックが静かに言った。
俺はしばらく黙ってから、窓の外を眺めた。
「……ヴィルヘルムが兵を集めている。目的はまだわからないが、俺がこれまでやってきた戦法を研究している可能性がある」
「土壁・石ころレールガン・ドラゴン檻落とし……全部ですか」
「ああ。向こうが同じことをやってくるなら、こちらは別の手を用意しないといけない。ドラゴンを分散させて各個撃破されるのは愚の骨頂だ。最大戦力は手元に集中管理が鉄則だ」
「周囲を囲んで包囲殲滅は?」
「リスクが高すぎる。包囲する側が逆に各個撃破される可能性がある」
ヘンドリックが深々と頭を下げた。
「……閣下の用意周到さには、毎度頭が下がります」
「面倒くさいから手元に置いているだけだ」
「はい。そういうことにしておきます」
そこで一旦会話が途切れた。俺はふと、今朝のイレーネの言葉を思い出していた。
『エルナも少し大きくなりましたし、ドラゴン以外の、もう少し小さくてふわふわしたモフモフのペットが欲しいですわ』
(イレーネの要望だ。探してやらねばならない)
「それとヘンドリック、一つ頼みたいことがある」
「はっ」
「あの地図、そろそろ調べようと思う」
ヘンドリックが目を丸くした。
「……深淵の狂王の地図でございますか?」
「ああ。ずっと放置していたが、そろそろ気になってきた」
「かしこまりました。すぐに書庫から……」
「俺が直接行く」
「え? 閣下が直接?」
「ついでがある」
(イレーネがドラゴン以外のモフモフがほしいと言っていた。探してくるついでに地図の場所を見てくる)
「……かしこまりました。護衛をつけます」
「一人でいい。面倒くさい」
地図に記された場所は、連邦の外れにある山岳地帯だった。
ゼーフェルト王国に近い場所だ。
俺は単独で……といっても、ヘンドリックが「最低限これだけは」と送り込んできた護衛の騎士を数名連れて、山道を歩いていた。
「閣下、本当にこの先に何かあるのでしょうか」
「地図にはそう書いてあった」
「深淵の狂王の地図、でございますよね……」
護衛騎士たちが顔を青ざめさせている。
「怖いなら帰っていい」
「い、いえ! 参ります!」
険しい山道を登り続けると、岩肌に隠れるように、洞窟の入口があった。
深淵の狂王の地図には、この場所に印が記されていた。
「……ここか」
俺は懐から「サルでもわかるスキル活用」を取り出し、地図と見比べた。
間違いない。ここだ。
洞窟の入口は狭いが、中は広くなっているらしい。奥から微かに、温かい魔力の気配がする。
「閣下、中に何かいるようです。魔力反応が……」
「ああ。感じる」
俺は雷剣ドンデルに手をかけながら、慎重に洞窟の中へと入っていった。
洞窟の壁には、古代文字で何かが刻まれていた。
「サルデ・モワ・カル……」
深淵の狂王の名前だ。
(やはりここは、あの本と関係がある場所か)
奥に進むと、小さな祠があった。
石造りの質素な祠だが、魔力の密度が異常に高い。何百年……いや、何千年もの間、魔力が蓄積され続けてきた場所だ。
祠の前に、何かがいた。
白い。
丸い。
綿菓子のように、ふわふわとした毛玉が、祠の前にちょこんと座っていた。
子猫ほどの大きさ。目だけがぱっちりと輝いている。金色の瞳だ。
「……わんこ?」
護衛騎士の一人が、思わず呟いた。
毛玉がその声に反応して、こちらを向いた。
次の瞬間。
毛玉から、凄まじい高密度の魔力の波が放出された。
「ひっ!?」
護衛騎士たちが吹き飛んだ。壁に叩きつけられ、そのまま白目を剥いて倒れ伏す。
強大すぎる魔力にあてられ、自分たちの魔力を根こそぎ持っていかれたのだ。
かつて呪剣ドンデルに触れた近衛騎士たちと同じ、許容量オーバーによる強制気絶である。
毛玉がゆっくりと立ち上がり、俺を正面から見据えた。
小さいのに、その存在感は圧倒的だ。
(これ……幻獣か? いや、それ以上か)
毛玉の金色の瞳が、俺をじっと見つめている。
威嚇している。ここから出ていけ、という意思が明確に伝わってくる。
俺はゆっくりと前に出た。
毛玉がさらに魔力を高めた。
(やるか)
俺は魔力を練り上げた。底なしの、規格外の魔力を。
毛玉が一歩前に出る。俺も一歩前に出る。
二つの魔力がぶつかり合った。
洞窟全体が震えた。
一秒。二秒。三秒。
毛玉の金色の瞳が、わずかに揺れた。
(こいつ、俺の魔力量に驚いている)
十秒後。
毛玉がゆっくりと頭を下げた。
降参のポーズだった。
(……勝ったか)
毛玉がとことこと俺の足元まで歩いてきて、俺の足に頭を押し付けた。
触ると、静電気のような魔力がビリッと走った。しかし痛くはない。
(……なんだこれ、めちゃくちゃ柔らかいな)
俺は毛玉をそっと抱き上げた。
軽い。そして温かい。
金色の瞳が俺を見上げている。
(イレーネが喜びそうだ)
「お前、名前はあるか」
毛玉が小さく鳴いた。
(ないか。まあ、イレーネが決めるだろう)
俺は毛玉を懐に入れ、気絶した護衛騎士たちを起こしながら、洞窟を後にした。
祠の壁に刻まれていた古代文字が、出口の光の中で一瞬だけ輝いた気がした。
王城に戻った俺を出迎えたイレーネが、俺の懐から顔を出している毛玉を見て、目を丸くした。
「……旦那様、それは何ですの?」
「お土産だ」
「お土産……?」
俺は毛玉をイレーネに手渡した。
毛玉がイレーネの顔を見た瞬間、金色の瞳が細くなった。
そしてイレーネの胸元にすりすりと顔を埋めた。
「まあっ! なんて可愛いのかしら! ふわふわですわ! チュッ!」
「いや、奥方様、それに口づけするのは……」
護衛騎士が青い顔で止めようとした。
「なんですの?」
「そ、それは……幻獣の中でも最上位の神獣クラスの存在で……かつて大陸を三つほど消し飛ばしたと伝わる……災害指定の……」
「まあ! それでこんなにふわふわなのですわね! ますます可愛いですわ!」
「奥方様が話を聞いてくださらないっ……!」
毛玉がイレーネの腕の中で、満足そうに目を細めている。
ヘンドリックが青ざめた顔で俺に近づいてきた。
「閣下……あれは本当に」
「知ってる」
「災害指定の神獣でございますよ?」
「知ってる」
「なぜ連れ帰ってきたのですか」
「イレーネが喜んだだろう」
ヘンドリックが天を仰いだ。
「閣下……」
「それと」
「はっ」
「あれがいれば、イレーネとエルナの安全は保障される。俺が戦場に出ている間も、あれが妻子を守る」
ヘンドリックが固まった。
「……閣下は、それを狙って」
「洞窟で見つけた時からそう思っていた。ドラゴンは戦力として集中管理する。妻子の護衛は別の手を用意する。それだけだ」
「……用意周到にもほどがございます」
「面倒くさいから一度に解決しただけだ」
「はい。そういうことにしておきます」
フロリアンが遠くから眺めながら、ミレイユに小声で言った。
「……義兄上、本当にすごい人だな」
「ええ」とミレイユが静かに頷いた。「ゼーフェルトでクラフト部隊が来てくれた時から、そう思っていましたわ」
イレーネが毛玉を抱きながら、俺に向かって言った。
「旦那様、この子に名前をつけますわ!」
「ああ」
「ワタ、にしますわ! だってこんなに綿菓子みたいにふわふわですもの!」
「……ワタか」
護衛騎士たちが「神獣にその名前は……」と絶句している。
毛玉……ワタが、イレーネの腕の中でふわっと一回転して、また丸くなった。
(気に入ったようだ)
(まあ、これでイレーネとエルナは安全だ)
「旦那様、ありがとうございますわ! チュッ!」
「だから突然するな」
「ふにゃ……」
ワタがイレーネの腕の中で、きゅっと小さく鳴いた。
エルナがそれを聞いて、きゃっと声を上げた。
(よし。妻子の守護者は確保した)
(あとは深淵の狂王の祠に何が刻まれていたか、ヘンドリックに調べさせるか)
(……まあ、急がなくていいか。エルナが歩けるようになってからでいい)




