第31話 引きこもっていたら、トールが面倒くさいものを見つけてきた
エルナが生まれて二週間が経った。
俺の日常は完全に確立されていた。
朝:エルナを抱いてイレーネと朝食。
昼:エルナを抱いてイレーネと昼寝。
夕:エルナを抱いてイレーネと散歩。
夜:エルナを抱いてイレーネと就寝。
完璧だ。
「旦那様、また抱いておられますの?」
「何か問題があるか」
「エルナもそろそろお腹が空く時間ですわよ?」
「……わかった」
俺はエルナをイレーネに渡した。エルナがきゃっと声を上げた。
(可愛い)
親バカの自覚は十分にある。しかし止められない。
そんな平穏な午後に、改良した通信魔道具が光った。
トールからだ。
『閣下、ご報告があります』
『何だ』
『ゼーフェルト王国に入りました』
俺はエルナの頬をつつきながら返信した。
『どんな状況だ』
しばらく間があった。
『……想像以上に、ひどい状況です』
トールの報告はこうだった。
ゼーフェルト王国は山岳地帯の小国だ。険しい山々に囲まれた豊かな国だったが、数年前からヴィルヘルム率いるドラゴンライダー部隊に攻められ続けていた。
山岳地帯の地形を利用して必死に抵抗していたが、ドラゴンの空からの攻撃には対応しきれなかった。王城は半壊。農地は焼かれ、村々は荒廃している。民衆は食糧不足で疲弊しきっていた。
ドラゴンが突然引き上げたのは、コルネリスがドラゴンを全部ペットにした結果だが、ゼーフェルトの人々にはその理由がわからない。ただ突然ドラゴンが来なくなり、帝国の支配も緩んだ。しかし疲弊した国を立て直す力は残っていない。
『王城はどうなっている』
『半壊しておりますが、人が住める状態です。ただ……』
『ただ?』
また間があった。
『閣下、王族の生き残りらしき人物が現れました』
『どんな人物だ』
『若い女性です。歳は二十歳前後かと。名乗りはしませんでしたが、明らかに只者ではありません。俺たちクラフト部隊を見て最初は警戒していましたが、話をしたら少しだけ心を開いてくれました』
『何を話したんだ』
『ウィレム連邦のことを話しました。閣下のことも。道を作って水路を引いて、食糧問題を解決したこと。帝国を追い払ったこと。そしたら……泣いていました』
俺はしばらく黙った。
(王族の生き残りか)
(数年間、あの状況で生き延びていたのか)
『名前はわかるか』
『ミレイユと名乗りました。それ以上は教えてくれませんでしたが……ゼーフェルト王家の紋章が入った指輪をしておりました』
(王女か、あるいは王族の縁者か)
『いかがいたしましょうか、閣下』
俺はエルナの小さな頭を撫でながら、考えた。
(面倒くさいな)
(しかし放っておくのも)
(……放っておけないな)
『とりあえずクラフト部隊で道と水路を作れ。飯も食わせてやれ。農地の復旧も手伝ってやれ』
『かしこまりました!』
『そのミレイユという人物には、危害を加えるつもりはないと伝えてくれ。ゼーフェルトの人々の生活が落ち着くまで、クラフト部隊が手伝うと』
『……閣下、それはつまり』
『ついでだ。どうせ通る道だし』
トールからの返信が少し遅れた。
『……かしこまりました。ありがとうございます、閣下』
(礼を言う話じゃないんだが)
イレーネがエルナに乳を与えながら、俺の顔を見ていた。
「旦那様、何かありましたの?」
「帝国が攻めていた国があってな。かなり疲弊しているらしい」
「まあ……」
「トールたちがついでに復旧を手伝うことにした」
「ついでですわね」
「ついでだ」
イレーネがふふっと笑った。
「旦那様のついでは、いつも誰かを救ってしまいますわね」
「大げさだ」
「……ミレイユという方、どんな方なのかしら」
「さあ。若い女性らしいが」
「王族の生き残りですわよね? きっと長い間、大変な思いをされていたのですわね」
俺は少し考えてから、通信魔道具を手に取った。
『トール、もう一つ聞く』
『はっ、何でしょうか』
『そのミレイユという人、今どんな顔をしている』
またしばらく間があった。
『……安心した顔をしています。クラフト部隊が水路を引き始めたら、村人たちと一緒になって手伝い始めました。泥だらけになりながら』
(そうか)
『わかった。引き続き頼む』
『ははっ!』
俺は通信魔道具を置いた。
一方その頃、帝国では。
カールがようやく帰国していた。
久しぶりに帰った帝国の宮殿で、カールを出迎えたのは弟のヴィルヘルムだった。
「兄上、お帰りなさいませ」
「ただいま。随分と顔つきが変わったな、ヴィルヘルム」
「兄上がいない間、色々ありましたので」
「そうか。まあ、俺がいない間よくやってくれた」
「……兄上は、随分と長くご不在でしたね」
ヴィルヘルムの声が、わずかに低くなった。
「あのスパとやらが、そこまで良かったのですか」
「最高だったぞ。お前も一度行ってみろ」
「……結構です」
ヴィルヘルムがカールをじっと見た。
切れ長の目が、何かを計算している。
「兄上、一つお聞きしてもよろしいですか」
「何だ」
「公爵コルネリスという男……兄上は、どう見ておられますか」
カールがしばらく考えてから、あっさりと答えた。
「怖い男だよ」
「……怖い、ですか」
「ああ。でもそれ以上に……面倒くさがりで、お人好しだ」
「面倒くさがりとお人好しが、なぜ怖いのですか」
「面倒くさいから最小限の力で最大の結果を出す。お人好しだから、困っているものを放っておけない。その二つが組み合わさると……気づいたら大陸が変わっている」
ヴィルヘルムが黙った。
「逆らうな、とは言わない。ただ……あの男を怒らせるな」
「……妻のかすり傷一つで、帝都を石の雨で埋め尽くした男ですからね」
「そういうことだ。さて、俺は風呂に入る。帝国の風呂は狭くていかんな。早くスパを作ってくれ」
「……兄上は本当に変わりませんね」
ヴィルヘルムが小さく息を吐いた。
その目に何が宿っているのか、カールには読めなかった。
王城に戻った俺は、エルナを抱きながらイレーネに言った。
「なんか面倒くさいことになりそうな予感がする」
「何がですの?」
「帝国の次男、ヴィルヘルムという男がいるんだが……カールが馬が合わないと言っていた」
「野心家なのですわね」
「そうらしい。ドラゴンを返してもらった屈辱を、どう受け取っているかが気になる」
「旦那様、心配しておられますの?」
「心配というより……面倒くさいことになる前に、何とかしたいな」
「旦那様らしくないですわ」
「そうか?」
「いつもは面倒くさいことが来てから対処されますもの」
「……それもそうだな」
俺はエルナの小さな手を握りながら、ぼんやりと考えた。
(ヴィルヘルムか。どう出てくるんだ)
(まあ、来たら来た時だ)
「旦那様」
「何だ」
「今日のエルナ、笑いましたわよ? 初めてですわ」
「……本当か!?」
「ええ! 旦那様が抱っこした時に!」
俺は慌ててエルナに顔を向けた。
エルナがぱたぱたと手足を動かしている。
(笑った。俺に向かって笑った)
(……駄目だ、これは)
「旦那様、泣いておられますわ」
「泣いてない」
「泣いておられますわよ?」
「……泣いてない」
ヴィルヘルムのことは、また後で考えることにした。
今はこれで十分だ。




