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第30話 引きこもっていたら、大陸の経済が変わっていた

 エルナが生まれてから、俺は完全に引きこもっていた。

 完全に、だ。

 執務? ヘンドリックに任せてある。

 政務? イレーネが報告書を一秒で読んで処理している。

 来客? リーヌが全員追い返している。

 クラフト部隊? トールが仕切っている。

 帝国? カールが帰国した。あとはトールたちが何とかする。

 俺がやることは一つだ。

 エルナを抱いて、イレーネの隣で、ただひたすらにのんびりすることだ。

「旦那様、あーんですわ」

「……ありがとう」

「エルナ、見ていますわよ? お父様がご飯を食べるところを」

 エルナが小さな手をぱたぱたと動かしている。

(……可愛い)

(本当に可愛い)

 俺は完全に親バカになっていた。自覚はある。しかし止められない。


 問題が一つあった。

 報告が来る。

 毎日来る。

 ヘンドリックから。トールから。連邦各地の官僚から。帝国からもカール経由で来る。

 最初は書面で来ていたが、書面だと往復に時間がかかる。急ぎの案件は伝令が走ってくる。王城まで伝令が走ってくるのだ。エルナが昼寝している時に大きな音を立てられたら困る。

「……何とかならんか」

 俺はある日、ぼんやりとそう呟いた。

「何がですの、旦那様」

「報告が毎日来るのが面倒くさい。もっと手軽に連絡が取れればいいんだが」

「通信魔道具がございますわよ?」

「あれは使えない。一文字送るのに数人の魔力がいるだろう。費用対効果が悪すぎる」

 通信魔道具は軍でも使われているが、実用性は低い。魔力消費が莫大すぎて、緊急時にしか使えないのだ。普段の連絡に使えるレベルではない。

 俺はしばらくエルナの顔を眺めながら、頭の片隅で考えていた。

(通信魔道具……確か、魔力を直接込めて文字を転送する仕組みだったな)

(あれ?)

 ふと、例の本の内容が頭をよぎった。

『魔道具の動力源として魔石を使うことで、術者の魔力への依存を大幅に削減できる。魔石は魔力を安定して供給する天然の動力源であり、適切に組み込むことで魔道具の効率は飛躍的に向上する』

(……そうか。今の通信魔道具は人間の魔力を直接使っているから消費が激しいんだ。魔石を動力源にすれば……)

「旦那様? 難しいお顔をされておられますわ」

「ちょっと待ってくれ。何か気づいたかもしれない」

 俺はエルナをイレーネに渡し、王城の書庫から通信魔道具を一つ借り出してきた。

 分解してみた。

(なるほど。術式の組み方が非効率だ。魔力を一気に大量投入することを前提に設計されている。これを魔石の安定した少量供給に合わせて組み直せば……)

 俺はレベル1の付与魔法で、術式を少しずつ書き換え始めた。

 魔石を動力源として使えるように。

 魔力の流れを細く、安定したものに変えるように。

 一時間ほどかけて、手を加えた通信魔道具が完成した。

「……試してみるか」

 俺は魔石を一つはめ込み、ヘンドリックの持つ通信魔道具に向けて文字を送ってみた。

『聞こえるか』

 数秒後、返信が来た。

『聞こえます閣下!? これは……魔石一つで動いているのですか!?』

「……動いた」

 俺は少し驚いた。

 思ったより簡単にうまくいった。

(魔石の品質を上げれば、もっと安定するな。複数の魔石を組み合わせれば長距離でも……)

「旦那様、どうなりましたの?」

「動いた。魔石一つで通信できるようになった」

「まあ!」

「ただ魔力食いは相変わらずだ。魔石の消耗は早い。でも人間が魔力を使わなくていい分、実用レベルには達した」

「……旦那様、それはつまり」

「誰でも使えるようになった、ということだな」

 イレーネがしばらく黙った後、静かに言った。

「旦那様……それは、大変なことですわよ?」

「そうか? 俺はただ面倒くさかっただけだが」

「魔力がない人でも通信できるようになるのですわよ? 商人も、農民も、兵士も……みんなが離れた場所と連絡を取れるようになるのですわ」

(……あ)

 言われてみれば、そうだ。

 今まで通信魔道具は、大量の魔力を持つ魔法使いにしか使えなかった。だから軍の緊急連絡にしか使われていなかった。

 しかし魔石で動くなら話が違う。魔石さえあれば誰でも使える。

(それは確かに、色々変わるな)

「……まあ、俺はただ面倒くさかっただけだ」

「旦那様のついでは、いつも大陸を変えてしまいますわね」

「大げさだ」


 翌日、ヘンドリックに改良した通信魔道具の設計図を送った。

 三日後、ヘンドリックから返信が来た。

『閣下、大変なことになっております』

『何がだ』

『魔石の需要が爆発しております。採掘業者への発注が殺到し、魔石の価格が三倍に跳ね上がりました。さらに魔物討伐による魔石回収の需要も急増し、冒険者や討伐隊の依頼が激増しております』

(そこまで波及したか)

『経済にはいい影響があるか』

『はい。魔石の取引が活性化し、連邦全土の商業が動き始めております。帝国からも魔石の取引を求める打診が来ております』

(カールのやつ、抜け目ない)

『帝国からの魔石取引はヘンドリックに一任する。うまいことやってくれ』

『かしこまりました。……ところで閣下、一つご報告があります』

『何だ』

『トールたちが帝国に向かう途中で、興味深い情報を掴んできたようです。帝国がかつて支配していた国があるとのことで……ゼーフェルト王国と申します』

 俺はしばらく考えた。

(そういえば、帝国はダルム公国以外にも国を支配していたはずだったな)

『どういう状況なんだ』

『それが……トールたちも現地の情報がほとんど掴めておりません。帝国支配下に入ってからかなりの年数が経っており、今どうなっているか把握できていないとのことで』

(面倒くさいな)

『トールに現地を見てきてもらえるか。無理はしなくていい。ついでで構わない』

『かしこまりました。トールに伝えます』

 俺は通信魔道具を置き、エルナの方を向いた。

 エルナが小さな手を俺に向かって伸ばしていた。

「……待ってろ、今抱いてやる」

 俺はエルナを抱き上げ、その小さな温もりを感じながら、ぼんやりと考えた。

(ゼーフェルト王国か。どんな国なんだろうな)

「旦那様、何か考えておられますの?」

「いや。なんでもない」

「またついでで何かやらかしそうなお顔をしておられますわ」

「やらかさない」

「……本当に?」

「……たぶん」

 イレーネがくすくすと笑った。

「旦那様のたぶんは、いつも大変なことになりますわね」

「ならないかもしれない」

「……なりそうですわ」

 エルナがきゃっと声を上げた。

 二人して娘の顔を覗き込む。

(まあ、ゼーフェルトのことはトールに任せた。今は目の前のことだけ考えよう)

 窓の外では、改良された通信魔道具を手に走り回る伝令兵の姿が消え、代わりに王城の各部署で小さな魔石の光がぽつぽつと灯り始めていた。

 大陸の経済が、またしても静かに、しかし確実に動き始めていた。

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