第27話 王城に落ち着いたら、妻が俺の知らないところで色々やっていた
公爵叙任式から数日が経過した。
俺とイレーネは王城の一角に用意された専用の居室に落ち着き、ようやく本当の意味での休息を得ていた。
ヘンドリックは連邦の政務を仕切るために先にベルク領へ戻っており、王城にはレオナルト陛下とマルガリータ王妃、そしてリーヌとファンクラブの令嬢たちが残っている。
(静かだ)
俺はイレーネが昼寝をしている隣で、窓の外を眺めながらぼんやりとしていた。
お腹が随分と大きくなったイレーネは、最近よく眠る。それでいい。たくさん寝て、たくさん食べて、元気な子供を産んでくれればそれだけで十分だ。
(……ここで産んだ方がいいかもしれないな)
もともとはベルク領に戻ってから出産する予定だったが、考えてみれば王城の方が設備も人手も整っている。マルガリータ王妃も近くにいる。何より、移動のリスクを考えると、お腹が大きくなった今から長距離を移動するのは避けたい。
(ヘンドリックに伝えておくか)
書類を手に取ろうとした瞬間、廊下からリーヌの声が聞こえてきた。
「奥方様、旦那様、最近上に立つ者の自覚が出てきておられますわね。言葉遣いも随分と変わられましたし」
(……俺の話をしているのか)
俺は思わず手を止めた。
「そうなのよ~! わたくしが少し申し上げたら、旦那様ったら素直に聞いてくださって! 嬉しかったですわ!」
(イレーネ、起きていたのか)
「奥方様がご指導なさったのですか」
「ええ。上に立つお方がしっかりした言葉遣いをされていると、部下の方々が安心して動けますでしょう? 旦那様もそれはそうだな、とすぐ納得してくださいましたの」
「さすが奥方様ですわ」
「ふふっ。でも正直、あんなに素直に聞いてくださるとは思っていませんでしたわ。少し拍子抜けしてしまいましたの。旦那様ったら普段はあんなにサボることしか考えていらっしゃらないのに、こういうところだけ――」
「こういうところだけ、何だ?」
「――っ!? だ、旦那様!? いつからそこに!?」
俺が廊下に顔を出すと、イレーネが目を丸くして固まっていた。リーヌが「あらあら」と言いながらそっと視線を逸らしている。
「今の最初から全部」
「ぜ、全部っ……!?」
イレーネの顔が耳まで真っ赤に染まった。
「お、お聞きになっていたなら早くおっしゃってくださればよかったのに……! わたくし、その、聞かれているとは思わず……!」
「聞いていたのはお互い様だろう。お前も随分と俺のことを話していたじゃないか」
「そ、それは……!」
イレーネが言葉を詰まらせた瞬間、俺はすっと近づいた。
そのままイレーネをそっと抱きしめた。お腹が大きいから、加減しながら。
「……ありがとな。俺のことを考えてくれて」
「っ……だ、旦那様……」
「お前が言ってくれなければ、俺はずっと後方支援兵の口調のままだったな」
「……そんなことは……ございませんわ……旦那様は……」
「チュッ」
「――ふにゃぁっ……!」
イレーネが完全に蕩けた。
俺の胸の中で、国一番の美姫がくたくたになりながら「ずるいですわ……不意打ちは……ふにゃふにゃ……」と呟いている。
リーヌが廊下の端で、静かに、しかし深々と頭を下げた。
(お二人とも、本当によかったと思います)
翌日。
マルガリータ王妃が朝から俺の居室に押しかけてきた。
「コルネリス、少しよろしいかしら」
「何でしょうか、王妃様」
「イレーネのことなのだけれど……ここで産んでいきなさい」
俺は少し目を丸くした。
「実は俺も同じことを考えていました」
「まあ!」
王妃様が目を輝かせた。
「さすがコルネリス、話が早いわ! 実はもう産婆と宮廷医師に声をかけてあるの。部屋の準備も始めているわ。あと必要なものがあればなんでも言って。この子の出産だけは絶対に万全を期したいのよ」
(もう動いていたのか)
「それはありがたいのですが……王妃様、俺が確認する前から動いていたのですか」
「だってどう考えてもここで産んだ方がいいでしょう? あなたが気づかないはずがないと思っていたわ」
(敵わないな、この親子は)
「……ありがとうございます、王妃様」
「礼を言うのはイレーネが無事に産んでからにしてちょうだい。それまでは気を抜かないように」
マルガリータ王妃がそう言って、俺の肩をポンと叩いた。
その目が、少し潤んでいた。
「あの子が呪いのせいで……長年苦しんでいたのを、私は一番近くで見ていたから。あなたと出会って、本当に幸せそうで……母親として、それだけで十分なのよ」
「……はい」
王妃様がふと窓の外を見た。
「……フロリアンのバカ息子にも、この姿を見せてやりたかったわね」
「義弟ですか」
「ええ。あの子、昔からイレーネの呪いのことを気に病んでいてね。城の中では何もできないって、ずっと苦しそうにしていたわ。だから飛び出したのも……全部が逃げだけじゃなかったと思うのよ。どこかで民のために何かしていてくれればって……母親のひいき目かしらね」
(……以前陛下は「吟遊詩人になると書き置きして出奔した」と言っていた。王妃様はそれを逃げとは思っていない、ということか)
「きっとどこかで、ちゃんとやっていますよ」
俺はそれだけ言った。
王妃様が少し驚いた顔をしてから、柔らかく微笑んだ。
「……そうね。そうであってほしいわ」
「だからこの子の出産は、絶対に成功させるわよ。私が直々に仕切るわ」
「かしこまりました。よろしくお願いします」
王妃様が満足そうに頷いて、部屋を出ていった。
(頼もしい義母だ)
俺は居室に戻り、まだふにゃふにゃと蕩けているイレーネの隣に座った。
「イレーネ」
「……はい、ふにゃ……」
「ここで産もう。お前の母上が全部準備してくれている」
イレーネがゆっくりと目を開けた。
「……お母様が?」
「ああ。もう産婆と医師にも声をかけてあるそうだ」
イレーネがじわりと目を潤ませた。
「……お母様ったら」
「頼もしいだろう」
「ええ……本当に」
イレーネが俺の手をそっと握った。
「旦那様、わたくし、少し怖いですわ」
「そうか」
「でも……旦那様がいてくださるなら、大丈夫ですわ」
「ああ。俺はずっとそばにいる」
「……約束ですわよ?」
「約束だ」
イレーネがそっと微笑んだ。
その笑顔を見ながら、俺は密かに決めていた。
何があっても、絶対に、この人と子供を守る。
それだけは、雷将を倒した時も、帝国と戦った時も、ずっと変わらない俺の核心だ。
(早く帰って寝たいだけだった男が、今はこういうことを考えているんだな)
我ながら、随分と変わったものだと思った。




