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第22話 妻のために畑と水道を魔改造したら、部下たちに空前の結婚ブームが到来した

 帝国が白旗を揚げ、完全な和平が成立してから数ヶ月。

 俺はウィレム連邦公爵として、相変わらず執務を部下に全振りしながら、身重のイレーネのサポートに全霊を注いでいた。

「旦那様、あーんですわ。……んっ、このトマト、とっても甘くて美味しいです!」

「だろ? 俺の可愛い奥さんと、お腹の子供のためだからな。栄養満点の特別製だ」

 俺の膝の上に座り、幸せそうに頬を緩めるイレーネ。そのお腹は、少しずつふっくらと丸みを帯びてきている。

(……本当に、よかった)

 俺はイレーネの頭にそっと手を置きながら、改めてそう思った。

 雷将を倒して、姫を押し付けられて、呪いを解いて、集団離婚パニックを引き起こして、帝国と戦って。

 気がつけば、連邦の公爵になっていた。

 公爵への昇爵は、書面だけで済んだ。前線から一度も戻れていなかったし、帝国との戦争が片付くまでそんな余裕はなかったからだ。レオナルト陛下からの勅書を受け取って、ヘンドリックが「おめでとうございます閣下」と頭を下げて、それで終わりだった。

(まあ、落ち着いたら一度国王のところに挨拶に行くか。イレーネと一緒に。陛下もマルガリータ様も、孫の顔を楽しみにしているだろうし)

「旦那様、何か考えておられますの?」

「ああ。落ち着いたら王城に顔を出そうと思って。お前のご両親にも、ちゃんと報告したいしな」

「まあ!」

 イレーネの顔がぱあっと輝いた。

「お父様もお母様も、きっと大喜びですわ! お母様なんて、手紙のたびに『早く孫の顔を見せなさい』と……ふふっ」

「呪いが解けてからのマルガリータ様は本当に元気だな」

「解放されたぶんのエネルギーが全部出てきているのだと思いますわ」

(陛下が毎回手紙に『元気すぎて少し疲れた』と書いてくるのはそのせいか)

 俺は苦笑しながら、窓の外に目を向けた。


 安産のために最も重要なのは、母体の健康。そして健康の基本は食事と水だ。

 俺はイレーネの妊娠が発覚したその日のうちに、ベルク領の農業と水路の大規模な魔改造に着手していた。

「『レベル1・耕作』! 『レベル1・浄水』!」

 俺が無尽蔵の魔力を込めて放った基礎魔法は、ただの荒れ地を「どんな種でも一瞬で極上の栄養価を持った作物に育つ、奇跡の土壌」へと変異させた。

 さらに、川から引いた水路に浄化の魔力を常時かけ続けることで、不純物ゼロ、ミネラルたっぷりでほんのり甘みすら感じる聖水レベルの超軟水を、領地全土に行き渡らせたのだ。

 これもあの本に書いてあった。

『清潔な水と栄養豊かな食物は、民の寿命と生産性を飛躍的に向上させる。統治者が最初に整えるべきはこの二つであり、他のすべてはその後に続く』

(深淵の狂王め、妊婦の安産対策まで書いてあるとは思わなかったが)

「公爵閣下は、我々に命の糧まで与えてくださるのか……! ありがたや、ありがたや!」

 領民たちが豊穣の神を崇めるように畑に向かって土下座しているが、俺はただイレーネに美味しい野菜を食べさせたかっただけだ。

(毎回こうなる。なんでこうなる)


 しかし、この魔改造は思わぬ副産物を生み出していた。

「あの……隊長殿。本日の収穫量の集計資料ですわ。お疲れ様でした」

「おお、ありがとう! 君の計算はいつも正確で助かるよ。……その、よければ休憩に、一緒にこの甘いトマトでも食べないか?」

「まあ……嬉しい。ふふっ、喜んで」

 執務室の窓から外を眺めると、中庭で若い男女が顔を真っ赤にしていい雰囲気になっているのが見えた。

 声をかけていたのは、クラフト部隊で現場監督をしている、元一兵卒の青年だ。今は男爵位をもらっている。そして照れ笑いをしているのは、集団離婚パニックで父親の家を飛び出して、イレーネのファンクラブに加わった令嬢だ。

(……あちこちでこういうことになってるな)

 無理もない。

 クラフト部隊の男たちは、土にまみれながら誠実に働いてきた。石が尽きれば土で代用し、品質を安定させ、決して手を抜かなかった。その姿を毎日間近で見てきた令嬢たちが惹かれるのは、当然の帰結だ。

 日陰の夫たちの息子たちも同様だった。戦場で先陣を切り、父親が長年報われなかった悔しさをぶつけるように戦った若い連中が、自由になった女性たちの目に眩しく映らないはずがない。

 そして身分の低い女性たちも同じだった。ダルム公国の市民の娘たちが、ウィレム連邦の兵士に感謝の手紙を持って会いに来て、そのままいい雰囲気になるケースが後を絶たなかった。

(俺が引き起こした集団離婚パニックで傲慢な男たちが一掃され……戦場で誠実に動いた男たちに光が当たった。そういうことか)

「旦那様、外がどうかしましたの?」

「いや。俺たちが作った畑と水が、美味しい野菜だけじゃなくて、新しい愛も育ててるみたいだなって思って」

 俺がそう言って微笑むと、イレーネは意味がわかったのか、顔をほんのりと赤くして俺の首に腕を回してきた。

「ふふっ……素晴らしいことですわ。でも、わたくしたちの愛の深さには、誰にも負けませんわよ? 愛しております、旦那様。チュッ!」

「俺もだよ。さあ、元気な赤ちゃんを産むためにも、もう一口食べようか」

「はい! あ、そういえば旦那様」

「何だ」

「ヘンドリックから聞いたのですが……最近、連邦中に『縁結びの神』という新しい称号が広まっているそうですわ」

「……また増えたのか」

「旦那様が解呪してくださったおかげで女性たちが自由になり、旦那様の畑と水のおかげで男性たちが誠実に働く場所を得て、旦那様の純愛を見て皆が家庭を持ちたいと思うようになった……という話が、民の間に広まっているそうですわ」

「俺はただ……」

「ただ?」

「呪いを解いて、妻に美味しい野菜を食べさせたかっただけだ」

「ふふっ」

 イレーネがくすくすと笑った。

「旦那様らしいですわ。でも、それが全部つながって、連邦中の人たちが幸せになっているのですわよ?」

「……まあ、結果オーライか」

「結果オーライなんかじゃありませんわ。旦那様がご自分の大切なものを守ろうとするたびに、周りの人たちも幸せになっていくのですわ。それが旦那様なのですわよ」

 俺はしばらく黙った。

(そんな大層な話じゃないんだが)

「……お前、たまに鋭いな」

「たまに、は余計ですわ。チュッ!」

「だから突然するな」

 外では、中庭のカップルが並んで畑の野菜を収穫し始めていた。その隣でも、別の男女が照れながら水路の管理作業をしている。

 こうして、ただ妻の健康を思って行った環境改善は、連邦全土に空前の純愛・結婚ブームを巻き起こし、俺は知らぬ間に「豊穣と縁結びの神」という新たな称号まで獲得してしまうのだった。

(早く帰って寝たい、から始まった話が、なんでこんなことになるんだ)

 俺は苦笑しながら、腕の中のイレーネを少しだけ強く抱きしめた。

「旦那様?」

「何でもない。……ありがとな、イレーネ」

「……え? 突然、どうされましたの?」

「お前と結婚して、よかったと思って」

 イレーネが固まった。

 一秒、二秒、三秒。

「……っ、ちょっと、旦那様、そんな、急に……わたくし、心の準備が……ふにゃ……」

(またくたくたに溶けた)

「旦那様がずるいですわ……いきなりそんな、素直に……ふにゃふにゃ……」

(この可愛い生き物と出会えたのは、あの日後方支援部隊で気絶して逃げ遅れたおかげだ。人生、何がどうなるかわからないものだな)

 窓の外では連邦の春が始まっていた。

 畑には青々とした芽が並び、水路には清らかな水が流れ、中庭では照れながら笑い合う男女が増えていく。

 早く帰って寝たいだけだった後方支援兵は、気づけば豊穣と縁結びの神と呼ばれる連邦の公爵になっていた。

(……まあ、悪くない終着点だ)

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