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第18話 クラフト部隊に土壁を作らせたら、帝国軍がぺしゃんこになっていた

 俺が愛する妻と極上のスパリゾートを満喫していたある日。湯煙の向こうから、女性官僚が慌てた様子で報告にやってきた。

「公爵閣下! 帝国軍が不可侵条約を破り、再び国境を越えて進軍してきました! 捕虜となった皇太子カールの奪還が目的と思われます!」

「あー……せっかくいいお湯だったのに、本当に邪魔くさいな」

 俺は妻の滑らかな肩を抱き寄せたまま、天井を眺めた。

(また帝国か。不可侵条約を結んだばかりだろうが)

「旦那様、どういたしますの?」

 イレーネが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。

「俺の安らぎの時間を奪うのがどれだけ悪手か、あいつらわかってないんだよな」

 俺はぼんやりとそう言いながら、頭の片隅で例の本の内容を引っ張り出していた。

 深淵の狂王サルデ・モワ・カルの本。読んだときは「誰がこんな面倒なことをするんだ」と思いながら流した部分が、確かにあった。

 確かこんな内容だった。

『敵軍を迎え撃つ際、複雑な術式や高位魔法を使う必要はない。土魔法でひたすら巨大な壁を作り、それを敵めがけて倒すだけで足りる。驚いた敵が魔法で対処しようとしても、物理的な質量が圧倒的すぎて術式を組む時間がない。また敵の魔法の多くは「飛んでくる何か」を想定した迎撃術式であり、「倒れてくる地面そのもの」には対応できない』

 俺は当時、読みながらこう思った。

(確かに理屈はわかる。でも誰がそんな面倒な巨大土壁を……というか、そんなことができる魔力を持つ奴がそもそも……)

 俺だった。

(俺じゃないか)

「クラフト部隊に伝えてくれ」

 俺はヘンドリックに向かって言った。

「はっ」

「例の本に、使えそうな戦術が書いてあった。ちょっと試してみたい」

「どのような戦術でしょうか」

「でかい土壁を作って、敵に向かって倒す。それだけだ」

「……それだけ、でございますか」

「それだけだ。ただし壁の大きさと魔力の密度が命だから、部隊全員で魔力を限界まで込めること。複雑なことは何もしなくていい。ただでかく作って、ただ倒す。それだけだ」

 ヘンドリックが少し考えてから、真剣な顔で頷いた。

「……かしこまりました。やってみます」

「俺はここで妻とお湯に浸かってる。終わったら報告してくれ」

「え、閣下はいらっしゃらないので?」

「邪魔くさい。クラフト部隊なら俺がいなくてもできるだろう」

「……かしこまりました」

 ヘンドリックが若干複雑な顔で退室した。

「旦那様……本当によろしいのですか?」

「大丈夫だよ。あの本に書いてあることで外れたことは一度もないからな」

「サルでもわかる、の本ですわね」

「そうだ」

「……旦那様が、おさるさんでも理解できる戦術を駆使して帝国を迎え撃つのですわね」

「そういうことになるな」

 イレーネがうっとりした顔で俺を見上げた。

「旦那様、かっこいいですわ……ふにゃ……」

(ほめるところがそこじゃない気がするが、まあいいか)


 数時間後。

 国境付近に進軍してきた帝国軍の精鋭部隊は、突如として目の前にそびえ立った超巨大な土の壁を見上げて絶望していた。

 壁の高さはゆうに三十メートルを超える。クラフト部隊の全員が、ありったけの魔力を込めて錬成した、ただひたすら巨大なだけの土の塊だ。

「な、なんだこの壁は!?」

「魔法使いたちよ、早くこれを破壊しろ!」

「む、無理です! ただの土くれですが、込められている魔力が異常すぎてかすり傷一つ……」

 帝国の魔法使いたちが迎撃術式を組もうとした、まさにその瞬間だった。

「……あ、壁が、傾いて……」

「ひぃぃっ!? か、壁が倒れてきますぅぅっ!!」

 ズゴゴゴゴゴゴッ!!

 クラフト部隊が一斉に魔力の支えを抜いた。

 重力に従い、超巨大な土の壁が帝国軍の頭上へと向かってゆっくりと、しかし圧倒的な質量で倒れ込んでいく。

「逃げろ!」

「術式が間に合わない! なぜだ! 通常の飛翔系攻撃なら迎撃できるはずが……!」

「当たり前だ! これは魔法じゃない、ただの土だ! 地面そのものが落ちてくるんだぞ! どうやって魔法で止めるんだ!!」

 ドォォォォォンッ!!

 凄まじい轟音と土煙が、国境付近を包み込んだ。

 悲鳴を上げる間もなく、帝国軍の精鋭たちは圧倒的な質量の土砂の下敷きになり、物理的にぺしゃんこにされてしまったのだった。

 しばらくして土煙が晴れると、クラフト部隊の隊員たちが手際よく動き始めた。気絶して生き埋めになった帝国兵たちの武装だけを器用に剥ぎ取ると、再びレベル1の土魔法で土砂を平らな地面へと還してしまったのだ。


「ふふん」

 報告を受けた俺は、湯船の中でドヤ顔を決めた。

「クラフト部隊のレベル1魔法は、こうやって使うんだよ。複雑な攻撃魔法など使えなくても、シンプルな質量と重力のゴリ押しには勝てない」

「閣下……その戦術、どちらで……」

「本に書いてあった」

「サルでも……」

「そうだ。サルでもわかる本だ」

 ヘンドリックが深々と頭を下げた。

「あの本を書いた者は……一体何者なのでしょうか」

「深淵の狂王、らしいがな」

「……狂王、でございますか」

「ああ。ただ書いてある内容はどれも正しい。外れが一つもない。狂っているのか、それとも天才なのか、よくわからん」

 俺は湯の中に沈みながら、ぼんやりと考えた。

 巨大な土壁を敵に向かって倒す。言葉にすれば単純すぎるほどの発想だ。しかしこの世界の誰も、何百年もの間、思いつかなかった。いや、思いついても「そんな巨大な土壁を作れる魔力を持つ者がいない」という理由で、実用的な戦術として成立しなかったのだろう。

(深淵の狂王は、未来にそれができる誰かが現れることを知っていたのか。それとも、俺みたいな規格外の魔力馬鹿が現れることを想定して書いたのか)

「旦那様、難しいお顔をしておられますわ」

「ああ……あの本について考えてた」

「サルでもわかる本ですわね」

「そうだ」

 イレーネが俺の腕をギュッと抱きしめた。

「難しいことはよくわかりませんけれど……その本のおかげで旦那様がお風呂を作ってくださって、街が復興して、そして今日も帝国を追い払えたのですわよね」

「まあ、そういうことになるな」

「ならば、その深淵の狂王さんという方は……少なくともわたくしにとっては、大恩人ですわ。チュッ!」

「だから突然するな」

 イレーネのキスで、俺の思考はまた中断された。

 まあ、いいか。深淵の狂王が何者だろうと、その知識が役に立っているのは事実だ。


 一方でスパリゾートには、別の悲劇(喜劇)が起きていた。

 命からがら潜入することに成功した帝国の隠密部隊が、ついに囚われの皇太子カールを発見したのだ。

「殿下! お助けに参りました! さあ、急ぎ帝国へ!」

 しかし隠密が涙ながらに声をかけた相手は、頭に手ぬぐいを乗せ、ほてった顔でフルーツ牛乳を飲みながら最高級の露天風呂を満喫していた。

「あ、お前らか。悪いけど今日はこの後サウナに入るって決めてるから、帰国は無理だ」

「で、殿下!? な、なにを仰って……殿下は捕虜でいらっしゃいますよね!?」

「まあそうなんだけどさ」

 カールはフルーツ牛乳を一口飲んでから、のんびりと続けた。

「最初は確かに窮屈だったよ。王城の一室に押し込まれてさ。でもある日、警備の兄ちゃんたちがここに連れてきてくれたんだよ。民全員が使えるようにって、公爵が作った施設だって言ってた」

「は、はあ……」

「入った瞬間わかったよ。これだよ、これ。お湯の温度が完璧で、泉質が最高で、露天から見える景色が……もう最高じゃないか。で、気づいたらこうなってた」

 カールが気持ちよさそうに湯に肩まで沈んだ。

「帝国に……ないじゃん、こういうの」

「……殿下」

「いや、本当にないだろ? 帝国の風呂って、桶に水張って体拭くだけだぞ? こんな広くて清潔で温かい湯船に毎日浸かれる施設、帝国のどこを探してもないじゃないか」

「そ、それは……」

「しかも最近はサウナまでできたんだよ。水風呂との交互浴が最高でさ。警備の兄ちゃんたちに教えてもらった。あいつら、毎日俺を連れてきてくれるし、本当にいい奴らなんだよな」

 隠密部隊が絶句している。

「帝国に帰るくらいなら、俺ここに住む。どうしても帰ってほしいなら、帝国にこれと全く同じ施設を作ってくれ。そしたら考える。でも無理だろ。だってこのお湯、公爵閣下の魔力で温めてるらしいし」

「でんか……」

カールがフルーツ牛乳を一気飲みして、ふと息をついた。

「そういえば、ウィレム王国の王太子……フロリアンって知ってるか?」

隠密の一人が思わず聞き返した。

「……ウィレム王国の、王太子殿下でございますか?」

「昔、何度か一緒に飲んだことがあってね。『窮屈な城より、俺は大陸の民の心に響く歌が歌いたい』なんて青臭いことを言ってたんだ。ただの酔っ払いの世迷い言だと思ってたが、本当に国を捨てて吟遊詩人になるとはな」

「は、はあ……」

「最近じゃ、うちの帝国が押さえている山岳地帯のあたりで、それらしき吟遊詩人がウロチョロしてるって噂も聞いたぞ。まあ、あいつらしいっちゃあいつらしいけどな」

「殿下、我々はそういう話をしに来たのでは……」

「あ、サウナの時間だ。お前らも入っていくか? せっかく来たんだし、一回入ってみろよ。絶対に帝国に帰りたくなくなるから」

呆然とする隠密部隊を置き去りにして、カールは意気揚々とサウナ室へ消えていった。


(後日談として、隠密部隊の半数がサウナを体験し、予定より三日遅れで帝国に帰還したと報告が入った。残りの半数は行方不明になったが、スパリゾートの常連客の中に見慣れない顔が数人増えたのと、何か関係があるかもしれない)

 こうして、軍事的にも完全敗北し、皇太子すらも敵国のお風呂に心を奪われてしまった帝国は、本格的に国家存亡の危機へと立たされることになった。

(帝国、ご愁傷様。でも俺の妻とのイチャイチャタイムを邪魔した罰だからな)

 俺はそんな遠い国の悲劇など知る由もなく、隣で「旦那様の知略は本当に恐ろしいですわ!」と熱い視線を送ってくる愛妻の頬に、軽くキスを落としたのだった。

「ひゃっ……! も、もうっ……旦那様ったら……ふにゃ……」

(この反応、いつまでたっても慣れないな。可愛すぎる)


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