第17話 クラフト部隊を作ったら、例の本の正体が少し気になり始めた
俺が力技で錬成した大公衆浴場は、増築と改良を重ねられ、今や連邦中から貴族や富裕層が押し寄せる最高級のリゾートスパへと発展していた。
このインフラ整備を急速に進めるため、俺は連邦軍や街角から、ある条件を満たす者たちをかき集めて『特務クラフト部隊』を創設した。
条件は一つ。「魔法スキルがレベル1のままだが、魔力量だけはそこそこ多い」という、この世界で最も馬鹿にされ、無能扱いされてきた連中だ。
俺は彼らに、俺と同じやり方を教え込んだ。すなわち「レベル1の基礎魔法に、ありったけの魔力をぶち込んで、ひたすらゴリ押しで形にする」という土木建築法だ。
結果は大成功だった。彼らは次々と荒れた街道を舗装し、頑丈な水路を築き、街を劇的なスピードで綺麗にしていった。
「なぜ今まで、誰もこんな簡単なことをしなかったんだ?」
俺が首を傾げると、ヘンドリックが呆れたように答えた。
「閣下、普通は魔力が多いなら、高レベルの魔法を習得しようとするものです。レベル1の基礎魔法に大量の魔力を注ぎ込むなど、効率が悪すぎて誰も思いつきません。閣下のような神の視点と、規格外の魔力があってこその発想です!」
「なるほど、常識の盲点だったというわけか」
「はい。ところで閣下、もう一つ些細な情報が」
「何だ」
「ゼーフェルト方面の山岳地帯で、我がウィレム王国の王太子殿下を名乗る吟遊詩人が民衆の前で歌を歌っているという未確認情報が入りまして……」
「本物なら王太子と名乗るわけがないだろう。お忍びで旅をしている人間が、わざわざ本名を名乗って回るか?」
「……確かに。では詐欺師か偽物かと」
「そういうことだ。放っておけ」
「かしこまりました。報告から除外しておきます」
(ただでさえ忙しいのに、偽物にかまっている暇はない)
まあいい。ここで経験を積ませた彼らは、いずれ立派な専門職として高位の役職に引き上げてやるつもりだ。部下の労働環境と福利厚生のホワイト化は絶対だ。
そんなわけで有能な部下たちに連邦の発展を丸投げし、俺は現在、完成したばかりのリゾートスパの最奥、公爵専用の貸切露天風呂で極上のスローライフを満喫していた。
「ああっ……極楽だ……」
「旦那様、背中をお流しいたしますわ。……その、あまりジロジロ見られると、恥ずかしいのですけれど」
「いや、俺の奥さんなんだから見る権利はあるだろ。今日も世界一綺麗だよ」
「もうっ! この変態! すけべ! 頭からお湯かぶって溺れなさいな! ……でも、旦那様にそう言っていただけると、わたくし、すごく嬉しいですわ……チュッ」
照れ隠しのドギツい暴言と、甘すぎるキスのコンボ。俺の理性が盛大に吹き飛びそうになる。
こんな無防備な妻の姿、絶対に、絶対に他の男には見せられない。だからこそこの貸切区画に、男が近づいた瞬間に問答無用で雷撃を落とすという通達を出してあるのだ。
しばらくして、湯に浸かりながらぼんやりしていると、イレーネが不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「旦那様、さっきから何かお考えですの?」
「ああ。昨日ヘンドリックに言われたんだが……あの謎の本のことが少し気になってな」
「謎の本、ですか?」
俺はふやけた指先でお湯をかき混ぜながら、記憶を掘り起こした。
あれはまだ後方支援部隊にいた頃だ。スキルを手当たり次第に集めていた俺は、ある日、軍の書庫の奥深くに迷い込んだ。
棚の最奥、ホコリが積もった木箱の中に、一冊だけ明らかに浮いている本があった。
分厚く、禍々しいオーラを放つ黒革の装丁。表紙には、血のように赤い古代文字で何かが刻まれていた。
俺はそれを手に取り、古代文字を一文字ずつ読み解いた。
「ん? なになに……サル……デ……モ……ワ……カル? ああ、『サルでもわかる』か! なんだ、こんなところに超初心者向けの実用書が落ちてんじゃん!」
俺はポンと手を打った。装丁が無駄に豪華で少し禍々しい気もしたが、昔の人は無駄に凝るのが好きだったのだろう。万年落ちこぼれの俺には、このくらいハードルの低い入門書がありがたい。
俺はウキウキしながら、その重々しいページを開いた。
「おっ! 文字ばっかりじゃなくて、図解がたっぷりじゃん。さすが『サルでもわかる』シリーズ!」
水道、農業、建築、冶金、医療……どれも理にかなった内容で、実際に魔法で応用できるものばかりだった。俺は頭から丸ごと叩き込んで、本は元の木箱に戻した。
その話をイレーネに聞かせると、イレーネが首を傾げた。
「……サルでもわかる、ですか?」
「そう。初心者向けの実用書だな」
「あの……旦那様」
「何だ」
「サルというのは、あの、おさるさんのことですわよね?」
「まあそうだな」
「おさるさんは……字が読めるのでしょうか」
俺は少し考えた。
「……読めないな」
「では……絵本、でしょうか。図解がたっぷり、とおっしゃっていましたし」
「……あ」
俺は湯の中で固まった。
確かに図解がたっぷりだった。文字の説明よりも、図の方が多かったくらいだ。
(もしかして、字が読めないおさるさん向けの……絵本?)
「旦那様? 顔色が優れませんけれど」
「いや……ちょっと待ってくれ。俺、もう一回あの表紙を思い出してみる」
俺は目を閉じ、記憶の中の表紙を改めて読み解いた。
血のように赤い古代文字。一文字ずつ、丁寧に。
サル……デ……モ……ワ……カ……ル。
(待て。古代文字の読み方、複数通りあったよな)
もう一度、別の読み方で当てはめてみる。
深淵の……狂王……サルデ……モワ……カル。
「……」
「旦那様?」
「……なんでもない」
俺は努めて平静を装いながら、湯に深く沈み込んだ。
(深淵の狂王サルデ・モワ・カル……って、誰だ。何者だ。なぜそいつの本に、水道や農業や公衆浴場の作り方が書いてあったんだ)
(そして今、その知識を俺がフルに使って連邦を発展させているという事実は……)
「旦那様、本当に顔色が……」
「大丈夫だ。ちょっと湯あたりしただけだ」
「まあ! 大変! 今すぐ上がりましょう! チュッ!」
「だから突然するな……」
イレーネの不意打ちキスで、俺の思考は強制的に中断された。
まあ、いいか。
あの本の知識がこれだけ役に立っているのは事実だし、書いてある内容に害はなかった。深淵の狂王が何者だろうと、俺には関係ない。
(たぶん)
そんな新米公爵の小さな不安を他所に、ウィレム連邦は今日も順調に発展し続けていた。
そして、クラフト部隊の活躍により、かつてダルム公国だった領土は急速に復興を遂げ、民衆の生活は目に見えて豊かになっていった。
「あの……閣下」
湯上がりに執務室へ戻ると、クラフト部隊の若い隊員が恐る恐る近づいてきた。
「どうした」
「本日の作業で、街の西側の古い地下通路を整備していたところ……妙なものが出てきまして」
差し出されたのは、ボロボロに傷んだ羊皮紙だった。かすれた文字で、何かの地図らしきものが描かれている。
「どこの地図だ」
「それが……どこにも存在しない地名が記されておりまして。ただ、右下の隅に……」
隊員が指さした部分には、小さく、しかしはっきりとこう書かれていた。
『サルデ・モワ・カルより、次の継承者へ』
俺は羊皮紙を持つ手が、わずかに震えるのを感じた。
(……やっぱり、関係ないとはいかないのか)
「旦那様? 何が書いてありますの?」
イレーネが覗き込んでくる。
「……サルでもわかる、の続編らしい」
「まあ! シリーズものでしたのね!」
(そうじゃない気がするが、まあいいか)
俺はため息をつきながら、羊皮紙を懐にしまった。
(深淵の狂王の継承者が、ただ早く帰って寝たいだけの元後方支援兵というのは……どういう話なんだ)




