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第10話 味方から逃げ回っていたら、うっかり隣国の救世主になっていた

 最前線の野営地に到着した翌朝。

 俺が天幕の入口から恐る恐る外を覗くと、敵意むき出しの大貴族たちの殺気がじわじわと押し寄せてきた。

(やっぱり昨夜一晩寝ても殺意は消えてなかったか……)

「英雄様、おはようございます! チュッ!」

「おはよう……って、朝一番からいきなりするな」

「まあ、照れておられますわ! 愛しいですわ!」

 イレーネが満面の笑みで俺の腕に飛びついてくる。その拍子に、ふと天幕の外に人影がいくつも集まっているのが目に入った。

 大貴族たちの殺気とは明らかに違う、穏やかな気配だ。

「……誰だ、あれ」

 天幕の外に集まっていたのは、10人ほどの男たちだった。全員が揃いも揃って、どこか申し訳なさそうに俯きながら、それでも真剣な目をしている。

「侯爵閣下。少々、よろしいでしょうか」

 先頭に立った中年の男が、深々と頭を下げた。

「我々は、閣下に解呪していただいた妻を持つ者たちです。妻の呪いが解けたことで、長年の誤解が解けました。本当の妻の気持ちを、初めて知ることができました」

 男の目が、じわりと赤くなった。

「閣下がいなければ、俺たちは死ぬまであの冷え切った関係のまま終わっていた。お礼の言葉もございません。どうか、この命を閣下のために使わせてください」

 後ろに並んだ男たちが、一斉に頭を下げた。

「俺たちを、閣下の直属部隊にしてください」

「お、俺もです。妻が笑ってくれた。それだけで、もう十分です。あとは閣下のために戦います」

「手柄を立てて、妻にもっと胸を張れる男になりたいんです」

(……こいつら)

 俺は目を細めた。

 妻に冷遇されながらも、それでも妻を大切にし続けた男たちだ。呪いが解けて報われた今、今度は俺に同じことをしようとしている。

(俺はただ解呪しただけなんだが……)

「わかった。ついてきてくれ」

「ははっ! 必ずや閣下のご期待に応えてみせます!」

 男たちの顔が、一斉に輝いた。

 こうして俺は、恨みを持つ大貴族たちの殺意と、恩を感じる日陰の夫たちの忠誠という、真逆の感情に挟まれながら最前線に立つことになった。


 そして問題は、前方から来た。

「英雄様、前方に帝国軍の大部隊が展開しておりますわ!」

「わかってる! でも俺、前よりも後ろにいる大貴族の方が怖いんだけど!」

 大貴族たちはイレーネの脅迫で一時的に大人しくなっているが、隙あらば俺を始末しようとギラギラした目を向けている。新たについてきた日陰の夫たちが俺の周囲を固めてくれているが、数が足りない。

(だめだ、ここにいたら前後から挟まれる! とにかく前に出て距離を取らないと!)

 俺はパニックに陥り、右手で雷剣ドンデルを引き抜くと、前方を塞ぐドラケン帝国軍に向かってヤケクソで走り出した。

「うおおおおおっ! こっち来んなぁぁぁっ!」

 バチバチバチバチッ!!

 走りながら大剣を適当に振り回す。一振りするたびに、巨大な落雷の津波が前方に押し寄せ、帝国軍の兵士たちをまとめて黒焦げにして吹き飛ばしていく。

(あの貴族連中、絶対についてこられないくらい遠くまで逃げてやる!)

 雷将ヴォルフでさえ魔力消費が激しすぎて「3振り」が限界だったこの剣を、俺は恐怖に駆られるままに4振り、5振りと連続でぶっ放し続けた。

「ば、ばかな!? 報告にあった雷将の限界をとうに超えているぞ!」

「ひぃぃっ! 逃げろ、歩く天災だぁぁっ!」

 帝国軍の悲鳴など耳に入らない。俺は背後の大貴族たちから逃げることだけを考え、イレーネを腕に抱えたまま、ついに10振り目の特大雷撃を放った。

 ズガアアアアアアアンッ!!

 目の前を覆っていた帝国軍の本陣が、文字通り消し炭となって蒸発した。

「……はぁ、はぁっ。よし、さすがにここまでくれば追ってこれないだろう」

 ぜえぜえと息を切らしながら周囲を見渡すと、そこは見覚えのない美しい街並みだった。必死に前へ前へと逃げ続けた結果、ダルム公国の領土まで踏み込んでしまったらしい。

「ぜえ、ぜえ……閣下、御見事でございます……!」

 振り返ると、日陰の夫たちが息を切らしながら、それでも目を輝かせてついてきていた。

「お前ら、ついてきてたのか」

「当然でございます! 閣下をお守りするためにここにいるのですから!」

(律儀な奴らだ……)

 すると、瓦礫の陰からおずおずと、ダルム公国の市民たちが顔を出した。

「あ、あの恐ろしい帝国軍が、たった一人の手によって全滅させられたぞ……!」

「見ろ、あの禍々しい大剣と、凄まじい雷の魔法! 間違いない、伝説の雷将様だ!」

「おおおっ! 雷将様が地獄から蘇り、我々を解放してくださったのだ! 万歳! 雷将様、万歳!!」

(……はい?)

 歓喜の涙を流し、俺に向かって一斉にひれ伏すダルム公国の市民たち。

 彼らは本物の雷将の顔を見たことがないのだ。雷の大剣を振るい、帝国軍を蹂躙したこの姿を見れば、かつての自国の英雄が復活したと勘違いするのも当然だろう。

「英雄様、凄いですわ! 敵国だったはずの民草まで、あなたに心酔しております!」

 イレーネが尊敬の眼差しで俺を見上げてくる。

「いや、俺はただ後ろの味方から逃げたかっただけで……というか俺、その雷将を溺死させた張本人なんだけど……」

「閣下……! もはや神です……!」

 日陰の夫たちまで目を潤ませながら頷いている。

「神はやめてくれ」

「神です……!!」

「だから神はやめてくれ」

 全く聞いてもらえなかった。

 こうして俺は、ただ安全な場所に逃げたかっただけなのに、ダルム公国を帝国から解放し、あまつさえ敵国の英雄として崇め奉られるという、さらなる地獄の勘違いスパイラルへと突入してしまったのだった。

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