表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/19

第9話 夜の来客

箕輪キヨの家を出たとき、外はもう暗くなっていた。

山の空気は冷たい。

温泉街の灯りがぽつぽつと見える。

湯沢は大きく息を吐いた。

「すごい祖母だな」

箕輪は苦笑した。

「村議員を二十年やってましたから」

「昔からあんな感じです」

湯沢は言った。

「九十近いとは思えない」

「八十八です」

「まだ畑やってます」

湯沢は少し笑った。

「敵に回したくないタイプだ」

二人は坂を下りながら、しばらく黙っていた。

頭の中で、キヨの言葉がぐるぐる回っている。

源泉は村のもの。

施設は三セク。

売却には議会決議。

そして。

地下水。

湯沢が言った。

「地下水の話」

箕輪が頷く。

「私も初めて聞きました」

「祖母、あまり昔の話しないので」

湯沢は考え込んだ。

「李は知ってるのかな」

箕輪は答えなかった。

二人は白樺の湯の前に戻った。

建物は暗い。

営業はとっくに終わっている。

しかし。

ロビーに灯りがついていた。

湯沢が眉をひそめた。

「誰かいる」

玄関を開ける。

暖房の音が静かに響く。

そしてロビーのソファに。

スーツ姿の男が座っていた。

ゆっくり立ち上がる。

「こんばんは」

湯沢は思わず言った。

「……李さん」

箕輪も驚いた。

「どうしてここに」

李は微笑んだ。

「お待ちしていました」

湯沢は警戒した。

「何の用です」

李は答える。

「少し」

「お話を」

湯沢は言った。

「今日はもう」

李は静かに言う。

「箕輪キヨさん」

湯沢と箕輪が同時に止まった。

李は続ける。

「お元気そうでしたか」

箕輪の表情が固まる。

「どうして」

李は肩をすくめた。

「この村」

「小さいですから」

湯沢は言った。

「尾行ですか」

李は笑った。

「違います」

「情報です」

沈黙が落ちた。

李はゆっくりロビーを見回す。

古いソファ。

観光ポスター。

閉まった売店。

「いい温泉ですね」

湯沢は答えない。

李は言った。

「でも」

「古い」

「直すには」

「お金がかかる」

湯沢は言った。

「それで買う」

李は頷く。

「はい」

箕輪が言った。

「源泉は村のものです」

李は笑った。

「知っています」

二人は驚いた。

「え?」

李は平然と言った。

「調べました」

湯沢が聞く。

「それでも買う?」

李は頷く。

「もちろん」

「温泉は」

「とても魅力的」

湯沢はじっと李を見た。

「温泉だけですか」

李は一瞬だけ黙った。

ほんの短い沈黙。

そして微笑む。

「何か問題が?」

湯沢は言った。

「地下水」

李の目がわずかに動いた。

ほんの一瞬。

しかし確かに。

動いた。

箕輪はそれを見逃さなかった。

李はゆっくり言う。

「面白い話ですね」

湯沢は確信した。

当たりだ。

李は言った。

「ですが」

「今日は交渉ではありません」

湯沢は眉をひそめた。

「じゃあ何です」

李はポケットから封筒を出した。

テーブルに置く。

「提案です」

湯沢は封筒を見た。

厚い。

かなり厚い。

湯沢が言う。

「これは」

李は静かに言った。

「個人的なものです」

箕輪が鋭く言った。

「賄賂ですか」

李は首を振る。

「違います」

「支援です」

湯沢は封筒に触れなかった。

李は言った。

「温泉を守りたいなら」

「お金が必要です」

湯沢は黙っている。

李は続ける。

「修理」

「改装」

「宣伝」

「全部」

「お金」

箕輪が言った。

「だからあなたが?」

李は微笑む。

「協力です」

湯沢はゆっくり言った。

「見返りは」

李は答えた。

「情報」

ロビーの空気が冷えた。

李は静かに言った。

「議会」

「村長」

「反対派」

「誰が何を考えているか」

湯沢は封筒を見つめた。

そして言った。

「スパイになれと」

李は笑った。

「そんな言い方は」

「しません」

沈黙。

外で風が吹いた。

しばらくして。

湯沢は封筒を押し返した。

「無理です」

李は驚かなかった。

「そうですか」

湯沢は言った。

「でも」

李が顔を上げる。

「あなた」

「温泉だけじゃないですね」

李は少しだけ笑った。

そして言った。

「さすがです」

その言葉は

肯定

だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ