第六十二話 失敗した開発
翌日。
湯の沢の朝は早い。
山の影がまだ長く伸びているころ、
川上は一人で歩いていた。
向かう先は
村外れの坂の上。
そこには
今はもう使われていない
古い建物があった。
旧・湯の沢スキー場のセンターハウス。
屋根は色あせ
看板は外され
窓ガラスのいくつかは割れている。
川上は
その前に立った。
しばらく
何も言わずに
建物を見上げていた。
そして
小さく呟く。
「……またか」
二十年以上前。
川上は
湯の沢村議会議員だった。
当時
この村は
スキー場ブームに乗ろうとしていた。
都市資本の会社が来た。
「大型リゾート」
「ホテル」
「温泉」
「雇用」
村は沸いた。
だが
川上は
反対した。
理由は単純だった。
「借金が大きすぎる」
しかし
議会は賛成多数だった。
村は
巨額の補助金と借入で開発を進めた。
そして
数年後。
バブルが崩壊した。
会社は撤退。
スキー場は閉鎖。
村に残ったのは
借金だけだった。
川上は
その後の選挙で落選した。
あのとき
村人は言った。
「川上が反対したせいで」
「投資家が逃げた」
「川上のせいだ」
川上は
何も言わなかった。
ただ
村が衰退していくのを
見ているしかなかった。
今
目の前にある
この廃墟のように。
川上は
小さくため息をついた。
「同じ話だ」
一拍。
「リゾート」
「医療」
「百八十億」
静かな声。
「大きすぎる」
そのとき
後ろから声がした。
「ここに来ると思っていました」
川上が振り向く。
そこにいたのは
湯沢だった。
川上が眉をひそめる。
「尾けたのか」
湯沢が笑う。
「村で有名な場所です」
一拍。
「元スキー場」
川上は何も言わない。
湯沢は
古い建物を見上げた。
「立派ですね」
川上が言う。
「失敗だ」
一拍。
「村が借金を背負った」
湯沢が静かに言った。
「知っています」
川上が驚いた顔をする。
湯沢が続けた。
「議会記録」
「全部読みました」
川上が言う。
「……暇な官僚だな」
湯沢が笑った。
「辞めましたから」
沈黙。
しばらく二人で
廃墟を見ていた。
川上が言う。
「だから」
一拍。
「今回も反対してる」
湯沢は頷いた。
「理解しています」
川上が言う。
「同じになる」
一拍。
「失敗する」
湯沢は
少し考えてから言った。
「違います」
川上が睨む。
湯沢が静かに言った。
「今回は村が借金を背負いません」
川上が眉を上げる。
湯沢が続ける。
「出資」
「銀行融資」
一拍。
「すべて」
静かな声。
「民間のリスクです」
沈黙。
川上は
少しだけ驚いた顔をしていた。
湯沢が言った。
「もし失敗したら」
一拍。
「会社が潰れます」
川上が聞く。
「村は?」
湯沢が答えた。
「借金ゼロ」
静かな声。
「失うものはありません」
川上は
しばらく黙っていた。
風が吹いた。
壊れた窓が
カタカタと鳴った。
川上がぽつりと言う。
「……本当に」
一拍。
「そうなるのか」
湯沢は答えた。
「そのために」
一拍。
「私がここに住んでいます」
川上が
初めて
少し笑った。
「辞めてきた官僚」
一拍。
「変わった男だ」
湯沢も笑う。
二人は
もう一度
古いスキー場を見た。
やがて川上が言った。
「……まだ反対だ」
一拍。
「だが」
静かな声。
「話はもう少し聞く」
それは
川上が初めて見せた
わずかな譲歩だった。




