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第三十四話 値段の刻み

「五億円です」

湯沢の言葉に、会議室の空気が止まった。

信濃銀行不動産管理部長の岡谷は、ゆっくりと椅子に背を預けた。

隣の若い行員が、思わず資料から顔を上げる。

岡谷は少し笑った。

「……正直に申し上げます。その金額では」

一拍置く。

「難しいですね」

湯沢は静かに頷いた。

「理由を伺っても?」

岡谷は資料を指で軽く叩いた。

「簿価です」

「この土地の帳簿価格は十億円」

李は頷いた。

「承知しています」

岡谷は続ける。

「銀行が簿価の半分で売却すれば、五億の損失確定。そう簡単には決断できません」

隣の行員も頷いた。

「正直、社内の稟議が通らないでしょう」

沈黙が落ちる。

湯沢は何も言わない。

すると、李が静かに口を開いた。

「では」

岡谷が見る。

李は淡々と言った。

「五億一千万円」

若い行員が一瞬固まった。

岡谷が眉を上げる。

李は続けた。

「これが最初の修正案です」

岡谷は思わず笑った。

「……一千万円?」

李は頷く。

「はい、交渉ですから」

岡谷は腕を組む。

「それはあまり変わらないのでは?」

李は答えた。

「では、五億二千万円」

若い行員が隣を見る。

岡谷も少し笑った。

「ずいぶん細かいですね」

李は言った。

「銀行は数字に厳しい。ですから一千万円単位で積み上げます」

会議室が静まる。

岡谷はしばらく李を見ていた。

やがて言う。

「正直に申し上げます。その金額ではまだ話になりません」

李は頷く。

「承知しています」

そして淡々と言う。

「五億三千万円」

湯沢は横で黙っている。

李が続けた。

「この土地は銀行にとって。売れなかった不良資産。維持費がかかる…時間が経つほど価値は下がる」

岡谷は何も言わない。

李はさらに言う。

「今売れば」

「現金化できます」

「五億四千万円」

若い行員が思わずメモを取る。

岡谷は苦笑した。

「……なるほど」

李は続ける。

「五億五千万円」

岡谷が言った。

「李さん」

李が顔を上げる。

岡谷は言う。

「この調子だと」

「いつか十億に届きますね」

李は少しだけ笑った。

「そこまで行くかどうかは分かりません」

岡谷が聞く。

「上限はいくらです?」

李は即答しなかった。

少し考える。

そして言った。

「今はまだ五億五千万円です」

会議室が静かになる。

岡谷は面白そうに李を見ていた。

そして小さく笑う。

「……面白い交渉だ」

机の上の資料を閉じる。

「では」

「こちらも考えましょう」

岡谷は言った。

「銀行としていくらなら検討できるか」

信濃銀行の会議室で。

静かな数字の戦いが、ゆっくりと進んでいった。

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