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第11話 御代田の血

白樺の湯のロビーには、暖房の低い音が流れていた。

三人はまだソファに座っている。

先ほどの所沢の話の余韻が残っていた。

湯沢が言った。

「同じ学校か」

「六年、三年、一年」

箕輪が笑った。

「不思議ですね」

李は静かに頷いた。

「ええ」

少し沈黙。

やがて湯沢が聞いた。

「でも」

「どうしてまたこの村に?」

李はゆっくり答えた。

「祖父のルーツ」

「それもあります」

箕輪が言う。

「でも」

「温泉を買う理由は」

李はロビーを見回した。

古いソファ。

閉まった売店。

静かな建物。

そして言った。

「この村」

「人口は?」

箕輪が答える。

「三百人くらい」

李は頷く。

「若い人」

「少ない」

湯沢が言う。

「限界集落に近い」

李は小さく息を吐いた。

「やはり」

しばらく沈黙。

そして李が言った。

「祖父は」

「日本の故郷を探していました」

「もし」

「この村がそうなら」

少し間。

「消えてほしくない」

湯沢は腕を組んだ。

「だから温泉を買う?」

李は答えない。

代わりに言った。

「この村」

「何か産業が必要です」

箕輪が言った。

「水」

李は否定しなかった。

「地下水は」

「世界的に価値があります」

湯沢は苦笑した。

「それで村を救う?」

李は静かに言った。

「方法の一つです」

そのときだった。

背後から声がした。

「やっぱり」

三人が振り向く。

ロビーの奥に

一人の老人が立っていた。

滋野カメ子だった。

いつの間にか

そこに立っている。

カメ子は李をじっと見ていた。

そしてゆっくり言った。

「あなた」

「やっぱり」

「御代田家の人間だったのね」

ロビーの空気が止まる。

湯沢が言った。

「え?」

箕輪も驚いた。

「どういうことです」

カメ子は杖をつきながら歩いてきた。

ソファの前に座る。

そして言った。

「私」

「旧姓が御代田」

李の目が動いた。

「御代田…?」

箕輪が言う。

「初めて聞きました」

カメ子は笑った。

「昔の話よ」

そして李を見た。

「あなたのお祖父さん」

「中国残留孤児でしょう」

李はゆっくり頷いた。

「はい」

カメ子は言った。

「私の父が」

「よく話していた」

ロビーが静かになる。

カメ子は遠くを見るように言った。

「昔」

「御代田家の若い衆が」

「満蒙開拓団に入った」

湯沢が小さく言った。

「満蒙開拓団…」

カメ子は頷く。

「満州」

「黒龍江省」

李の表情が変わった。

カメ子は続ける。

「父が言ってた」

「御代田の若いのが」

「向こうに渡った」

少し間。

「そして」

「終戦のあと」

「消息が分からなくなった」

ロビーが静まり返る。

李はゆっくり言った。

「祖父は」

「黒龍江省で育ちました」

カメ子は頷いた。

「そうでしょうね」

そして静かに言う。

「その人」

「あなたのお祖父さんかもしれない」

箕輪が息を呑む。

「じゃあ」

カメ子は言った。

「あなた」

「御代田の血かもしれない」

李は言葉を失っていた。

長い沈黙。

やがてカメ子が優しく言った。

「遠回りしたわね」

李は何も言えなかった。

ロビーの灯りの下で

三人はただ

静かに座っていた。

白樺の湯の物語は

温泉の売却問題だけではなくなっていた。

それは

一つの家の歴史と

この村の過去が

ゆっくりと

つながり始めた瞬間だった。

そして李は

静かに言った。

「御代田家」

「その家」

「まだこの村にありますか」

湯沢と箕輪は

顔を見合わせた。

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