第1章 第6話 才能
「んー……よく寝た……。あ、やっぱ引っかかってます?」
目覚めた後も眠そうな目をしたクロが結界の中に囚われたシオンを見てニヤリと笑う。部屋の時計が指し示している時間は十時。捕まってから既に三時間が経過していた。
「やーん寝込みを襲うなんてえっちーなんて。ちょっと待ってくださいねー」
ベッドから起き上がりネグリジェ姿を晒したクロが両の掌を横向きに合わせる。すると彼女の衣服が昨日のふざけた軍服に変わり、シオンを捕える結界が消失した。
「……ふふ。いい顔してますね」
「ああ。おかげさまでな」
立場を気にした真顔でも怯えた泣き顔でもない。苛立ちを抑えられず口角をピクピクと痙攣させるその顔は今までにないほどに人間臭かった。
「で、どうでした? クロちゃん特製結界は。性格悪くてごめんなさーい」
「めちゃくちゃむかついた。よくもあんなに悪口が出てくるな」
「私の目的はあなたを魔王にすること。あなたに私の培ってきた全てを引き継ぎたいんです。傷ついてしまったのなら謝りますけどあなたには立派な魔王になってもらわないと困るんです。そのために感情由来の陰魔法の使い方を……なんで笑ってるんですか?」
「はは……いや、似てると思ってな。こっちの話だよ、気にしないでくれ」
笑みが零れてくるのをシオンは止めることができなかった。似たようなことをウォルツに言ってしまったから。才能のない者が才能のある者に夢を託す。その気持ちは痛いほどよくわかる。口うるさくもなる。きつい言葉になってしまうこともある。それだけ期待しているから。
「あいつはわかってくれなかったんだろうな……」
「さっきから何の話です?」
「あんたの優しさはわかってるって話だよ」
「やさっ……!?」
託された者ができることは、託してくれた者に報いることだけ。シオンは優しいと言われて普通に照れているクロに訊ねる。
「陽魔法の結界術にできることは条件を定めた壁を作ることだけ。その内側をどうこうする技術は結界術にはない。どういう原理だ?」
「べ、別に私は優しくなんて……こほん。正直言うと原理はわかりません。陰魔法に教科書はありませんからね。ただシオンくんに私レベルの結界術を扱うのは難しいと思います」
「と言うと?」
「つまりは才能です。私は結界術以外の魔法が使えません。でも本来結界術すら使えないはずなんです。学校に通う間もなく生贄にされましたから。ずっとずっと頼れるのは自分だけでした。自分の居場所は自分で作るしかなかった。結界術を覚えようとしたのではなく、必死に生きた結果身体が結界術を覚えたんです」
自分の居場所がないという絶望。それにシオンは一日すら耐えることができなかった。クロはどれだけ長い時間それに苦しんだのか……あるいは今もまだその苦しみの中にいるのだろうか。
「私の結界術は結界内のものを好きに変えることができます。大きさや精度によって難易度は変わりますが、さっきみたいなトラップは簡単に創れる。あとは既存の結界を書き換えたりですね。他の人やモンスターにはない才能です。シオンくんのバフ魔法もそうだったんじゃないんですか?」
弱い自分を隠すために、弱い人に戦う力を与えるために身に付けたバフ魔法。弟子はいるが、シオンほどの精度は引き出せていなかった。これがクロの言う才能。もっともシオンはそれ以前として陽魔法の才能自体がなかったのだが。
「自分の拠り所を失った絶望……私が結界術を使えなくなったらと思うと……言葉にできません」
「……やっぱり似てるよ俺たち」
さて、聞きたいことは聞けた。後は実戦に移すだけだ。シオンはクロから距離を取り口を開く。
「クロ、戦おう。お前に託された魔王への夢を叶えるために」
過去に想いを馳せながらしっとりと語っていたクロの魔力が吹き上がり部屋に満ちていく。
「あのですね。私を殺せるくらい強くなってくださいっていうのは未来の話です。あなたが陰魔法を使えるようになってからまだ一日も経ってない。それで勝とうだなんて、さすがにちょっと不愉快です」
ある程度陰魔法の使い方を理解したとはいえ魔力量はクロの方が遥かに上。その圧倒的な強者の余裕に思わずシオンの脚が後ろに下がる。
「そうだ、賭け事をしましょう。ただ単に追い払っただけでは私に旨味がありませんから。こんなに広いお屋敷なのに使用人の一人もいないと格好がつかないでしょう? 私が勝ったら執事になってください。もちろんあなたは未来の魔王、絶対服従はこのお屋敷の中だけ。どうですか?」
「それはいいけど俺が勝ったら?」
「あなたが勝ったなら当初の予定通り私を殺して魔王軍幹部末席に座ってくださいよ。まだまだあり得ない話ですけどね」
「はぁ……じゃあ一緒でいいよ。屋敷の中では絶対服従のメイドになってくれ」
「……まさか私を人間だからって理由で殺さないつもりですか? 私は人類の敵、魔王軍幹部ですよ?」
「どうだろうな。とにかく始めよう。たぶんもう俺の方が強いから」
「昨日はあんなに怯えてたのに何なんですかその代わり用は。とりあえずちょっと待ってください」
クロが印を組むと部屋の形に沿って結界が生成される。何の効果があるのかはなんとなくわかった。
「これは契約の結界です。この結界の中での約束は契約になって果たされます。つまり負けた方が相手のペットになるという契約は絶対のものとなりました」
「そんな話初耳なんだけど……」
「ペットもほしかったんですよ。私に懐いたかわいいペットが。せっかくちょうどいいのが目の前にいるんだから……ねぇ?」
クロのジトっとした瞳が妖しく揺らめく。昨日シオンを犬扱いしてかわいがっていた時と同じ瞳だ。
「ついさっき優しいって言ったばかりでなんだけどお前普通にドSだよな……」
「失礼ですね。かわいがり、ですよ」
クロの腕が印を組むために動き出し勝負は始まった。この両の手が重なった瞬間詠唱もなしに絶対的有利な結界が形成される。その間に唱えられる魔法はせいぜい一つ。
「『弱化』!」
「はい終わりです」
魔法を唱えた瞬間、シオンの周囲に結界が形成される。効果はおそらく先ほどのトラップと同じ、魔法の封印。
「デバフ魔法ですか……バフ魔法の正反対だから感覚的には使いやすいでしょう。効果もかなりのもの。一瞬食らっただけで体感普段の八割程度の魔力しか使えなくなってますね。でもだからなんだって話。非力なシオンくんじゃその結界は壊せな……!?」
勝ちを確信したクロの言葉が詰まる。形成したレンガほどの堅さの結界が、まるでガラスのようにシオンの蹴りで粉々に破壊されていたのだ。
「なんで……とにかくもう一回!」
「『混乱』」
パニックに陥りながらも再び結界を張ろうとしたクロの瞳に、シオンの手から放たれた円形の光線が吸い込まれていく。次の瞬間形成された結界は、シオンが触れるまでもなく崩壊した。
「どうして……結界術が使えない!?」
「『弱化』、『混乱』、『弱化』、『混乱』」
混乱魔法を食らったクロの瞳の中に光線と同じ円形の図形が刻まれる。身体の自由が効かずふらふらと揺れる中、デバフ魔法が容赦なく追い打ちをかける。
「結界術の説明にならない説明を聞いてわかったよ。クロは理論じゃなく感覚で魔法を使ってる。だったらその感覚を崩してやればいいだけの話だ」
「う……うぅ……っ」
度重なる混乱を受け、もうクロは目の前にいるシオンの姿が見えていなければどこから聞こえているかもわかっていない。激しい酩酊のような状態にただ立っているので精一杯だ。
「ひ……卑怯ですよ……デバフに状態異常……そんな卑怯な戦法で……!」
「狡猾に、陰湿に、性悪に、ねちっこく戦え。そう言ったのは自分だろ? 俺はそのアドバイスに従っただけだ」
人間では到達できない高度な結界術を自力で覚えたクロ。だがそれ故に基礎的な部分はまるでなっていない。その弱点を見抜いたシオンは千鳥足になっているクロの背後に立つと、その口を塞いで舌を摘まんだ。
「やっぱり勉強って大事だよな。『吸収』」
吸収の魔法はアンデッドやサキュバスが使用する陰魔法専用のもの。感覚だけで使おうとすれば習得に数年を要するだろう。しかしモンスターの生態を深く学んでいたシオンは習性から使用方法を逆算。既に自由に扱えるようになっていた。全てを奪われながらも
「ぁ、ぁ、ぁぁぁぁぁぁぁぁ~~……」
本来『吸収』は肌に手を触れエネルギーを吸収する魔法だ。だがシオンは魔法系統やサキュバスの生態を踏まえ体内に直接触れた方が効き目が良くなると予測。舌からクロの魔力を吸収していく。そしてそのシオンの思惑は正しかった。ものの数秒でクロの身体はピクピクと痙攣を始め、瞳から光が失せていく。もう手は印を結ぶどころではなく、指すら自由に動かすことすらできなくなっている。声も喉から漏れているだけで意識があるものではない。
「結界の中でお前に煽られながら考えてたよ。バフが使えない状態で格上にビビらないようにはどうすればいいか。簡単なことだった。自分と同じ無能まで堕ちてもらえばいいんだ」
クロの身体に満ち溢れていた魔力が徐々に、だが確実にしぼんでいく。まるで魔力を女神に奪われたシオンのように。
「しょ、しょんな……私が負ける……なん……て……」
やがて完全に魔力を失ったクロの身体は自力で立つことすらできなくなり、ベッドの上に倒れる。指で摘ままれた状態で力を失ったことで舌を口から漏らすその顔はまるで犬のようだ。
「悪いな。才能が違う」
陰魔法を習得してから約六時間。シオンは魔王軍幹部の一人に勝利した。




