第1章 第15話 実験
『神託』によって魔力を失ったシオンが魔王と契約し、勇者の力を奪おうとウォルツを襲い返り討ちに遭った。そのどこからともなく広がった噂を心の底から信じている人間は決して多くなかった。バフによって困った人間に力を貸し、多くの人々を救ってきたシオン。あまりにも彼の功績は大きかった。
それでもウォルツの呼びかけに応じ、彼の弟子の処刑に立ち会った理由は一つ。その方が都合がよかったからだ。噂の正確性は定かではないが、シオンが魔力を失い行方不明になったのは事実。消えた人間を尊重しても腹は膨れない。ウォルツを勇者として祀り上げ、魔王を討伐してもらうことが彼らにとって一番楽な選択肢だった。
だから噂が正しく、次期勇者として讃えたシオンがモンスターの気配を漂わせながら生きて姿を見せたことは。民衆にとって、最も都合が悪い出来事だった。
「なぜだ……なぜ生きている……シオンッ!」
逃げ場のない結界の中に囚われ、モンスターの魔力を直に浴びて悲鳴を上げる人々。その悲鳴の中に一際大きなウォルツの絶叫が轟いた。
「お前は確かに殺したはずだ……あのダンジョンの中で魔力のないカスが生きていられるわけがねぇ……一体何しや」
「今すぐこの拘束を外しなさい! あなたたちでは師匠には勝てない! わかるでしょうこのモンスターの気配! 師匠はアンデッドにされたんです! おそらくその別格な気配を漂わせる女……魔王軍幹部のアンデッドに!」
デバフを受け大剣の重さに跪くウォルツに、手錠で拘束されて動けないアルピナが叫ぶ。
「私が……私が殺してあげないと駄目なんです……! 師匠は……師匠はぁ……っ!」
使命に駆られ、即座に魔の手に堕ちたシオンを倒す決意を固めるアルピナ。しかし心に嘘はつけない。その瞳からは喜びの涙がとめどなく溢れていた。
「アンデッドではないんだけどな……説明しても信じてくれないか」
「ですね。魔王軍幹部のアンデッドは別の女です。まぁ私も幹部ではありますけどね」
様々な感情が交錯する舞台の上。主役の座をかっさらった二人は呑気な会話をしていた。
「ていうかあの刮目せよってやつはなんだ?」
「ハッタリは大事でしょう? シオンくんはあの勇者みたいなプロパガンダが苦手ですからね。私がしっかり支えてあげないと」
「でもさすがにあれは恥ずかし……」
「あーあーそういうこと言ってるからだめなんですよ! 演技は過剰すぎるくらいがいいんです! この軍服だって魔王軍幹部らしく振る舞おうと思って着てるものなんですから! シオンくんのプロデューサーとしてこればっかりは譲れません!」
何の意図があるのか全くわからない言い合い。それを尻目に見ながら、身動きの取れないウォルツはビビって動けないででいるドーラとカイを近寄らせた。
「おい、あいつを殺せ。ここで殺せれば余計な嘘も必要なくなる……俺の勇者としての地位は盤石だ」
「でもあのシオンだよ……あいつのやばさはウチら同期が一番知ってんじゃん!」
「ビビるこたねぇ……あいつの欠点は何一つ変わってねぇんだからな。生きてようがモンスターになろうが、あいつに魔力がないことに変わりねぇんだ」
「確かにな……魔力もないんじゃバフも使えない。そんな奴に上級職の俺らが負けるわけがねぇ!」
ウォルツの指示を受けた二人は覚悟を決めて魔力を練り上げる。その間にウォルツは観衆へのアピールを始めた。
「何も心配することはねぇ! 俺は勇者、悪を討ち滅ぼす者だ! 善良な人々に恐怖を与える魔の者は俺が必ず倒してみせる! 俺こそが正義だ!」
力を振り絞り大剣を背中から下ろしたウォルツは、立ち上がってそう叫ぶ。すると観衆の恐怖の感情は一気に逆転する。被捕食者から捕食者へ。正義という言葉は悪意のない人々には最高のバフだった。
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「ほらほらシオンくん、あーいうのですよああいうの!」
「結局他人任せにしてるだけだろ。あれが正解だとはまるで思えないけど」
覚悟のある者に力を与え共に戦う。そのかつての主義と真っ向から反するウォルツのやり方に疑問を覚えるシオン。悪意なき殺意を身に受けながら、彼はそれでも冷静だった。いや、既に怒りが頂点を超えていたのだ。
「まぁ何でもいいか。俺の大切な人を奪うことが正義だって言うのなら、俺は悪でいい。魔王としてこの世界を滅ぼすだけだ」
「ふふ、さすがは私の魔王様。では存分にお暴れください」
負の感情から返還されるドス黒い陰魔力を滾らせるシオン。その差別を許さない心にときめいたクロは片膝をついて薄く笑った。
「魔力充填完了! ウチの最大火力で燃え尽きろ! 『上火』!」
魔力を強く練り上げたドーラが自身の最高威力である巨大な火球を作り上げる。魔法使いの最高職、魔導士が繰り出す上級魔法。その火力で焼けなかったモンスターはこれまでの戦いで存在しなかった。
「……理論上はいけるはずだ」
迫りくる火球に対し、シオンはただ手を伸ばす。そして人間が扱うことのできない陰魔法を唱えた。
「『吸収』」
本来アンデッドやサキュバスが対象の人間に直接触れて生命力を奪う魔法、『吸収』。だが陰魔法の可能性を追求したシオンは、モンスターが知らない結果に辿り着いていた。
「そんな……ウチの魔法が……消えた……!?」
視界を埋め尽くすほどの巨大な火球は、シオンの左腕に吸い込まれるように消失する。その超常的な現象の直後間髪入れずに迫ってくるのは武闘家のカイ。トレーニングなど一度もしたことがなかったが、格闘の才能に目覚めたカイの拳は硬い壁すらも一撃で破壊することができる。狙いは炎が直撃し、焼け焦げているはずの左腕。
「おらああああ……ぁぁぁぁ……!?」
だがその大振りの一発は、シオンの拳に受け止められ完全に勢いを消されていた。
「嘘だろ……魔力もない雑魚のくせに……なんで……なんで……!」
その拳の威力はシオンの足元で砕け散った舞台の破片が証明している。魔力のない人間……あるいは魔力があったとしても受け止められるはずがない一撃だった。それなのに押しても引いてもまるで動かない。その事実に振り払ったはずの恐怖が蘇ってくる。
「ククク……」
目の前で繰り広げられるありえない光景に、観衆もウォルツたちも声を失っていた。その中で響くのは、陰気な笑い声だけ。
「はっはっはっはっはっはっはっは!」
噛み殺したような笑い声はいつしか高笑いへと変わっていく。同期どころか弟子すらも見たことのない、大きく豪快な笑み。その笑い声はまるで想像上の魔王のようだった。
「な……何がおかしい……!?」
「はは……クク。笑う理由なんざ一つだけだろ。楽しいから笑ってるんだよ。実験は完全に成功した。陰魔法の扱い方は陽魔法にも応用できる。俺のやりたいことが何でも叶えられる!」
陰魔法というものの存在を人間は知らない。モンスターが扱う不気味な魔法という認識だけで、陰の魔力自体ただのモンスターの気配としか考えられていない。だからシオンの仮説が実証できた今、笑みを抑えることができなかったのだ。
「力のない人間は身体能力に変換できる陽魔法を選び、知恵のないモンスターは高性能の陰魔法を選び取った。じゃあ高性能の陰魔法を知恵を使って深掘りしていけばどうなる? 『吸収』は生命力だけじゃなく魔法そのものを吸収することができた。もちろん簡単なことじゃない。火魔法の構造を完璧に理解しているからこそできた技だ。火を更生する魔力を一つ一つ読み取り基となった魔力に変換、吸収する。擬似的に陽の魔力を手に入れたわけだ。そして応用が利く故に複雑な陰魔法で掴んだ魔力の操作を陽魔力で行う。本来全身に行き渡るはずの身体強化を左手に凝縮して盾にした。人々が俺を見限ったのは勇者になれなかったからじゃない。魔力を失ったからだ。じゃあ今の俺は、人々にとって何なんだろうな」
ブツブツと自説を解くシオンの言葉をカイは何一つ理解できない。ただわかるのは、シオンの左拳になくなったはずの魔力が激しく灯っているということ。
「お……お前は言いたいんだよ……!?」
「俺のやりたいこと全部叶えられるってことだよ! 『強化』ゥ!」
失っていたのはたかだか一ヶ月。懐かしいとも思えない。ただシオンの中に満ちていたのは、一生取り戻せないと思っていた十年間の努力が返ってきたことへの悦びのみ。
「ぐぶごへぇっ!?」
わずか0.00000001秒に凝縮された右拳の魔力。その塊が拳と共にカイの腹にめり込み、彼は激しく乱回転しながら観衆の中に落ちていった。
「『強化』」
刹那の強化を終えたシオンは再びバフをかける。今度は50秒、全身への強化だ。
「バ、『壁』! 『壁』『壁』『壁』!」
一瞬にも満たない内に倒された仲間の姿を見て完全に恐怖に陥ったドーラ。一心不乱に透明な壁を自身とシオンの間に打ち立てていく。
「そう急かすなよ。まだまだやりたい実験は残ってるんだ」
この一ヶ月間陰魔法を学んできたシオンの脳内には常に願望が渦巻いていた。バフ魔法さえ使えれば、と。陽魔法の吸収によりそれを叶えたシオンは、悪魔のように笑うと『強化』によって得た魔力を右の中指に圧縮していく。その指を折り曲げ親指で抑えると、力をさらに一点に集中させる。そして解き放たれる技はただのデコピン。
「『強化射』!」
だがその威力は拳の一撃にも劣っていない。一点に凝縮された力が解き放たれたことで生じた空気の弾丸。それはドーラが張った壁をいくつも貫通していき、炸裂する。
「あぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
その一撃を身に受けたドーラの身体は嵐に直撃したかのように吹き飛び、クロが張った結界へと激突する。ヒビが入った結界にめり込む彼女はまるで磔にされているかのようだった。
「やはり陽魔法は身体になじまないな……経験で導き出した想定より威力が低い。でも応用は今までの比じゃない……これができるならあれも……クク……」
人々の希望、勇者パーティーを遊ぶように各個撃破して笑うシオン。
「たーのし」
その姿は誰から見ても、まさしく魔王と呼ぶにふさわしかった。




