第1章 第11話 バフ
「この辺りは物騒です。私がバフ魔法をかけたからよかったものの、今後は気をつけてください」
威風堂々とした声音、慇懃無礼にも見える冷たい表情、その奥に感じる確かな正義感。身に纏う戦闘用の修道服は穢れを感じさせず、それでいて大人びた美しい容姿は現実の厳しさを突きつけてくるかのようだ。そして何より、思わず屈服させたくなるこの感じ。とてもよく似ている。クロは確信した。この自分を助けてくれた少女こそが、主シオンの弟子。アルピナ・ムーンなのだと。
「アルピナ……!?」
「……師匠!?」
クロの予感が当たってしまった。自身を追ってきてくれたシオンとアルピナの視線が合い、お互い固まってしまった。シオン曰く、『俺が言うのもなんだけどアルピナは真面目過ぎるんだよ。俺が生きていてしかもモンスターの気配を漂わせてるとなったらアンデッドになったと判断されて攻撃される。魔王としての才能に目覚めましたなんて言ってもモンスターの戯言だと信じてもらえないだろうし、たぶん今の俺じゃアルピナには勝てない』。
変装は看破されてしまったが魔力は抑えてある。しかし直前の店主の言葉でシオンのネガティブな感情が増幅されている。いくら魔力を抑えているとはいえそれは魔王軍幹部の力。魔王としての才能を抱えたシオンがその気になれば破られるだろうし、今のシオンのメンタルはその気になってもおかしくないものがある。
(抑えて! 抑えてくださーい!)
クロがアルピナの隣で腕で大きく×を作るが、おそらくシオンの目には入っていない。表情はいつも通り堅いがこの一ヶ月一緒に暮らしたクロならわかる。まずいという感情が一割。残り九割は間違いなく弟子との再会に喜んでしまっている。
「師匠……師匠ですよね……!?」
「ひ、人違いでは……?」
(演技が下手過ぎる……!)
予測外の出来事に弱いことは知っていたが、目が泳ぎに泳ぎまくっているシオンに心の中で突っ込むクロ。アルピナもまるで信じておらず、喜びのあまり身体が小刻みに震えている。
「間違いありません……顔、声、体格、仕草、匂い……全部師匠です……! 師匠……ししょおーーーー……!」
氷のような冷たい表情から一変。アルピナは満面の笑みと喜びの涙で顔を飾りながらシオンに抱き着く。弟子に抱き着かれたシオンは背中に腕を回し頭を撫でようとしたが、すんでのところで正気に返る。
「ほ……本当に人違いです……シオンなんて人全然知らなくて……!」
(アルピナさん一度もシオンくんの名前出してないでしょ!)
「ほ……本当に師匠じゃないんですか……!?」
(なんでこの子も信じてるの!?)
真面目な二人の真面目故の噛み合わなさに心の声が止まらないクロ。このままでは埒が明かない。クロは軽く咳払いをすると演技を再開した。
「ひどいわ! 私という者がいながら他の女性と抱き合うだなんて! 一番大切な人は私じゃなかったの!?」
まるで泣いているかのように目元に指を添え、大袈裟に身体を動かすクロ。少し本音が含まれているせいか、自分で想像していたよりいい演技ができた。
「し、失礼しました! 人違いです! この方はとても師匠とよく似た殿方です。義理に厚く決して人を裏切らないはず。どうぞご安心ください!」
クロの泣き真似に騙されたアルピナは慌ててシオンの身体から離れる。一旦は誤魔化せたが、変装が全く通じていないのは事実。一刻も早くアルピナから離れる必要がある。
「本当に申し訳ございません……少し精神的に参っていまして……」
「……その原因は師匠……シオン・オーラのことか?」
自分が原因で弟子が苦しんでいる。その事実にシオンの口が動いてしまった。これ以上余計なことを言わせないようクロも慌ててシオンに近づく。
「全く面識がないから聞いた話になるが……そのシオンって奴は悪人で死んだんだろ? だったら……」
「師匠は悪人なんかじゃありません! いくら魔力がないからといってあの程度の下奴に暗殺されるわけがない……絶対に生きています! だから! ……いいえ、何でもありません。師匠は悪人です……それがきっと、師匠の望みですから」
思わず出てしまった擁護の言葉を取り消すアルピナ。勇者が勇者として讃えられている現状は歓迎されるべきというシオンの方針をいまだ忠実に守っている。シオンにとってそれはうれしくもあり、同時にとても悔しくもあった。
「でももし死んでたとして……アンデッドとして蘇って帰ってきたらどうする?」
「殺します」
「…………」
「師匠の目的はモンスターの討伐でした。たとえ自分自身だとしても、モンスターなら存在を許さないはず。かといってこう言うのも無礼なのですが、師匠に自死する勇気はありません。だから私が殺します」
そう語るアルピナの目に一切の曇りはない。事前にシオンが予測していた通りの展開だ。やはりアルピナと会話し続けるのはリスキーすぎる。クロは逃げの算段を付けるが、それより早く別の人間が逃げ出した。
「へっ、馬鹿が!」
眼中になかったせいで全員が忘れていた。ナイフを引ったくった男を拘束していないことに。再びナイフが入った木箱を抱えると、魔力を行使した脚力で大通りを走り抜けていく。
「……追わなくていいんですか?」
「えぇ!? 捕まえてくれないの!?」
アルピナの真面目さを考えるに犯罪者は許さない質かとクロは考えていたが、彼女は一歩も動かずただ逃げる後ろ姿を追っていた。
「私の目的は師匠と同じ、魔王の討伐です。つまり人間は敵ではありません。もちろん犯罪者は捕まえるに越したことはありませんが、被害者が目の前のいるのでしたら私はその方の手助けに尽力いたします」
「……と言うと?」
「俺たちに自分で解決する覚悟があるのなら助けてくれるんだとさ」
アルピナの発言を噛み砕いて説明するシオン。それこそがシオンにとって、助けるということだった。
「ですがお詫びも兼ねてここは私が動きましょう。……中々速いですし40秒といったところでしょうか。『強化』」
その短い詠唱を言い終えた瞬間。アルピナの姿がシオンたちの視界から消えた。いや正確にはまだ辛うじて見えてはいる。建物の壁を走り、引ったくり犯を追うアルピナの姿が。
「今がチャンスですシオンくん! 早く逃げましょう!」
「……バフ魔法『強化』は端的に表せば魔力を100消費して、対象に100秒間限定で魔力を100付け加える魔法だ」
今すぐにでも逃げ出したいクロだが、シオンの視界に映っているのは弟子の姿だけ。おそらくクロよりアルピナを優先しているわけではない。ただ単純に師匠としての務めを果たしているだけ。そう考えたクロは一度ため息をつき、シオンに訊ねる。
「でもそれじゃあ自分に使った場合は魔力量は変わらなくないですか?」
「そこがバフ魔法の本質だ。バフは通常100秒間。だがそれを10秒間に圧縮することができる。時間が短くなれば効果も10倍に圧縮され、100与えられる魔力が1000に変わるんだ。もちろん時間の圧縮は細かくなればなるほど難度が上がるし、効果時間を短くし過ぎたら肝心なところで効果が切れる。自分に実現可能な範囲でどこまで圧縮するか。その見極めこそがバフ魔法使いの技量だ。そして魔力をさらに圧縮し一撃に全てを込める技が」
遥か遠く。米粒ほどの大きさになったアルピナの姿が、ほんの一瞬大きな魔力の光に包まれる。そして光から少し遅れ、音が届いた。
「『強化撃』」
同時に破壊音と男の悲鳴が街中に轟く。付近の建物を超える高さまで浮かび上がった土煙にクロが口をあんぐりと開ける中、木箱を抱えたアルピナが戻ってきた。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。死なない程度に気絶させてきました」
「ありがとう。文句の付けようのない技量だ。強いて挙げるなら殴った手にダメージを負っている。ライズで上昇した分の魔力とは別にもう少し拳に魔力を乗せて自分の身体を守った方がいい」
もう完全に師匠顔でアドバイスをしてしまうシオン。彼に木箱を渡しながら、アルピナは短くつぶやいた。
「自分のことなんてどうでもいいです」
「……それも師匠の教えか?」
「ええ。目的のためなら自己を厭わない姿。それこそが師匠の理想です」
アルピナの言葉に間違いはない。人類の平和のためなら自分が犠牲になっても構わない。実現できるかは別の話だが、かつてのシオンはそう思っていた。でもそれは自分に対してだ。
「俺は! ……俺はその師匠じゃないけど、でもその師匠だとしたら。君にもそうなってほしいとは思わなかったはずだ。助けたい大勢の中には君もいる。だから幸せに……」
「私だって師匠にそう思っていました! でも師匠は私に相談もせずダンジョンに入り消えてしまいました……おそらく勇者に技術を継承するために。だったら私もそうありたい……自分なんてどうでもいいんです。だから私はあの憎き勇者に……」
「騒ぎがあったから来てみれば。探す手間が省けたぜ」
二人だけの世界を引き裂くように。元凶が姿を現す。
「もう一度言うぜアルピナ。俺のパーティーに入れ」
勇者ウォルツ・スペード一行が、次期魔王の前に現れた。




