7.信じない
この城のトイレはかなり綺麗だ。城の造り自体は石で趣があり古くから使われていることが分かるが、城中の部屋という部屋は最近リフォームされたんじゃないかってくらい綺麗な内装をしている。
くもりひとつ無い鏡に映り込む自分が見えた。
「くそっ……」
壁のタイルを殴りつける。
ついさっきの、あの成村の笑顔が頭から離れなくて無性にイライラしていた。この感情を知っている。これは悔しさ。
打算なく向けられた無垢な笑顔に、ユウは負けたのだ。常に損得を滲ませる汚れきった偽りの笑顔しか出来ないユウに、彼女は無知な笑顔で殴りかかってきた。
これまで散々人の顔色を伺って来たユウだからわかる。あれは多少なりとも信用のある人間に向ける顔だ。男嫌いの彼女が勇気を振り絞って、最初に心を近づけた相手がこんなクズだなんて。それに罪悪感を覚えてしまうだなんて。人間嫌いの自分が、そんな感情を抱いてしまうなんて。
今までの自分の全てを否定された気がして、ユウはみっともなくその場から逃げ出した。はなから信用を得ようとして近づいたのに、その兆しが見えた途端に怖くなって逃げ出すとは、何とも滑稽な話だ。
「はぁ……何やってんだ俺」
何だか馬鹿らしくなってきた。早く戻って彼女に謝ろう。突然走り去ったせいで変に思われているはずだ。少しとはいえ、信用を向けてくれたのならばそれでいいじゃないか。所詮はどうでもいい人間、罪悪感を抱く理由なんてない。
ユウは再び訓練場に戻る事にした。
訓練場に戻ると、遠くに成村と星野が話している姿が目に入った。さっさと謝ってしまおう、そう思い成村達の方へと駆けていく。
「おーい、なり……じゃなかった、ちよ」
「おい!バカ止まれ!!」
横から大声が聞こえたその瞬間、目の前が真っ白になった。
――――――
――――
「……ぃ……おい!しっかりしろ!おい!」
「っ!?」
目を覚ますと、何故か目の前に強面の顔がある。
桐山大河だ。状況が読み込めない。
慌てて飛び起きると、一神達が心配そうに駆け寄ってきた。
「ユウ、大丈夫か?」
「光汰……俺どうして」
「桐山くんの雷の魔術が当たっちゃったんだよ」
星野が事情を説明してくれた。どうやらユウの不注意で、桐山の魔術射線上に入り込んでしまったらしい。
「俺、何分くらい気を失ってた?」
「ほんの一瞬、数秒で飛び起きてたけど……」
身体は全然痛くない。気分も悪くない。普通電撃を浴びたら死ななくとも火傷なり体調不良なりを起こすものだが、もしかしてこれは〈超回復〉の影響なのだろうかと思う。
「と、とにかく早く医務室に……」
桐山が随分焦った様子で言った。
意外だった。てっきり桐山のことだから、「確認もしねぇで入ってきやがって。俺の邪魔してんじゃねぇぞ」とか言い出すと思ったのだが。そんなまさか、もしや責任を感じているとでも言うのだろうか。
「いや、俺は全然平気だよ。怪我とかもしてないみたいだし」
「ダメだ。早く行くぞ」
「え、ちょっ」
桐山はユウの腕を掴んで引っ張り上げる。いくら力があっても人一人をこうも易々と、これも強大なマナの影響か。しかしさっきから桐山が何をしたいのか、ユウは全く読めない。まさか自分を心配しているなんて、そんなこと有り得ないだろうし。
一神達もぽかんとした顔でユウを医務室へ連れていく桐山の背中を眺めていた。
*
城内の医務室は学校の保健室に似ている。当然保健室より数倍大きく、ここへ訓練などで怪我した兵士たちが運ばれて来るのだろう。
ユウはベッド上の白いシーツに腰掛け、絶妙な気まずさを感じていた。
「あ、ありがと桐山……くん」
「桐山でいい」
「あ、桐山……ここまで運んでくれて」
「別に、大したことじゃねぇ」
苦笑いしながら、混乱した脳内で必死に考えを巡らせる。
ーー何なんだこいつマジで。一体何が目的だ?俺に恩を売るつもりか?いや俺みたいな弱い奴に恩を売ってどうなる、メリットがない。何だ……何が狙いなんだ……。
「そ、」
ユウが思考していると、桐山の口が動いた。
「そ?」
「その、悪かった……俺がもっと注意してたら……」
桐山の表情を見て、ユウは歯を軋ませた。その表情が、どう見ても心配とか負い目とかそんな彼の感情を匂わせるからだ。
ーー嘘だ、俺は騙されない。
ユウは知っている。人間は自分にとって益の無い者にそんな感情を抱いたりしない。こいつにとって、ユウなんてどうでもいい存在の筈だ。こんな役立たず死のうが生きようが彼が得することなんて何もない。そんな奴相手に心配だとか、申し訳ないだとか、そんな訳ない。そんなはずない。
心の中に表現仕様のない怒りにも似た感覚がある。それを噛み殺してユウは、
「ありがと、心配してくれて。桐山って意外といい奴なんだな」
「ば、バカ言うな……っ。俺は、ただ自分のせいでお前に何かあったらその、寝覚めが悪いだけだ」
ーー嘘だ、信じない。
心の中で呪文の様に、ユウは唱えている。
そうて必死に気持ちを落ち着かせ、桐山に問いかけた。
「ねぇ桐山、俺と友達になってくれない?」
「なっ、はぁ?なにを」
「桐山は良い奴だよ。友達になりたいって思うの、当然だよ」
「ばっ、…………。」
桐山は黙り込んでしまった。
本当はこんな奴に取り入る必要も無い。ただ何となく、桐山という人間が気になった。ただそれだけの理由でユウは仕掛けた。ユウは知りたかったのだ。彼の醜い本性を。
「お前、俺が怖くねぇのかよ……」
やっと喋ったと思ったら、桐山は突然暗い顔を見せた。
桐山大河という人間は元いた高校で知らぬ者はいない、それ程に恐れられた存在だった。それは彼が不良だから、目付きが悪いから、喧嘩三昧の日々だから、ただそれだけの理由では無い。本当に彼を恐怖の象徴たらしめたのは、彼に付きまとう噂。人を殺したと言う噂だ。彼と同じ中学だった連中が触れ回ったのだ。事実かどうかは知らぬが、日頃の彼を見ていたら確かにやっていてもおかしくない、皆そう思うのだろう。
「怖くなんかないよ。本気で怖いなら友達になって、なんて頼んでない。桐山は良い奴なんだって、俺は分かってるから」
「っ、馬鹿じゃねぇのか……」
桐山はそっぽを向いて、そのまま何も言わず医務室の出口へと向かった。
その背中を眺めながらユウは、突然俺は何を言い出しているんだと急に思考が冷えてバカバカしく思えてきた。
その時、出口へ向かっていた足音がピタリと止まった。
「雨宮……しばらくは休んでろよ」
ぼそっと小さな声で呟き、彼は医務室を後にした。その背中を見送ったユウは今も、妙な苛立ちを感じていた。
――――
――
医務室のベッドで目を開けた。
室内の壁に取り付けられた時計を確認する。
午後十五時二十分。
医務室に来て眠りについてから、まだ一時間しか経過していない。
近頃の身体の変化には気がついている。全然眠くないのだ。朝も昼も夜も、常に眠気というものを感じない。感じないからと言って眠れない訳ではなく、眠ろうと思えば眠れる。ただ地球にいた頃は日々眠くて仕方がなかったというのに、何だか凄く気持ちの悪い感覚だった。
しかも話は睡眠に限ったことではないのだ。空腹も同様に朝昼晩、常に感じない。とはいえお腹が一杯で食べられないとか、食欲がないなんてこともない。
しかしこの変化はどうやらユウだけのようで、同じ地球人の一神達は眠気も空腹も正常に感じているみたいだった。つまるところこれはユウだけの特性。
原因は恐らく〈超回復〉の効果だろうと思っている。
宮廷魔導神官ローゼルに鑑定してもらった加護〈超回復〉は、常に自身の身体を最も健康な状態にまで回復すると言うもの。この健康な状態とは、空腹も眠気も感じていない、最も身体がベストな状態の事なのだろう。ということはだ、多分酒にも酔えない。もう今後一生疲れ知らずの体で、眠くなることも無く、空腹時の美味しい食事も楽しむことが出来ないのだ。
睡眠食事が必要ないと聞くと物凄く便利なように聞こえるが、実際にはデメリットも大きいようだ。
「お加減はいかがですか?」
「――わっ!?」
左耳元から突然声が聞こえ、飛び上がった。
アリスだった。
「な、なんだアリスか……」
「ご、ごめんなさい。脅かすつもりはなかったんですが」
彼女が隣にいたことに今の今まで全く気付かなかった。
しかしなぜ彼女はここにいるのだろう、と思う。
この医務室には今ユウしかいない。つまり彼女が怪我でもしていない限りは、わざわざユウに会いに来たということになる。
「あのアリス、どうしたの?」
「え?いえ、アマミヤさんが倒れたと聞いて」
「つまり……心配で来てくれたってこと?」
「もちろんですよ!」
また噓を。
思わず舌打ちが出そうになった。
しかし前々から気になっていたことだ。何故アリスという少女は自分に優しくするのだろうかと。はっきり言ってユウは勇者パーティーの中で最弱のお荷物だ。当然ユウなんかが魔王を倒すだとか、この世界の助けになるだなんて到底思えない。正直切り捨てられていてもおかしくない。
彼女が一神達に優しく接するのは分かる。あいつらを煽てて良い気にさせておけば、自分を、或いは世界を救ってもらえるかも知れないのだから。現にそれはユウも処世術としてやっていることだ。
だが何故、何の役にも立たない人間に優しく接するのか。心配してくれるのか。
答えは単純だ。なにか他に魂胆があるからだ。そうに決まっていた。そうでなければおかしいだろう。理屈に合わない。
「一神さんたちも、さっき来てたみたいですよ。でも雨宮さんが眠っていましたのでまた後でと……」
「光汰たちが?」
「ええ、特に成村さんはかなり心配した様子で……」
意外、なんてものじゃない。あの成村がユウのことを心配するだなんて、そんなこと本当にあり得るのか。そもそもユウは突然彼女の前から逃げ出したことをまだ謝っていない。彼女は怒っていないのだろうか。
「雨宮さん?どうか、されましたか?」
「……あ、いや」
アリスの声でハッとした。
「いや、アリスに心配してもらえたのが嬉しくて」
「そんな、当然です。だって私達は仲間じゃないですか」
アリスは笑ってそう言った。
まただ、と思う。またその笑顔だ。成村もアリスも、どうしてそんなにも純粋無垢に笑えるのだ。その眩しい笑顔が嫌いなのだ。仲間だなんて、どこまでも胡散臭い言葉で人を騙そうとする、お前たちが嫌いなのだ。
ーー俺は、人間が嫌いだ。だから俺は、誰も信じない……だれも……。
「ありがとね、アリス……」
ユウは今、自分がどんな顔で笑っているのかわからない。
ただその作り笑いが心底気持ち悪く感じて、反吐が出そうなほど不快な感情だけが胸の真ん中に残った。




