16.誓い
この地獄に落ちて、一体どれ程の時間がたったのかユウは知らない。時間の感覚などとうに消え去っている。
一瞬で溶かされ一瞬で再生され、また一瞬で溶かされる。無限にも思われたこの地獄に漸く終わりが訪れようとしていた。
ユウの身体に起こった異変。
幾百、幾千、破壊と再生を繰り返し続けた身体は、いつしか灼熱に対する耐性を得ていた。更に体内に秘められた膨大なマナにより、肉体強度は以前とは比較にならない程の進化を遂げている。
初めに彼の天恵を鑑定したのは宮廷魔導神官ローゼル。卓越した神聖術と能力看破の術は国内でも随一であるがしかし、老父ローゼルの真眼は見誤った。〈超回復〉の真の力を。
〈超回復〉――自身の身体を常にもっとも健康な状態にまで回復させる異能の力。世界が雨宮ユウに齎した最上の加護である。回復に際し必要となる膨大なマナは、彼自身ではなく世界そのものが負担する。大地や草木、大気中から集められたマナはユウの身体に即座に吸収され、肉体は分子レベルで再構築される。その際に修復された肉体は体外から取り込まれた膨大なマナの影響を受け、より強靭な肉体へと進化を遂げて作り替えられるのだ。
器となる肉体の強化。これにより体外から取り込まれたマナは、強化された肉体のマナ保有量の限界値に留まる。
結果、肉体再生の副次的作用により、ユウの肉体とマナは回復前のそれを上回り再構成される。これが幾度となく繰り返されたことで彼の身体は今、人知を超えた領域にまで到達していた。
しかしながらこの肉体強度と熱耐性を以てしても尚、全ての熱を防ぎきることは叶わない。だが身体に伝わる熱伝導速度が著しく低下したことにより、灼熱が身体の内部に到達するより先に皮膚表面が超回復によって修復されるようになった。
熱による影響が皮膚を溶かすまでに留まっているということは、筋肉や骨へのダメージは無いということ。つまり、今は体が動かせる。
下から突き上げるように流動するマグマに身を任せ、辿り着いた先で高温に熱された岩壁を爛れた腕で掴んだ。
息の出来ない苦しみと皮膚組織が死滅する痛みに耐えながら、掴んだ腕に力を込めて惨めにみっともなく崖を攀じ登って行く。
ようやく終わる。
天から降り注ぐ光に涙が滲む。その光を目指して這い上がる。
そして遂に、火口の淵から彼は這い出た。
外の空気に触れ、爛れた皮膚が瞬く間に修復されていく。
全身の服や装備は完全に焼失し、傷一つ無い裸体で固い大地を踏みしめ目を見開いた。
「…………っ、」
火山の頂きから見えた先には、どこまでも広がる青い空と風に揺れる豊な森林が映った。
その眩い景色を前に、ユウの心は震えた。
止めど無く溢れる涙が頬を伝い、地面を濡らしていく。
別に、なんてことのない景色だ。そのはずだ。しかしユウにはそれが嫌なほど美しく見えて、何かとても大切なもののように思えて、溢れ出る涙を堪えることが出来なかった。
泣き崩れるように、力なく地面に膝を付く。
「ははっ……」
泣きながら、笑いが零れた。
先程まであれだけ死にたがっていたと言うのに、今では生きていることにどうしようもなく安堵している。そんな自分への呆れ。
そして――
「あ゛ぁああ゛あああああ――――ッ!!」
怒号と共に地面を殴り付けた。叩きつけた先から大地に亀裂が走り、地盤がめくれ、轟音と共に砂塵が宙を舞う。そして身体中から溢れ出した強大なマナが衝撃波の如く森全体を駆け巡る。
腹の底から湧き上がってくる、真黒な感情。それをただ力任せにユウは叩きつけた。
「くそがぁあ゛ああぁ――――ッ!!」
呪いの様な忌まわしき過去、裏切った彼ら、ユウを地獄へ突き落とした奴ら、それらが澱の様に溜まり濁りあって、腹の底がぐちゃぐちゃになって、もういっそ全部をぶっ壊してやりたくて、力一杯その拳を叩き付けた。
「はぁっ……はぁっ…………」
肩で息をしながら傷一つ無い拳を固く握りしめ、胸に抱き寄せた。
「母さん……やっぱり、あんたは正しかったよっ…………」
いつか、母に言われた言葉が脳内に蘇る。
その言葉を嚙み潰すように、拳を固く握りしめる。
「これで……終わりにしよう…………」
誓った。
「俺はもう……誰もっ、信じない…………」
元々無いに等しかった奴らへの信用は、奈落の底へと失墜したのだった。
*
素足のまま、森の中を歩いた。
現在が一体何日の何時なのか、ユウは知らない。マグマの中に落とされてからかなりの時間が経過したのは確かだと思う。体感では確実に数日は経過したはずだが、地獄のような苦しみであったために長く感じただけという可能性も捨てきれない。マグマに落とされる前の太陽の位置から考えれば、確実に日はまたいでいる。
もしかしたら一神達が戻ってきて今も自分を探しているかもしれない。そんな甘い考えが一瞬頭に過りかけ、首を振ってそんなはずないとそれを否定した。
――あいつらは俺を見捨てたんだ。今更俺なんて探しに来るわけねぇ。
ユウはあの時確かに見たのだ。水晶に映し出された馬車の中に、被害者ヅラして自分を置き去りにする一神達の姿を。「自分だって辛いんだ。でも仕方ないんだ」そんな奴らの言い訳が表情から滲み出ていた。
結局はあいつらも薄汚い人間だったと言うわけだ。自分達が危険となれば、仲間だの友達だの関係なく裏切り見捨てるんだ。
思い返しただけで腸が煮えくり返る。もうあいつらのことは忘れなければ。もう誰も信用しない。たとえ一人でもこの世界で生きていくのだ。そう言い聞かせ、ユウは前を向いた。
「まずは服が必要だな」
今、ユウは素っ裸だ。当然だがマグマで彼の衣服は跡形もなく消し炭にされた。無一文どころか服さえない。これは深刻な問題だ。
唯一幸いだったのが、燃えて無くなった髪の毛が再生されていた事だ。鏡がないから正確にはわからないが、手触りで以前より少し短くなったように思う。
髪の毛は人体の器官の一つで、外部からの衝撃や紫外線、気温の変化から頭部を守る役割を持っていると聞いたことがある。どうやら〈超回復〉のスキルに、髪の毛が全く無いのは健康な状態ではないと判断されたようだ。
「とにかく今は森を抜けよう」
ユウは裸のまま素足で山を下る。雨で少しぬかるんだ泥道と木々の根っこが足元を邪魔してくる。
そのままある程度歩くと森を抜けて平坦な道に出た。
ここだ。この辺りにユウ達の乗ってきた馬車は止まっていた。しかしその馬車は何処にも見当たらない。
分かっていたことだ。何もショックなことなんてない。
そんなことよりも先ずは服だ。こんな格好では街や村にも行けないだろう。誰でもいい。人が近くを通ったら襲ってでも衣類や持ち物を奪ってやろう。そんなことを考えながら歩いていた時だ。
気配を感じた。通常の動物には無い、強いマナの気配。
魔獣だ。
ユウは目を閉じて集中する。肉体の進化により常人離れした聴覚がその気配を察知する。荒い息使い、砂利や枯れた枝葉を踏みつける重たい足音。
――距離五十、大型の魔獣が一体か……。
ユウは足を止め、茂みの奥を見つめる。
奴もこちらの存在を気取った様だ。
――試してみるか……。
重たい足音が猛スピードで近付いてくる。
そして遂に飛び出す様に姿を現した。
そいつはまるで岩の鎧を身に纏った熊の様相だった。五メートルを超える体躯に刃のような巨大な爪と牙を引き下げて、全身を密度の高い岩の鱗が覆っている。
初撃、鎧熊の豪腕が周囲の木々をなぎ倒しながらユウの顔面に差し迫った。
しかし、
――見える……!
その豪快な一振をユウはあっさりと後方へ飛び避け、体勢を整えた。
ユウの身体に起こった異変は、彼自身も自覚していた。身の内に溢れる膨大なマナ、肉体は常軌を逸した人外のそれ。目の前の怪物と合間見えても尚、不思議と負ける気はしなかった。
涎を撒き散らし、鎧熊が咆哮を上げた。
続け様に襲い来る連続の殴打をユウは完璧に見切り、足で躱す。
敵の動きがスローモーションの様に遅延して見える。翼が生えた様に身体が軽い。身体中から力が漲ってくる。
嘗て経験したことの無い高揚感に頬が緩む。
――右の大振り……腹がガラ空きだぜ……!
地面を砕く程の強烈な踏み込みで瞬きの合間に魔獣の懐へと飛び込んだ。
体勢を屈めつつ、左足にしっかりと重心を残した右のオーバーハンドが完璧なタイミングで巨体の土手っ腹に吸い込まれた。
右拳が奴に触れた瞬間、頑強な岩の鎧が大砲でも受けたかの様に無惨に弾け飛んだ。その衝撃の余波で二トン近くはあろう巨体が十数メートルに渡って吹き飛ばされ、木々を破壊しながら地面を転がって行く。
その光景を見ながらユウは唖然とした。
ただのパンチでこの威力。以前からは考えられない進化だ。
ユウはゆっくりと吹っ飛ばした鎧熊へと近づき、目の前で立ち止まった。
鎧熊はズタボロの身体を小刻みに痙攣させてはいるが、まだ絶命はしていない。しかしどう見ても致命傷、反撃の余地は無いだろう。
そう思った矢先、鎧熊は最後の力を振り絞り血を吐きながら豪腕を振り上げた。
その一撃をユウは左片腕のみで容易く受け止めた。
ユウの身体中を覆う厚いマナの層が揺らめいている。
マナ強化だ。練り出したマナを全身、或いは部分的に付与することで身体能力や身体強度を向上させるマナ運用技術。以前は極微弱なマナを全身に付与し維持するだけでも苦労した。それが今では即座の判断で瞬時に運用、安定的に維持できている。体内のマナ総量や出力が大幅に向上したことにより、マナの流れ、マナを操作する感覚が非常に鋭敏になった気がする。
先程の素早い身のこなし、咄嗟に出た格闘のセンス、そしてこのマナ運用技術の飛躍的な向上。まるで自分が自分でないみたいだ。
高揚感が治まらず、ユウは頬を緩めたまま右手にマナを集約させた。
掌に掻き集められた強大なマナが高密度に集約する。
「マナブラスト……!」
容赦なく瀕死の魔獣に向けて解き放った。
轟音――それと共に周囲の草木大地を巻き込む強大な爆発が前方向に放射された。
あまりに予想外の爆発にユウはよろめいて、尻餅を着いた。
「ま、まじか……」
目の前の大地は草木丸ごと無惨に抉り取られ、鎧熊の肉片はそこら中に爆散して原型はもはや知れない。
正直、油断していた。
自分が放った技がどれ程の強度かなんて、考えてもいなかった。だから巻き起こった爆発のえげつない惨状に気が抜けてしまったのだ。この有様ではミサイルで爆撃されたと言われても疑わないかもしれない。
ユウは右手に視線を落とし、それを握り込んで笑った。




