15.非情
落ちていく。真っ赤な大地に吸い込まれていく。
落ちるに連れて熱風が皮膚を焦がし、体内に入り込んだ毒ガスが全身を痺れさせた。
空で藻掻き苦しんだ末に、ついにユウの身体は灼熱のマグマに叩きつけられた。
マグマは粘性が高く、落下時の衝撃は高熱のコンクリートに叩きつけられたようなもの。ユウの全身の骨は落下の衝撃で砕かれ、重度の火傷と麻痺により最早抵抗の余地はなかった。
凄まじい高温により身体が発火。そのままピクリとも動けないユウの身体はゆっくりとマグマに焼かれながら沈んでいき、同時に眼球が蒸発し視界が暗闇へと染まった。
「――ゔ――――――ッ――――っ!?」
悲鳴を上げようにも喉が焼かれて声にならない。
消えそうな意識が何度も呼び戻される。その度にわかるのだ。今、超回復によって身体が瞬時に再構築されているのだと。
絶望を知り、すでに心は折れている。それでもこの地獄の回帰に終わりなどない。
熱いとか、痛いとか、苦しいとか、そんな陳腐な言葉で言い表せるほど生ぬるいものではない。けれどこの猛烈で激烈な感覚を言い表す言葉が存在しないために、自ずと脳内はそれらの言葉で支配される。
ほんの僅か一瞬復活した眼球は体表の水分と共に瞬時に蒸発、皮膚は焼失し、その奥の筋繊維や神経組織は根こそぎ溶かされ炭化寸前に陥り、同時に水分を多量に含む内臓全般が連鎖的に水蒸気爆発を起こして死に至る――その直前、すべての細胞が迷惑なほど綺麗さっぱり再生され、焼失しかけた意識が現実世界へと引き戻される。
苦しくて苦しくて苦しくて、せめて息をしたくて、
「――――ばッ」
防衛本能が勝手に空気を吸い込むが、口を開ければ舌を焼かれ、喉を焼かれ、流れ込んできた物体が内臓を溶かして体内の水分を爆発させた。
息はできない。ここに酸素は殆どない。あるのは多量の二酸化炭素と硫黄化合物のみ。
何もできず、悲鳴を上げることも許されず、皮膚を溶かされ、筋肉、内臓、骨を焼かれる。
そして死の直前にまた、ユウの身体は痛覚が最も正常に働く状態にまで戻されるのだ。この過程が幾度となく繰り返される。
だが精神が狂うことはない。記憶が飛ぶこともない。過剰な刺激で脳が破壊されることもない。なぜならば彼の身体は、常に最も健康な状態に回復されるから。
終わらない残酷なループに何度も考えた。
何で死なない。
どうして死ねない。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。
こんなの嘘だ。もうたくさんだ。俺が何をした。ここまでの仕打ちを受けるほど、俺は悪いことをしたのか。今まで人を騙してきた罰が当たったのか。どうして――。
いつしか呪文のようにただ死を望む言葉だけが脳内で繰り返される。
無限にも等しい時間の中で地獄の苦しみを味わいながら死を渇望する、ただそれだけの存在となった。
どれだけ時が経っただろう。この地獄を何度繰り返したのだろう。
何十回、何百回、何千回、何万回――どれだけ藻掻き、苦しみと絶望を味わおうと終わりは見えない。
この地獄に終わりなど無かった。
*
時は少し前に遡る。
「ユ、ユウくんが……ユウくんが…………」
冷たい地面にヘタリ込み、成村は身を震わせながら呟く。自分を庇ったことで致命傷を負い、飛竜によってどこかへ連れ去られてしまった友。その姿が、その悲痛な声が、目の前の現実が、未だ彼女の脳内で整理が及ばずにいる。
故に彼女は今自分が何をすべきなのか理解できず、考えることを放棄し、受け入れ難い事実にただ放心するしかなかった。
「た、助けに行こう!今ならまだ間に合うはずだ!」
一神の声が森の中で響いた。
その声に成村は顔をハッと上げる。自分のやるべき事を今ようやく理解したのだ。
まだ間に合う。その言葉を胸に、彼女は涙を拭いて立ち上がる。そして――。
「ダメだ」
冷水を浴びせられた気分だ。
今これから、大切な友人を救い出して、そうして感動の再開を迎えるはずだった。そんな彼女の熱い想いを、ベルザムの冷たい言葉が一気に冷ます。
アリスは困惑し、思わずベルザムを睨みつけた。
「な、何で……?どうして!?早くユウを助けないと!」
アリスの声はいつに無く攻撃的で荒らげている。それは「ダメだ」と言ったベルザムの声色から、その冷たい目から、彼が冗談で言っているのでは無いと察したからだろう。
そんなアリスを無視するように、ベルザムは毅然とした態度を変えなかった。
「アマミヤのことは残念だが、今は撤退する。今指揮権を持つのは俺だ。異論は認めない」
鋭い目をさらに鋭くさせ、ベルザムは全員を睨みつける。これまで彼と接してきた時間は三ヶ月に満たないが、それでも成村達にはわかる。彼は仲間に対してこんな目を向ける男ではない。しかし今は、その目で仲間を脅さなければならない理由があるのだろう。
だがやはり、彼ら彼女らが納得するはずもない。
「な、何故ですか……理由を教えてください!」
大声を上げる一神。
そんな彼に、
「……では問おう。行って何が出来る?」
「え……」
「断言しよう。今のお前達では、あのドラゴンは倒せない。絶対にだ。まさか死体を増やすために行くなどと言うのではあるまい」
彼は王国最強と名高い騎士。その名に恥じぬ実力と経験を兼ね備えている。彼が勝てないというのなら、おそらく勝てないのだろう。
「で、でも……」
口詰まる一神。
するとアリスがベルザムを睨みつけて言った。
「王国最強の騎士が聞いて呆れるわ……まさかドラゴンに怯えて尻尾を巻いて逃げようだなんて……!」
「姫様」
「あなたなら出来るでしょう!?たかだかドラゴン一匹、あなたになら……!」
「姫様……」
アリスに言い寄られベルザムは顔を顰めた。
「どうして……?!私達が足でまといだと言うのなら、あなた一人で」
「奴はただのドラゴンではありません。あれは精霊です」
それを聞いた途端、アリスの顔色が変わった。
「確かに私一人なら、刺し違える覚悟で挑めば勝てるやも知れません。しかしあれは精霊……つまり何者かが奴を召喚したということ。近くに術者がおります。仮に私があのドラゴンを倒せたとしても、疲弊した状態で術者に襲われれば勝機はない。姫様達にも危害が及ぶ」
「そ、そんな……」
「それに私一人でドラゴンと対峙している間に、姫様や他の勇者達が術者に襲われる危険性もある。ここは速やかな撤退、これ以外の手は無いのです。何卒ご理解を……」
「でもっ……でもッ……!」
今にも泣き出しそうな顔でアリスは胸元をぎゅっと握りしめた。
すると一神が食い下がった。
「で、でもベルザムさん!それじゃあユウは……ユウはどうなるんです!?このまま置いていけば、ユウは……」
「ああ、死ぬだろうな。いいや、もしかするともう既に」
その言葉の最中、桐間がベルザムに掴みかからん勢いで身を乗り出した。
桐山は額が当たりそうなほど近距離でベルザムの顔を睨みつけた。
「勝手に決めんな……あいつはまだ死んでねぇ……!」
そう言って桐山が拳を振り上げる。
ベルザムはそれを容易く回避し、引き抜いた剣の柄で桐山の鳩尾を打ち付け弾き飛ばした。
吹き飛ばされた先で桐山は腹を押え嗚咽しながらベルザムを睨みつける。
そんな彼をベルザムは冷たい視線で見下ろし、
「ならばどうする。俺一人に軽くあしらわれる程度のお前達が、あのドラゴンや術者を倒しアマミヤを助け出せると言うのか?笑わせるな」
「くっ……」
桐山が歯を食いしばる。
するとベルザムは一神に向き直り言い放った。
「いいか……今この世界のために出来ることは、聖剣を持つお前と、聖女であるアリス様を生かすことだけだ。勇者としての使命も責務も、世界中の者達の未来さえも投げ捨てて、友人を救うために死ぬことを選ぶのか……?」
「それは……」
「勇者イチガミ……再び問おう。お前は、どっちだ……?」
「ぼ、僕は……」
緊迫した空気が漂う。
友か世界か。その二択を迫られて、一神は言葉を詰まらせる。その様子を星野は心配そうに見つめ、アリスは拳を握りしめて、桐山は目を瞑って俯き何も言わない。
だがそんな中、成村は震える足でゆっくりと立ち上がり、ベルザムを睨み返した。
「せ、世界とか……勇者とか……魔王とか…………そ、そんなの全部、どうでもいい…………私は、私はユウくんの友達だもん!」
先に答えを出したのは成村だった。
一神はハッとした。引っ込み思案の彼女が、そんな質を忘れて大声を張り上げている。使命も責務も、世界中の人間の未来さえも投げ捨てて、大切な友を助ける決断をとった。自分は間違っていない。彼女はそう信じてやまないのだ。
そんな彼女の姿に一神は背中を押され、拳を握った。
「そうだよ……僕は勇者である前に、ユウの友達なんだ。友達一人助けられないのに、世界なんて救えない。僕は助けに行きます!ベルザムさん!」
決意を固めた一神を見て、星野は笑う。
「そうよ!私たちは雨宮くんの友達なんだから!」
そして桐山も頭を掻きながら立ち上がり、
「けっ、さっさとあのバカを助けに行くぞ」
アリスは涙目で言う。
「皆さん……行きましょう!早くユウを助けに」
そしてベルザムも。
「はぁ……仕方あるまい……」
そう呟いたベルザムが、瞬きの合間に全員の視界から消えた。
次の瞬間、
「全員動くなッ!!」
背後から空気を両断する、そんな声が響いて、再びその場は静寂に包まれた。
一同が背後を振り返るとそこには、星野を人質にとるベルザムの姿があった。
ベルザムは星野の背後から首元に腕を回し、鈍く光る直剣をその首に突き付けていた。
「愛風!?」
「愛風ちゃん!?」
「安心しろ……気を失っているだけだ」
ベルザムに支えられる星野は目を閉じて、その体をぐったりと脱力させていた。本当に気を失っているみたいだ。
「ど、どういうつもりッ!?答えなさいベルザム!」
混乱した様子でアリスは声を張り上げる。そんな彼女に向かってベルザムは言う。
「申し訳ございません。しかし、こうでもしなければあなた達を止められない。勇者パーティーの全滅、それだけは阻止せねばならないのです」
「っ、離しなさい!今すぐに!これは命令です!」
「それは出来ません。そして、命令をするのはこちらです。…………全員馬車へ向かえ、そして王都まで戻るんだ」
ベルザムの目が光を失ったように鈍く見える。その声は酷く冷徹で冷酷で、明確な殺意が滲み出ている。
彼は本気だ、本気で星野を殺すつもりだと、そこにいる誰もが察した。
一神は唾を飲み込み、恐る恐る口を開いた。
「ま、待ってください……何もそこまで」
「そこまでしなければならないのだ!!」
ベルザムの声が森の中にこだまする。
「世界のために、必要ならば勇者でさえも殺さなければならないのだ!誰がこんなことをしたい?共に高めあってきた仲間を、この手で殺すことに、私が何のためらいも無いと思うか!?誰かが……誰かがやらねばならないのだ……」
そこには、涙の枯れた男がいた。例え騎士の誇りを捨てようとも、仲間を殺し、誰に恨まれようとも、非情にならなければならない時がある。彼はそれをこれまでにも経験しているのだろう。辛くないはずがない。悲しくないはずがない。少ない時間とはいえ、共に過ごした仲間を殺す選択をしているのだから。それでも涙ひとつ流さずに心を押し殺している彼を、一体誰が責められるのか。
「頼む……馬車に乗ってくれ…………」
いつも強く逞しかった彼が、この時ばかりは小さく見える。
そして、
「――頼む」
感情を嚙み潰した彼の声が、情けなく風に溶けた。




