13.急襲
アルデラ火山の周囲を覆う森林地帯、アルデラの森。
霧がかった空気が靡き、ザワザワと広葉樹の木々が揺れた。野鳥の声がそこら中から聞こえてくる。
一行はアルデラの森の中枢にまで踏み入り、険しい山道の中で訓練に挑んだ。踏みしめる大地は先へ進む程に山頂へと近づき傾斜を増す。更に木々の根や土砂岩石が入り交じる不安定な足場、その中で薄暗い森の中から突如として現れる魔獣の群れ。本来なら戦闘経験の薄い初心者が踏み入って良い場所では無い。
だが、
「はあッ!」
一神洸太の勇ましい声と同時、鮮血が舞った。
額から角を生やした狼型の魔獣は首筋を切り開かれ力なく転がった。
ふぅ、と一神が額の汗を拭う。
たった今、ユウは目の前で実力の差と言うやつをまざまざと見せつけられていた。剣聖の天恵を持つ一神の華麗な剣さばきは、現れる魔獣を次から次へと斬り捨てゆく。そのあまりの強さと成長速度に、ベルザムですら息を飲んだ。
その背中をただ眺めることしか出来ないユウは、彼がなにか自分とは違う別の生き物ののように感じられた。
どうなっているんだろう、と思う。
一神が使用している剣はユウと同じ、訓練の際にベルザムに貰った一般兵士用の鉄製量産剣。刃渡り約八十センチ、重量は四、五キロはある。これを一神は小枝の様に軽々と振るっているが、ユウにはとてもじゃないがあんな速度で振り回せる代物ではない。
これは単に天恵だけの影響ではなく、一神の体内に秘められた強大なマナが、彼の肉体をより強靭な器へと進化させているのだろうと思う。
ユウが一神の力に圧倒されて佇んでいると、そんな時だ。付近から肉がひき潰される様な嫌な音が響いた。
釣られて視線を向けたその先に居たのは、両の手のガントレットから真っ赤な血を滴らせる桐山だった。
彼の周囲には八つ裂きにされた複数体の狼型魔獣の死体が転がっていた。
その様にドン引きしたユウがまた顔を顰めた。ユウにはもはやそれが動物虐待の絵面にしか見えない。
するとまた今度は別方向から強烈な破裂音が数回鳴り響いた。
星野と成村の魔術攻撃だ。
彼女達の戦闘力もまた凄まじいものだ。初めはあんなにも魔獣を殺すことに抵抗を持っていた癖に、今では様々な魔術を用いて容赦なく敵を木っ端微塵に出来るくらいに成長を遂げていた。
彼女たちの扱う魔術攻撃は簡単なものではない。すばしっこく動く的に瞬時に魔術を形成し命中させるというのは非常に難易度が高く、マナの消耗も激しくなる。
ユウはこの三ヶ月間みっちりマナ訓練と併用して魔術を練習してきたが、未だに彼女たちの様に上手くはいかない。
「俺も負けてられないな……」
ユウは剣を抜き、構えた。
現状、ユウの魔術は練度が低く動く的に当てるのは難しい。殺傷能力も低いため、不意打ちでもしない限り魔獣を倒すのは困難だろう。だからと言っていきなり剣での近接戦闘を仕掛けるのは危険すぎる。
ここは右手に握る剣で敵を牽制しつつ、ベルザムに教わったアレを試してみようと思う。
ユウが意気込むと、茂み奥から喉を鳴らしながらこちらを睨みつける狼型の魔獣と目が合った。
そいつは茂みからゆっくりと足を踏み出して距離を測った。
ユウも奴を睨みつけなが、ゆっくりと後ろに距離を取りつつ様子を伺う。
次の瞬間、奴は真っ直ぐにこちらへ向かって走り出た。
乱雑に剣を振るって狼魔獣の飛び込みを牽制する。
魔獣が後方に飛んで距離を開けた。
――ここだ。
左手を魔獣に向け、練り上げられたマナを一気に解放した。
「マナブラスト……!」
マナブラスト――ベルザムに教わった基本的なマナ運用技術の一つである。マナを掌や剣先に集約し前方に放出する単純な技であるが、魔術の様にマナの属性変換や形状変化にリソースを割かない分、初心者には扱いやすい。それにタダのマナ放出と侮られがちだが、古くから騎士の間では重宝されてきた奥深い戦闘技術のひとつであり、特に熟練騎士のマナブラストはひと薙ぎで大岩をも破壊する威力を発揮すると聞く。
当然ユウのマナブラストにそこまでの威力はないが、この程度の魔獣ならば当たれば多少なり痛手を負わせられるはずだ。
がしかし、発射されたマナの塊はあっさりと魔獣に飛び避けられ、その先の地盤を小さく弾き飛ばして終了した。
次の瞬間、飛び掛った魔獣の牙がユウの眼前に迫る。
――やば
もはや身構える暇も無かった。
しかしそんな時、魔獣の牙とユウとの間に突如として出現した半透明に輝く障壁が、両者の衝突を完璧なタイミングで弾き防いだ。
続けざま、物凄い勢いで飛んできた風の刃が狼魔獣の身体を真っ二つに切り裂き絶命させた。
「大丈夫ですか……!?」
慌てた様子で駆け寄ってきたのはアリスだった。アリスはユウの身体のあちこちを撫で回し、心配そうに怪我を確かめる。
魔獣の攻撃を防いだ障壁は彼女の結界術である。聖女の結界術はあらゆる物理的、魔術的攻撃を防ぐ。聖女である彼女も一神達同様に並外れた存在であった。
「ア、アリス……もう大丈夫だから。助けてくれてありがとう」
アリスに必要以上に心配されるのが何だか恥ずかしくって、ユウはアリスを軽く押しのける。
「本当に肝が冷えました……やっぱり私、ユウの傍に着いています」
「ああ、うん。ありがとう心配してくれて……」
「いいえ、当然です……だってユウは私の大切な……」
アリスの話途中、
「ユウくん!大丈夫だった?」
と成村と星野が大慌てで駆け寄ってきた。
「千代、大丈夫だよ。アリスが助けてくれたんだ」
「そっか、なら良かった……」
成村は心底安堵した様子で胸を撫で下ろす。
どうして彼女たちはこう、心配性なのだろうとユウは思う。いくらユウが弱いと言っても子供じゃあるまいし、気を使われすぎてちょっと恥ずかしいと思ってしまう。
ユウは軽くため息を吐いて、その後左手を見つめながら握って開いてを繰り返した。
今のマナ残量では、さっきの威力でもう一発撃てるかどうかと言ったところ。それ以上マナを使えばマナが尽きる、はずだ。しかしユウは未だマナ切れを起こしたことがない。体感ではもうすぐマナが底を尽くだろうと感じるのだが、なぜかマナ切れで動けなくなったことはなかった。
これも成長しているということなのだろうか。ベルザムの鍛錬のおかげかも。
「おーい!」
少し離れた場所から一神が手を振った。その隣には桐山とベルザムもいる。そろそろ馬車の付近に立てたキャンプで昼食をとる頃合だ。
一度全員が集合し、キャンプまで歩き始めた。
「しかし驚きました。皆様は本当に成長がお早いです。ねえベルザム?」
「ええ、正直これ程とは。初めは魔獣を倒すのも躊躇っていたというのに。本当に成長したな、お前たち」
珍しくベルザムに褒められて、一神は嬉しそうに頭を掻いた。
その様子を横目に見ながら、ユウは軽く笑う。
今日の訓練で彼らの驚異的な力を再認識させられた。逆に自身との圧倒的実力差も。
自分はこのパーティーの中でお荷物だと、実にそう思う。しかしそんなことは最早どうだってよかった。例えユウが弱かろうと役立たずだろうと、そんなこと彼らは気にしない。彼らはユウという一人の人間に真正面から真摯に向き合い、どんな時だって大切な仲間として支え守ってくれる。
だから今は、どんな危険が迫ろうと彼らとなら乗り越えられると信じていた。まさか人間嫌いの自分が、誰かを心から信じられる日が来るなんて思いもしなかったが、今は何故かこの居場所がとても心地いい。だから近頃は常々こう思う。
――ほんと、こいつらに出会えてよかっ
絶望的な悪寒は一瞬にして背筋を駆け抜けた。
全身から嫌な汗が滲み出る。
「全員伏せろッ!!」
ベルザムが大声で叫び、すかさずアリスの身体に覆いかぶさった。
その直後、胸の奥に響くような身の毛もよだつ咆哮が大気中に鳴り響き、突如周囲の木々が根元からしなる程の突風が巻き起こる。
何が起こったのか理解も出来ず暴風に身を堪える中、ユウは顔を顰めたままゆっくりと目を開いた。
「あ……」
その眼光と目が合った瞬間に、心臓が握り潰されるような恐怖が全身を支配した。
そこに佇んでいたのは赤鱗の飛竜、ドラゴンであった。十五メートルはあろう巨体が、翼を折りそこに鎮座している。ドラゴンは喉奥で絡まるような鳴き声を吐き、剥き出しの爪と牙をひけらかす様にゆっくりと大地を踏み歩いた。その度に奴の赤鱗が鈍く光る。
神々しいその見た目とは裏腹、感じる取れるのは常軌を逸した恐怖のみ。
誰も何も出来なかった。それ程の圧倒的恐怖。動いてはいけない。目を逸らしてはいけない。その瞬間に自分というちっぽけな存在など、ものの一瞬で裂き殺される。
全員が理解していた。奴と自分達の理不尽なまでの力量の差を。
動けない。その圧倒的な威圧の前に、全員が身体を硬直させ声さえ出すことが出来ない。絶対的な存在を前に、指ひとつとして動かせぬ緊張感が彼らを縛り付けていた。
そんな状況で先に動いたのは赤鱗の飛竜だった。奴は徐にその巨大な口を開くと、無数の歯を剥き出しにした。その牙が向かう先はユウの目前で尻餅をつく、ひとりの少女。ただその身を震わせ怯えるだけの成村だった。
「にっ、逃げろぉおおッ!!」
ベルザムが剣を引き抜き叫んだ。
しかし情けも容赦もなく無慈悲に、その牙は一人の少女に振るわれた。
肉が裂けて骨が砕ける、実に嫌な音がした。真赤な血がボタボタと大量に地面に落ちて広がっていく。
「あ、あぁ……」
ユウの背後で、震えた成村の声が聞こえた。
「だ、大丈夫か……ちよ……」
「ユウ、くん……」
血を流していたのは、ユウだった。
あの一瞬で、ユウは飛竜と成村との間に割って入ったのだ。咄嗟のことでユウ自身もよく覚えていないが、とにかく身体が勝手に動いたとしか言いようがない。
ユウは横目で成村に怪我が無いことを確認し、少し安堵する。
「ユウくん、それ、腕が……」
成村がまともに喋れないのも無理はない。ユウの右腕には飛竜の凶悪な牙がいくつも突き刺さり、がっちりとホールドされていた。今になって信じられない激痛が襲ってくるが、奴の牙一本一本が肉奥に深く突き刺さり、ユウの力では腕を振りほどくことなんて出来やしない。
飛竜が顎に力を入れ、無数の牙がより深く突き刺さる。
「があ゛あっ、いってぇええ――ッ!!離せ……クソがっ!」
ユウは咄嗟に腰に差していた剣を左手で抜き、奴の鼻先に叩き付けた。
ガキンッと火花が散り、振るった剣がどこかへ弾け飛んだ。
剣を握っていた手が痺れている。まるで剛鉄の塊でも切り付けたかのような不動感。この馬鹿げた強度を剣でどうにか出来るとは思えない。
奴の鋭過ぎる眼光がゆっくりと、目の前のユウへ向けられた。
絶望と死への恐怖がユウの心臓を握り潰す。
――ダメだ……死……
「うぉおおおッ!!」
遅れて動き出したベルザムが雄叫びを上げながらドラゴンの首筋に切り掛った。
抜かれたベルザムのロングブレードが光り輝く。卓越したマナ操作技術による、必殺のマナブレイド。高密度のマナを刀身に纏い、極限まで高められた斬撃が振り翳された。
その衝撃はまるで爆発の様だった。王国最強騎士と名高いベルザムによる、凄まじい剣圧の一太刀。だがその一撃を持ってしても、ドラゴンの身体を多少ぐらつかせる程度でしか無かった。
煙をあげるドラゴンの首筋の鱗には小さな傷跡が残るのみ。ダメージは殆ど無い。
「くっ……」
ベルザムは険しい表情で更なる追撃を挟もうとした。しかしドラゴンはその瞬間、ユウの腕に噛み付いたまま両の翼を大きく広げ羽ばたいた。
再び強烈な突風が巻き起こり、周囲の草木が薙ぎ倒され砂塵が舞い上がる。
ドラゴンの巨体が宙に浮かぶと同時に、奴の牙に繋がれたユウの身体が空中へと引っ張られた。
「うあ゛ぁああっ」
噛まれた右腕に全体重が乗り、激痛がユウを襲う。
このままでは連れ去られる。
突風に身を堪えながらベルザムが空を睨みつけた。
「まっ、待てッ!!くっ……精霊ッ……」
しかし術式を行使しようとするベルザムの手が、直前で止まってしまった。彼は決断出来なかったのだ。天高く舞い上がる飛竜を前に、様々な思考が過ぎりその一歩を踏み留まらせた。
結果、雨宮ユウはあっという間にドラゴンと共に空の彼方へと消えてゆく。
「ユ、ユウ……ユウッ!!」
アリスが空に手を伸ばし叫んだ。その声は森中に木霊して、虚しく消えた。




