11.変化
宴も終わり、自室に戻ってシャワーだけ浴びた。
半乾きの前髪を掻き上げて、バフンとベッドの上に倒れるように寝そべった。
「…………」
あれからずっと考えている。
色んな思考や感情がグルグルと頭の中を回って、ずっと吐き出せないモヤモヤが胸の内に留まっている。
――何で俺は、あんなこと……。
ユウは第一王女エルデナにワインをひっかけ、更には煽るようなことを言って喧嘩を売った。一歩間違えれば殺されたっておかしくなかった。実際死ぬとこだったし。みんなが庇ってくれなければ、ユウはあの場所で処刑されていただろう。
あの時の、みんなの顔を思い出す。
必死に自分を庇うアリス、恐怖に震えながらも目の前に立ちはだかる成村、本気で王女を説得しようとする一神、怪我をしてまで兵士を止めてくれた桐山、心配して寄り添ってくれた星野。
――何なんだ、この感情は……。
らしくもない、そう思う。
この世界に来てからというもの、ユウの心は乱されっぱなしだ。
前の世界にいた頃は極力人との関わりを避けて生きてきた。笑顔を作るのも会話を交わすのも、ユウが必要と判断した時のみだった。だがこの世界で生きるにはどうしても彼ら彼女らと関わっていく必要があり、どうしてもその都度、彼らの言動が目に付くのだ。
ユウはメリットなしに行動したりしない。まして自分が不利になる様なことは決してしない。これまでそうやって生きてきた。だからこそ混乱している。メリットどころかデメリットだらけの自分の行動に到底理解が及ばないでいた。
そうしてユウがベッドで蹲っていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
今は深夜だ。こんな時間に一体誰だろうか。
部屋のドアを開けてみる。
「アリス……」
そこには寝巻き姿のアリスが突っ立っていた。廊下に付いている薄暗いランプの灯りが彼女の顔をぼんやりと照らしている。ただその表情は普段の彼女からは程遠いほど暗い。
「アリス、こんな時間にどうしたの?」
「その、アマミヤさんにお話が……」
周囲に護衛や見張りは居ないようだ。一人でこっそり来たのだろうか。
「そんな所に居ないで、中に入りなよ」
ユウはアリスを部屋へ招き入れた。
ユウはベッドの上にどかりと腰掛け、彼女にも「座ったら?」と隣をぽんぽんと叩く。しかしアリスは暗い表情のまま一向に座ろうとしないし何も話そうともしないので、仕方なくこちらから話を切り出すことにした。
「それで、話って?」
長話をするつもりは無いので単刀直入に本題を尋ねた。
アリスは神妙な面持ちで少しの間沈黙したあと、ゆっくりと口を開いた。
「その、アマミヤさんに謝りたくて…………先程は本当に、申し訳ありませんでした……!」
アリスは随分と畏まって、深々とその頭を下げた。
彼女が随分勢い良く頭を下げるものだから、ついユウも慌てて立ち上がる。
彼女が謝っているのはパーティーでの一件のことだと思う。あれは彼女には全くと言っていいほど非は無いし、謝る理由などないはずだ。そんなことを言うためにこんな時間に、態々ユウの部屋までやって来たようだった。
――どうしてお前が謝るんだよ……どうしてそんな顔するんだ……。
「あ、謝らなくていいよ……アリスは何にも悪くないじゃんか」
「そういう訳にはいきません!これはお姉さまと私の問題です…………それなのに、雨宮さんを巻き込んで、あろうことか命の危険に晒してしまいました……」
「ア、アリス」
「私がっ、私が不甲斐ないばかりにっ、アマミヤさんまで馬鹿にされて…………それでも、私を庇って下さって……」
声が上ずっている。頭を下げたままで彼女の顔は見えないが、そこから落ちる涙は頻りに絨毯を濡らしていく。
ここから見えている震える彼女の小さな背中からは、負い目や後悔、そしてどんな罰でも受け入れようという覚悟が伝わってくる。
ユウは口を噤み、拳を握り締めた。
――わかってる……わかってるさ……。
本当はもう、わかっている。
この涙が嘘だなんて、そんなことあるはずが無いことも。損得勘定なんて無くて、彼女が心からユウの事を思って今も言葉を紡いでいることも。この少女が、優しい人間なんだってことも。
彼女たちといると、ユウは自分がわからなくなる。人間なんて嫌いなはずだった。人間なんて絶対に信用しないと心に決めていたはずだった。なのにどうして今は、この人に泣いて欲しくないと思ってしまうのだろう。
本当はもっと前から気づいていた。
アリスが笑って接してくれていた時から、アリスがユウを心配して医務室に来てくれた時から、彼女の優しさにとっくに気がついていた。
アリスだけじゃない。一神も、星野も、成村も、桐山も、ソフィアだって。彼らはずっと打算なんて無しにユウを見てくれていたのだ。あの時も、あの時も、あの時だって、彼ら彼女らはユウを信じ、どんな時だって仲間として真摯に向き合い、そして迷わずに助けてくれていた。
――やっとわかった…………俺だけなんだ。きっと俺だけが、見ないふりをしていたんだ……。
「アリス、顔を上げて」
ユウの声を聞いて、アリスがゆっくりとその顔を上げてこちらを見た。綺麗な顔が涙で酷いことになっている。
ユウは指先でアリスの頬に掛る涙をそっと拭った。
「アリス、俺は大丈夫だ。今回のことだって全然気にしてない。あの王女にワインをぶっかけたのだって、俺が一人で勝手にやったことだ。それにさ、俺は今こうして生きてるだろ?だからアリスがこんな風に涙を流す必要なんて何ひとつないんだ」
「アマミヤ、さん……」
「だから笑ってよ。俺はアリスの笑った顔が好きだ」
ユウはアリスに優しく笑いかけた。
もしかすると、この笑顔も偽りの笑顔かもしれない。自分でももう何が本当なのかが分からない。ただ一つ言えるのは、彼女に笑っていて欲しいというこの想いだけはきっと本物だということ。
「………………はいっ。ありがとう、ございます」
アリスは泣きながら笑った、あの眩しい笑顔で。
もう、認めるしかない。
彼女を貶されて腹を立てたのも、彼女に泣いて欲しくないと思うのも、一神や成村達の真直ぐな瞳に劣等感を抱くのも全部、彼ら彼女らがユウの嫌いな人間とは違うからだ。この人達のことが、嫌いじゃないからだ。
見ないようにしていた。全員クズだと思っていた。人間という言葉でひとくくりにして、こんな奴らがいるなんて考えたこともなかった。でも違うのだ。こういう奴らもいる。だから、こいつらのことくらい、ちゃんと見てやっても良いのではないだろうか。少しくらい、信用してやっても良いのではないだろうか。
少しだけ、見方を変えてみたって――。
そうして泣き笑うアリスを見ていると、胸の奥がちょっとだけあたたかく、得体の知れない何かがじんわり溶ける様な感覚がした。




