9.揺れる想い
「きゃあああっ――――!?」
盛大な悲鳴が響く。
宙を舞ったバケツ。
ベッドの上で目を開けた時には既に遅かったみたいだ。
ユウは顔面から大量の水を被り、次いで飛んで来たバケツが額に激突する。
水の冷たさと額の痛みで目はよーく覚めた。
身体をむくりと起こして、びしょ濡れになった髪を掻き上げ、傍らで半泣き状態で震えている青髪メイドを見た。
またか、と思い溜息をつく。
「ソフィア……何やってんの……」
寝起きガサガサの声で尋ねた。
「あ、あの……そ、その……ご、ごごごめんなさい……お掃除をしようと、お、思って……」
「はぁ……」
ユウは頭を抱えた。
人がまだ寝ている部屋に勝手に入ってこの有様って訳だ。どこまで使えないんだこいつは。
ユウは怒鳴りつけてやろうかと一瞬考えたが、そんなことをして変な噂でも流れたら面倒だ。これでもユウは人畜無害な良い奴を演じている真っ最中なのだから。
ユウはゆっくりと立ち上がる。
するとソフィアはビクッと身体を震わせ、目をギュッと閉じた。怒られると思っているのだろう。
ユウはそんな彼女の肩にポンと優しく触れて、満面の笑みで言った。
「ソフィア、ありがとね」
「え、あ、え……?」
「君なりに俺の為に頑張ろうとしてくれたんだろ?だからありがとう。でも次はもうちょっと優しく起こして欲しいかな」
「お、怒ってないのですか……?」
「一生懸命やってる人を怒るわけないだろ?」
「あ、あああ……ありがとうごじゃいます!」
ソフィアは盛大に噛みながら、酷く感激した様子で叫んだ。
騒々しいやつ。でもやる気だけはあるんだよなとも思う。
「じゃあ俺シャワー浴びるから、床とベッドを綺麗にしておいてくれる?それと服も用意して欲しいな」
「かしこまりました!」
元気な返事を聞いてから、ユウは濡れた服を脱ぎ始めた。
「ひゃあっ、ま、待ってください……今部屋を出ま――っきゃあ!?」
慌てたソフィアは濡れた床ですっ転んで、転び際にユウを仰向けに押し倒した。
二人分の重量を乗せてユウの後頭部が床にたたきつけられる。
激痛を感じながらユウは一瞬殺意を抱いた。
――本っ当に、鬱陶しい奴だな……!
*
「今日の訓練は、お前たちにとっては少し難しい訓練になるかもしれない」
ベルザムが腰に手を当ててそう言ったことで、勇者パーティーの面々は皆顔を見合わせ不安を露にした。
「なに、訓練自体はそう難しいものではない。だが、ひとつ覚悟が必要となる」
――覚悟?
ユウが一体何のことだろうと思った矢先、ベルザムの合図で他の兵士たちが大きな檻を台車に乗せて運んできた。
――まさか……。
それを見て全員が言葉を失った。
檻は全部で五つ。
そして檻の中にはそれぞれ一匹ずつ、歪な叫び声を上げる見たこともない生物の姿があった。
その生物は体毛の無い黒い肌を持つ、体長一メートル程の犬の様な四足動物。そいつは涎を垂らしながら黄ばんだ鋭い牙を剝き出して、今も檻の中からこちらに向かって咆哮を上げ続けている。
「これは……何ですか……?」
一神が恐る恐る訪ねた。
「こいつらはダークウルフ。この付近の森林に生息する狼型の魔獣だ。気性が荒く近づくものを手あたり次第噛み殺す恐ろしい生物だ」
「魔獣……?普通の動物とは違うんですか?」
聞きなれない言葉に思わず一神が聞き返す。
「ああ、全く別物だ。魔獣とは強大なマナを得ることで通常ではありえない進化を遂げた生物のこと。制御しきれない強大なマナは生物の限界を超えて肉体を変貌させ、狂暴化させる。我々人類には高度な知能と理性がある為、マナによる暴走は起こりえないが、しかしそれ以外の生物はこの様に魔獣として進化することがある」
ダークウルフが喉の奥から吐き出すように叫び声を上げ続ける。
その鬼気迫る様相に全員が気圧されていた。
「今回はこいつらを、お前たちの手で殺してもらう」
物騒な言葉に全員の表情が固まる。
「お前達は何れ魔人族と戦うことになる。その為に必要な訓練だ。この洗礼は避けては通れないぞ」
確かにこれから先、魔人族と戦いきっとそいつらを殺すことになる。この訓練はきっと命を奪うという行為に少しでも慣れる為のものなのだ。
「心配するな。反撃されぬようしっかりと鎖でつないである。仮に襲われたとしても、お前たちの実力ならば問題ない。自分の力を信じろ」
そんなこと言われても、とユウは思う。
実際に一神とかなら何とかなるんだろうが、ユウはこの中で最弱だ。もしもこんな怪物に襲われたらひとたまりもないと思う。
「まずは一神、お前からだ」
怯え切った勇者たちを見て、ベルザムは敢えて一神を指名した。
彼がこの中で最も成功確率が高いと踏んだのだろう。一人目が成功すれば、後続もやりやすいというもの。
一神は恐る恐る一歩踏み出した。
全員が固唾を飲んで見守る。
真剣な目で一神は息を飲んだ。
「放て」
ベルザムの一言で檻が解放され、それと同時にダークウルフが勢いよく目の前の一神に向かって飛び掛かった。
思わず体をビクつかせた一神だったが、眼前でダークウルフの体はビタリと止まった。檻の支柱に繋がれた鎖がダークウルフの首を引き留めたのだ。
ダークウルフが一神を睨みつけて吠え続ける。
ベルザムが叫んだ。
「今だ!殺れ!」
その声に背中を押されて一神は剣を抜いて構えた。
だがその先へ踏み出せない。
「……くっ」
躊躇う一神をベルザムが更に追い込む。
「何を躊躇している!早く殺せ!戦場でもそうやって躊躇うつもりか!その迷いがお前だけではなく、仲間の命をも危険に晒すんだぞ!」
いつも以上にベルザムが厳しい。
しかし当然といえば当然なのだ。彼の言う通り、戦場で殺しを躊躇えば命取りだ。これを乗り越えなければ魔人族と戦うことなど出来はしない。
「くっ、うわああああ――――ッ!!」
一神は大声で叫びながら目の前の黒狼を叩き切った。
血が飛び散り、地面に血だまりが広がっていく。
肩で息をする一神。
そんな一神の肩にベルザムは優しく手を置いた。
「よくやった……それでこそ勇者だ」
「あ、ありがとうございます」
一神は顔を上げて真剣な眼差しで礼を言う。
アリスがすぐに駆け寄って「素晴らしい勇姿でした」と慰めている。
ユウは横目にジッと一神を観察したが、意外にもそれほど落ち込んだ様子はない。案外肝が据わっているようだ。
その後、桐山、星野、成村の順でダークウルフの討伐に挑戦した。
桐山は言うまでもなく一撃でダークウルフを殴り殺した。見てるこっちまで恐ろしかった。
続く星野は最初嫌がってはいたものの、いざやってみれば案外あっさりダークウルフを仕留めた。魔術で攻撃したと言うのが大きかったのかもしれない。確かに遠距離から一撃入れるだけだし、剣で切り殺すよりは生々しさがなくて楽だとは思う。
問題はその次の挑戦者、成村だった。
彼女は三十分くらい泣きじゃくって殺すのを拒否していた。しかしベルザムや星野になだめられて仕方なく火炎魔術を行使した。成村の火炎魔術は容赦ないほどに高火力で、一瞬にしてダークウルフを木っ端微塵に焼き殺してしまった。彼女なりに一瞬で楽にしてやりたいと思っていたのだと思う。といういか、そうじゃなければただのサイコパスだ。
殺した後もわんわん泣いてうるさいったらない。
ユウからすれば正直犬一匹殺すのに、何を大袈裟に騒いでいるのやらと思う。
簡単だ、俺の順番が来たら迷わずやってやる。そう思っていた。
「よし次、アマミヤ……お前で最後だ」
ユウは少しだけ緊張しつつも、一歩前に踏み出る。
――や、やってやるよ……。
檻からダークウルフが解き放たれる。
鎖に塞き止められ、目の前で止まったダークウルフが暴れまわる。
この距離で見ると尚おっかない。
ユウは剣を抜いて構えた。
習ったばかりの線剣の太刀で切り殺してやる。そう意気込んで剣を上段に構えた。
その瞬間――。
バキンッと金属音が鳴り、ダークウルフを繋ぐ鎖が砕き切れた。
鎖から解放されたダークウルフが目の前の獲物、ユウの首元めがけて飛び込んだ。
ユウはスローモーションに見える視界の中で、未だ状況を吞み込み切れず突っ伏したまま。死という文字だけが頭の中に浮かんだ。
即座にベルザムが剣を抜いて対処に走る。
しかしそれよりも速く飛び出したのは一神だった。
一神はユウの身体を覆い隠すように勢い良く押し倒す。
あまりに突然のことでユウは何が何だかわからない。
そんな状況下で、黒狼の甲高い悲鳴だけがすぐ傍で聞こえた。ベルザムが剣でダークウルフの首を跳ねたのだ。
地面に転がったユウと一神はゆっくりと身体を起こした。
「ユウ、怪我はないか!?」
慌てた様子で一神がユウの肩を掴んだ。
「あ、ああ……俺は大丈夫だけど……」
呆気にとられたまま、ユウは頷く。
そして気付いた。
自分の肩を掴んでいる一神の右腕から出血している。
狼の鋭い爪で引き裂かれた服の袖。その合間から赤い切り傷が覗いている。傷自体は深くはなさそうだが、そういう問題ではない。
「光汰……!」
星野が心配そうに駆け寄ってきた。
「愛風、大丈夫だよ。ちょっと引っかかれただけだし」
「全然大丈夫じゃないよ!心配させないで!」
そう叫ぶと、星野はすぐに神聖術で一神の腕を治療し始めた。
いつも明るく元気な星野が酷く動揺している。こんな姿は初めて見た。
他の者も心配そうに駆け寄って来る。
「はあ……お二人が無事で安心しました」
アリスが胸を撫で下ろし、ベルザムも一神の傷の程度を見て安堵した様子だった。
「二人とも無事でよかった。しかしイチガミ、良くあの一瞬で動けたな」
「ああ、何て言えばいいんですかね……何となくユウが危ないっていうのが直感的にわかって……自分でも不思議なんですが、気付いたら身体が勝手に動いていたというか……」
「ふむ、それは恐らく天恵の力だろう。流石だ」
「い、いえそんな……」
頭を掻きながら笑う一神。
その顔を睨み付けながら、ユウは歯を食いしばって感情を押し殺していた。
――身体が勝手に?何だそれ……嘘ついてんじゃねえよ偽善者が……!俺を助けてヒーロー気取りしたかっただけだろうがっ。信じないぞ……俺は絶対に……。
「ユウ、君が無事でよかった」
一神が無垢な笑顔を向ける。
ユウは逃げるように視線を反らし、心の中で呟き続けた。
――信じない……俺は絶対、騙されない…………。
歯を軋ませて押し殺す。
心の中に芽生えつつある強烈な違和感を。
*
東棟一階の外廊下をひとり歩く。
外から吹き込んだ風が、廊下を歩くユウの頬を撫でた。
今は医務室からの帰りだ。一神の怪我は星野の神聖術によってほぼ完治していたが、念のため医務室に連れていかれた。結果的に一神はユウを庇って怪我をしたのだから、当事者のユウが付き添わないわけにもいかない。
結局一神の怪我は傷跡も残らず綺麗さっぱりだったし、医務室のババアも大丈夫だって言っていた。
一応、一神にはいつもの演技で上手く謝罪と感謝を述べたのだが、「僕が勝手にやったことだから」とか「ユウが無事で本当に良かった」とか、いかにも善人て感じの返しで謝罪も感謝も受け取ってはくれなかった。
ここ最近、ユウの頭の中にはずっと、もやもやとした言い知れぬ感情が渦巻いていた。
何が原因かは分かっている。
あいつらだ。一神だけじゃない、アリスも星野も成村も桐山も、本当にイライラする。あいつら一体何なんだ。
あいつらと接すれば接するほど、このもやもやは募りに募っていく。あいつらと接すれば接するほど、自分が間違っているような、否定されているような、そんな感覚に陥ってくる。
「くそっ……」
小さく零した。
そんな時、近くから複数人の女性の話し声が聞こえてきた。
すぐそこの曲がり角からだ。
「ぷっ、ねえちょっとそれ本当なの?」
「ほんとよほんと!すっごく面白かったわあの落ちこぼれ勇者……!」
ピタッと歩く足が止まる。
「魔獣に襲われてひやぁああって」
「ぷはっ、だっさ」
「本当に勇者なの?」
「まあしょうがないでしょ、マナがほぼゼロらしいし。城中で噂になってるわよ。こないだ洗濯中に訓練を覗いた時なんて、手のひらにこ~んな小さな種火のっけててさっ……!」
「ぶはっ、なにそれ。私でも火の魔術くらいもっとまともに使えるわよ?」
「あれじゃあロウソクの火のほうがマシよ」
会話からして、どうやら噂話の内容はユウの悪口のようだ。
会話しているのはおそらくメイドの連中だろう。
「あ~んな落ちこぼれが他の勇者様や王女様と親しくしてるなんて、きっと何かの間違いよ」
「豪華な客室で、貴族様と同じような食事をしてるのよ?私たちなんて残り物のスープと固いパンしか食べてないのに」
「何の力もないくせにほんっと良いご身分よね憎たらしい」
ユウはふうっと小さく息を吐いた。
――良かったよ。やっぱこれこそが人間だよな。どこの世界に行ったって人の本質は変わらないんだ。この……クズどもが。
今の話を国王の元へ持っていって直談判しようか。それともアリスに告げ口して制裁を加えてもらおうか。
いいや、と思いとどまる。
国王もアリスも、もしかしたらこのメイドたちと同じことを思っているかもしれない。所詮は役立たずのただ飯食らいという事実は変わらない。それに仮にこのメイドたちに制裁できたところで、その後の自分の立場が悪くなるだけだ。結局、こういう輩は無視するのが一番なのだと思う。
今でもメイドたちの、心底馬鹿にしたような笑い声が響いている。
ユウはこの道を行くのを諦めて、踵を返した。
そんな時だった。
「や、やめてください……!」
聞き覚えのある声が廊下に響いた。
この声はまさか。
「は、ちょっとソフィア……それって私達に言ったの?」
威圧的な女の声に、怯えた息使いがかすかに聞こえてくる。
「そ、その……ア、アマミヤ様を悪くいうのは……や、やめてください……」
怯え切ったか細い声。
「はあ?何文句つけてんの?あんたみたいな役立たずが」
「わ、私のことは何と言おうと、構いません……で、ですがア、アマミヤ様を悪く言うのは……お、落ちこぼれと言うのも、取り消してください……」
「はあ?なんであんたにそんなこと」
「ア、アマミヤ様は落ちこぼれなんかじゃありません。そ、それにアマミヤ様は……こんな役立たずな私にも親切にしてくださる……ほ、本当にお優しいお方なのです……ですから……」
ガシャンと激しい音が響く。
ユウは慌てて壁際に身を寄せ、曲がり角のその先をそっと覗いた。
そこには掃除用具の山に突っ込んで、尻もちを着いて倒れているソフィアの姿があった。
ソフィアの額から静かに赤い血が滴る。
ユウは覗き込むのをやめて息を潜めた。
――なに、やってんだよ……。
「ははっ、少しは反省した?」
「ぷっ、いい気味。あの落ちこぼれ勇者とお似合いよ?」
「や、やめて下さい……アマミヤ様を悪く言うのは――」
鈍い音が鳴る。
「しつこいのよ」
「バッカみたい。あんな落ちこぼれのどこがいいんだか」
「と、取り消してください……」
「ちっ」
鈍い音――。
ユウは目を閉じた。
――もうやめろ。もうあきらめろ。何でそうまでして俺を庇う。俺はお前を騙してるのに、俺なんか信用して……どうしてそこまで……何のメリットがあってそんな……。
再び鈍い音が立て続けに三回。
それでもソフィアは逃げなかった。
「とり、消して……」
――なんで……なんでっ……なんでだよっ…………。
聞くに堪えない暴力的な音。
罵声と微かな泣き声。
ユウは逃げた。
耳を塞ぎ、目を瞑り、その場から立ち去った。
だからその先どれくらいの間、彼女が罵声を浴びせられたのか、殴られ続けたのか、ユウは知らない。




