復職の天使
静寂に包まれた白い空間。縦横10mほどの大理石の床を抜けると、眼下には白い雲が広がっている。壁も柱もなく、ただ石が浮かんでいるだけの不思議な空間だ。
中央にはクラシックな茶色のデスクがぽつんと置かれ、椅子に座れば反対側が見えないほどの書類が山積みになっている。デスクと同じ基調の椅子が一脚あるだけで、他には何もない。
そんな異質な空間に、純白の翼を背に生やした二人の女性が舞い降りた。
どちらも古代ギリシアの民が身に着けていた純白の衣服をまとい、白く染めた動物の皮のサンダルを履いている。直毛と癖ッ毛という違いはあるが、肩まで伸びた金髪の頭上には淡い光を放つ光輪が浮かんでいた。
そう、二人――いや、現れた二柱の女性は天使であり、この空間は彼女たちの仕事場だった。
デスクの上の書類には、審判を待つ死者の情報が詳細に記されている。天使はここで死者と面談し、書類の内容が正しいか確認したうえで審判の場へ送るのだ。
「は~……ここは本当に何もないわね……。やる気も出ないんだけど……」
「職場なのですから、デスクがあれば十分でしょう。これ以上何を望むのですか」
10年の謹慎を終えて戻ってきた癖ッ毛の天使は、かつての自分のデスクを退屈そうに眺めてため息をついた。直毛の天使が、長年の縁らしい落ち着いた口調で窘める。
「いやいや、私としては仕事なんてしたくないんだけど? なのに謹慎が終わった途端、働く前提で連れて来られたんだけど? 職場の環境に不満くらい言わせてよ。仮眠できるベッドと、休憩中にちょっと読める漫画が欲しいんだけど?」
「公私混同など言語道断です。漫画や睡眠は仕事が終わってからにしなさい」
「……仕事って、このデスクの上の書類よね? 今も対戦型パズルゲームみたいに、下から新しい書類がどんどん生えてきてるんだけど? これって終わるの?」
「人類が増えすぎた結果、死者数も増えています。天使の数は変わらないのですから、仕事が増えるのは当然でしょう。そうでなければあなたのような者を再び呼び戻したりしません」
「おい、話逸らすな。仕事増えたねーじゃなくて、これ終わるのかって聞いてんの。天使の数が足りないなら、主神にお願いして増やしてもらいなさいよ」
「なんという物言い……! 不敬ですよ!」
直毛の天使が憤慨するのを、癖ッ毛の天使は憐れむような視線で見つめ、やがて諦めたようにため息をついた。
そもそも普通の天使には睡眠や休息の概念がない。1ヵ月でも1年でも不眠不休で働ける存在だ。10年という謹慎期間をモラトリアムとして過ごした癖ッ毛の天使と、変わらず働き続けた直毛の天使では、意識の隔たりが生まれてしまうのも当然だった。
癖ッ毛が黙ったことで、直毛は仕事の説明を始める。
「あなたには謹慎前と同じく、この世界に来る日本人の生前の素行調査をお願いします。やり方は分かっていますね?」
「……昔と変わってないならね。天国か地獄か、はたまた転生かを判断する部署に送ればいいんでしょ?」
「それで大丈夫です。それと、くれぐれも以前のような真似はしないでくださいね」
サボる算段をしていた癖ッ毛に、直毛が棘を隠さず忠告する。癖ッ毛は面倒くさそうに肩をすくめた。
「そこは私の正義感に聞いてちょうだい」
帰れと言わんばかりに手をしっしっと振ると、直毛の天使は疑わしげな目つきで一瞥し、足元に現れた魔方陣の中へ消えていった。
「やれやれ。そう言われたけどさ~本当、何を楽しみに働けってのよ。永遠に終わらない面談とか、世界観は違うけどさ。鬼に崩されようが河原で石積んでる方がまだやりがい感じられそうだわ……。はぁ~……。それで、復職後の第1号はどんな人間ですか……っと」
やる気なさそうに、天使は山積みの書類の一番上を手に取った。
「えーと、20歳の大学生で~……は? 玄関から走って出ようとした時に、玄関マットが滑って後頭部を打って死んだ!? これはこれは……」
なかなかアヴァンギャルドな死因に、天使の口元に自然と笑みが浮かぶ。さっきまでのやる気のなさはどこへやら、興味深そうに書類を読み進めていく。
「詳細はっと……闇バイト? おいおい、謹慎前でも警察が本気で警告してたやつじゃん。10年経ってもまだこんなのやってんだ。で、民家に押し入って金品を強奪……それを繰り返して、4件目で誤算が生じた。事前情報じゃ住んでるのはお年寄りだけだったのに、空手黒帯の孫がたまたま帰って来てて、逃げようとしたところですってんころりん、と。ゴミくずじゃん」
読み終えた天使は胸に手を当てた。人間的な感覚なら吐き気をもよおす内容だが、天使の口元には邪悪な笑顔が浮かんでいた。
「うーわ……。死因だけ読んだ時はドジっ子かと思ったのに。ゴリゴリの犯罪者やないかい。さっき釘刺されたばかりなのに、私の中の正義感がムクムクしてきちゃうじゃん……っと。いけないいけない。本人に話を聞いてみないとね」
パチンと指を鳴らすと、床に魔方陣が浮かび上がり、そこに陰気な男が現れた。




