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もう殿下の悪夢は引き受けません ~「眠らせるだけの女」と婚約破棄された宮廷夢守り、眠れない辺境公に傷ごと大切にされています~  作者: さくらろ
第1章「夜を返す」

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第19話 名前を呼ぶ町

 監査団が北辺へ着いた翌朝、町議会広場には冷たい朝日より先に、城門鐘の黒い影が落ちていた。


 監査団長と書記官は王宮印の告発状の下。リディアは発言席に一人で立ち、ユリアンは町議員の席の脇にいる。ミナは集まった住民の後ろで、記録板の縁を親指でこすっていた。


 昨夜、白墨の線は夢守りがいなくても黒い鐘の残響を一拍止めた。監査団長は、その線を違法な夢術だと言った。


 今日ここで相談所の仕事を示せなければ、閉鎖される。リディアは連れていかれるかもしれない。


「公開聴取を始めます」


 町議長の声が広場を通った。告発と反論を人前で読み、どちらも議事録へ残す手続きだ。


 監査団長が紙を開く。


「王宮資格を持たぬ者による夢への介入。王宮管理物の不正開封。住民の夢の収集。さらに、白墨を用いた無許可術式の頒布」


 言葉が一つずつ積まれるたび、ミナの口の中が乾いた。


「以上により、相談所の即時閉鎖と当該人物の拘束を求めます」


 当該人物。


 告発状には、先生の名前がなかった。


 昨日、監査団長の靴で崩れた白墨を、町の夜番が黙って引き直した。そのときよりも、今のほうが腹が立つ。


「名前くらい、書けばいいのに」


 思わず漏れた声に、隣の記録係がちらりとこちらを見る。


 ユリアンが立った。


「拘束の判断まで公開の議事録に残してもらう。非公開で連れ出すことは認めない」


「ノルド公は当事者でしょう」


「だから私の発言も、利害関係者の発言として記録すればいい」


 監査団長は口元を動かさなかった。


 ミナは記録板を握り直した。


 王宮には印がある。紙も資格も、向こう側だ。


 こちらにも、積み上げてきたものはある。


 けれど、先生が守ってきた紙ほど、人前では開けなかった。



 休止の鐘が鳴るなり、ミナは公開相談所の記録室へ駆け込んだ。


「言えます」


 扉が閉まりきる前に言った。


「誰が、いつ、どんな夢を見て、先生が何をして、そのあとどうなったか。わたし、だいたい覚えてます。全部言えば、あの人たちの言ってること、違うって分かります」


 机の向こうで、リディアが顔を上げた。


「ミナ」


「勝てます。たぶん。かなり」


「覚えていることと、使っていいことは別です」


 胸の奥が、すとんと落ちた。


 まただ、と一瞬思った。役に立たないから、余計なことをするから、ここにも置けないと言われるときの前触れ。


「……じゃあ、わたしは何をすればいいですか」


 早口だった声が、そこで止まった。


 リディアはすぐに答えた。


「誰に、もう一度許可を聞く必要があるか。あなたなら漏らさず分かります」


 ミナは顔を上げた。


「夢の中身は使いません。治療の前、私がしたこと、その後の生活。この三つだけ、本人が話してよい範囲を選べる札にします」


「公開と、名前なしと、話さない、も選べます?」


「ええ」


 ミナは紙を三つに折った。


 治療前の生活。


 先生がしたこと。


 治療後の生活。


 裏には大きく書いた。


 話さないを選べる。


「証言札、ですね」


 記録係が言う。


 本人が公開してよい範囲だけを三欄に分ける札。夢の秘密を見せずに、生活の変化だけを残せる。


 最初の家では、戸口で断られた。


「王宮に名前が渡るのは困る」


「分かりました」


 ミナは理由を聞かなかった。


 二軒目も、答えは非公開。


 三軒目で、紙を受け取った手が少しだけ戻ってきた。


「名前は出していい。夢の話はしないでくれ」


「そこは最初から書きません」


 ミナは札の一番上へ、その人が自分で選んだ名前を書いた。



 午後、広場へ戻ったミナの手元にある公開の証言札は、思ったほど厚くない。


 監査団長はそれを見て、わずかに眉を上げた。


「感謝状ですか」


「違います」


 声が速くなりそうで、ミナは札の三つの欄を指でなぞった。


「日付。本人の同意。治療前の生活。先生がしたこと。治療後の生活。その順で読みます」


「患者の感謝は資格の証明にならない」


「だから、感謝は読まないです」


 最初の札を持ち上げる。


 その前に、広場の端から男が歩いてきた。


「ロルフです。俺の分は、俺が話します」


 帰還兵ロルフは監査団ではなく、町議員の方を見た。


「眠ると家族に手を上げることがあった。夢へ入る前に、まず寝室を分けて、刃物と重い道具を移した。妻が一人で起こしに来ないようにもした」


 監査団長が何か言おうとしたが、ロルフは続けた。


「死んだ仲間が俺を許した、なんて話はされてない。俺が何をしたかを、一緒に思い出した。今は仕事に戻ってる」


 ミナは次の札を開いた。


「ハンスです」


 今度は穀倉番が自分で名乗った。


「六人まとめて眠ったとき、この人は勝手に全員の夢へ入らなかった。先に麦を運ばせた。俺が起きて話せるようになってから、十五分だけ、俺の夢だけだと決めた」


「結果は?」


 町議員の一人が尋ねる。


「冬の麦は残った。俺たちも起きた」


 別の家族は、子どもの朝食の記録を出した。


 夢の中身は一行もない。


 代わりに、食べられなかった朝と、食べられた朝が日付で並んでいた。


 ミナはそこで気づいた。


 先生を褒める言葉が増えているわけではない。


 事故が減った。仕事へ戻った。朝ごはんを食べた。眠っている人へ勝手に入らなかった。


 昨日と今日の違いが、名前のついた人から出てくる。


「私も公開で」


 後ろから声がした。


「名前も出してください」


 さっきまで匿名に印をつけていた人が、自分で札を持って前へ出る。


 監査団長は、今度は札を感謝状とは呼ばなかった。


「実績があることと、王宮資格がないことは別問題です」


 論点が、一つになった。



 町議長は古い領法の綴じ本を机へ置いた。


「北辺には、地域の医療と防災に必要な実務者を、領内で公認する権限がある」


 王宮の資格とは別だ。王国中で通る身分にはならない。


 それでも、ここで働く根拠にはなる。


「リディア・フェンを、北辺領内の公認夢守りとして任命する議案を出します」


 広場がざわめいた。


 ミナは先生へ目を向ける。


 リディアはすぐにはうなずかなかった。任命状の空欄を見て、それから町議長へ向き直る。


「受けます。ただし、条件があります」


 監査団長が鼻で息を吐いた。


「条件?」


「同意の記録。報酬。休養。途中で退く権利。それから、手順を私一人のものにしないことです」


 町議長が書記へ目を向ける。


「議事録へ」


 ユリアンは何も足さなかった。


 採決が始まった。


 町議員の手が上がる。住民代表の手も上がる。


 ミナは数えようとして、途中でやめた。


 結果は、町議長が読んだ。


「可決。北辺の公認夢守り、リディア・フェン」


 名前が広場へ返ってきた。


 書記が任命状へ書き込む。


 一番上の担当欄に、補助員ではなく、リディア・フェン。


 その下には夜番、記録係、医師の共同欄が並んだ。


 一人に戻すための名前ではなかった。


 監査団長が告発状を畳む。


「北辺領内での即時拘束は求めません。ただし、王宮がこの任命を承認したわけではない」


 勝った、と言っていいのか、ミナにはまだ分からなかった。


 でも、先生の名前は消されなかった。



 夕暮れ、広場の灯りが増え始めたころだった。


 城へ戻る石段の下で、監査団長がもう一度リディアを呼び止めた。


「最後に、こちらを」


 差し出された紙には黒い封蝋があった。


 表に書かれているのは、短い文字だけだった。


 エレナ・フェン罪状。


 リディアの指が封へかかった。


 ミナは息を止めた。


「母君の件が事実なら、今日の任命にも意味はありません」


 監査団長の声は静かだった。


 リディアの指が、封から離れた。


「記録してください」


 隣の書記へ言う。


「受領した時刻。封の状態。渡した方の氏名と立場」


「今、開かないのですか」


「開く時は、私が決めます」


 リディアは文書をユリアンへ渡さなかった。


 自分の管理箱を開く。文書を中へ入れ、鍵をかけた。


 ミナは表の名前を覚えた。


 覚えていても、まだ中身は知らない。


 だから、言わなかった。

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