表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もう殿下の悪夢は引き受けません ~「眠らせるだけの女」と婚約破棄された宮廷夢守り、眠れない辺境公に傷ごと大切にされています~  作者: さくらろ
第1章「夜を返す」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/28

第15話 死を先に見る人

 熱が下がって二日目の昼、北辺城の小応接室には、暖炉の火より窓から差す白い光のほうが強かった。


 ユリアン・ノルドは出口に近い椅子へ座り、向かいのリディア・フェンと、扉の外で待つ記録係の気配を順に確かめた。熱はもうない。ただ、茶器を持つ指にはまだ少し力が戻りきっていなかった。


 机には、あの夜の交代看護表と公爵印が並んでいた。


 看護表には、三十分ごとの体温、飲水、呼吸と担当者が記されている。公爵印は、その紙の横で窓の光を鈍く返していた。


 二日前、リディアは高熱で朦朧とした自分の「助けてくれ」を、夢へ入る許可にはしなかった。だから今度は、起きている自分の言葉で話すと決めた。


「記録係は外に置いた。ここから先を残すかは、話した後に決める」


「分かりました」


 リディアはそれだけ答えた。机の上ではなく、ユリアンの手元を一度見た。震えてはいないかを見ているのだろう。


 その視線に気づける程度には、もう頭は働いている。


「私は、眠ると人が死ぬところを見る」


 言ってしまえば、十年抱えていたものにしては短かった。


 リディアの指が止まる。


「近しい者ほど多い。日時が出るわけではない。場所も、いつも正しいとは限らない。ただ、見たあとで配置を変え、人を遠ざけ、それで別の事故が起きたこともある」


 窓の外で風が鳴った。ユリアンは茶へ手を伸ばし、やめた。


「だから長く眠らないようにした。近くに人を置かなければ、見るものも減ると思った」


「減りましたか」


「少しは」


 まだ、リディアのことを言っていない。


「最近は、君がいる」


 リディアは目を逸らさなかった。


「私が、ですか」


「ああ。死んでいる」


 公爵印は指一本ぶんのところにある。紙を出し、治療から外すと書き、押せば済む。


 守るためなら、それが領主として正しい。十年間、そうやってきた。


「だから、治療から――」


 言葉を切った。


 リディアは急かさなかった。


 机の反対側にある交代看護表が目に入る。自分が何も決められなかった夜を、一人ではなく何人もの名前が支えていた。


 ユリアンは公爵印から手を離した。


「……外すべきだと、思った」


「では、そこを分けましょう」


 リディアが新しい紙を一枚取った。


 縦に二本、線を引く。紙が三つの細長い欄に分かれた。


「一つ目は、夢で見たことです」


 左端にそう書く。


「二つ目は、現実で確認したこと」


 中央は空白のまま残した。


「三つ目は、今選べることです」


 ユリアンは三つの見出しを見比べた。


「君が死ぬ夢を見た。だから治療から外すべきだ」


「前半は一つ目ですね」


 リディアは左の欄へ、ユリアンが見た内容だけを書く。


「後半は三つ目です。同じ文にしないでください」


 声は穏やかだったが、ペン先は迷わない。


 ユリアンは息を吐いた。


「手厳しいな」


「分けるための欄ですから」


 中央の空白が妙に目についた。


 まだ現実では、リディアは目の前にいる。生きていて、紙に線を引き、冷めかけた茶を一口も飲んでいない。


「これを、予知三欄記録にしましょう。夢を捨てるためではありません。夢だけで決めないための記録です」


「分かった」


 ユリアンは公爵印を机の端へ押した。


「次は、入る条件を決めたいです」


 一時間。現実側には医師と記録係を置く。停止は銀鈴。夢の中でどちらか一人が死者を追い始めたら、その時点で帰る。


 戻ってから現実を確かめ、それから行動を決める。


 条件が一つ増えるたび、逃げ道が減るのに、不思議と息はしやすくなった。


「私にも止める権利を」


「もちろんです」


「君にも」


「はい」


 ユリアンは最後に署名した。


「未来を知らせる。選ぶのは二人だ」


 リディアも隣へ名を書いた。


 施術は翌朝、医師が体調を見てから始めることにした。



 翌朝、銀鈴の小さな音を最後に聞いて目を閉じたはずだった。


 次に目を開けると、雪が靴の甲まで積もっていた。


 白い雪原の向こうに、北辺城の中庭がある。隣にはリディアが立ち、背後には帰還口の淡い光が残っていた。


 足跡がいくつもある。


 城門へ。医務室へ。相談所へ。ほかにも、雪に半分埋もれた細い跡が続いていた。


 鐘が鳴った。


 黒い鐘だった。


 一度、低く響いただけで、雪原の景色が変わる。


 一本の足跡だけが濃くなった。ほかの跡は急に薄れ、その道の先に人が倒れている。


 リディアだった。


 隣にもリディアがいる。それなのに前方では、同じ顔が雪の上に横たわり、動かない。


 ユリアンの身体は、考えるより先に濃い足跡へ向いた。


「ユリアン」


 呼ばれて止まる。


「鐘が鳴る前、道は何本ありましたか」


 死んだリディアから目を離すことのほうが、走り出すより難しかった。


「……三本は見た」


「私は四本です。医務室、城門、相談所。それから右奥に一つ」


「この道を追わなければ、死因が分からない」


「戻って現実を確かめることもできます」


 見捨てるようで、ひどく気分が悪い。


 だが、それは夢で見たことだ。


 現実で確認したことではない。


 ユリアンは雪の上へ視線を落とした。


 黒い鐘の影だけが、太陽とは逆の方向へ長く伸びていた。影の下で、薄い足跡が消えかけている。


「相談所へ行く」


 死の像を追わず、別の足跡へ踏み出した。


 背後で鐘がもう一度鳴る。


 倒れていたリディアの姿が雪ごと崩れ、白くほどけた。


 代わりに帰還口の光が細くなる。


 答えを一つ得るたび、戻る道を削られているようだった。



 相談所の前まで来ると、窓の中に朝の景色がいくつも浮かんだ。


 一つの窓では、リディアがミナと机を挟み、記録票を束ねている。


 さきほど雪の上で死んでいた人物が、ここでは少し困った顔で紙の順番を直していた。


「生きているな」


「少なくとも、この道では」


 それだけで十分なはずだった。


 それでもユリアンは、次の窓へ目を向けた。あと一つ見れば、もう少し分かるかもしれない。死の理由まで見つければ、現実へ戻ってすぐ手を打てる。


「時間です」


 リディアが言った。


 夢の中に持ち込んだ銀鈴が、ユリアンの手元にある。


 合意した一時間。完全に理解できなくても帰る。


 ユリアンは鈴を鳴らした。


 帰還口へ振り返った、そのときだった。


 黒い鐘の下に、死者の列が一瞬だけ現れた。


 端に、見慣れた王宮の衣装がある。


 王宮で夢の象徴を読む聖夢聖女、セラフィナ・ベルだった。


 彼女はユリアンと親しい人間ではない。


 その手には聖具ではなく、綴じ糸を切られた記録簿があった。背後の床には、王宮で使われる石の模様が見える。


「セラフィナ……?」


 確かめる前に、帰還口の光が細く揺れた。


 それでも追う道は選ばず、ユリアンはリディアと一緒に光の中へ戻った。



 次に見えたのは、自室の天井だった。


 夢から戻ったところまでは覚えている。その後の記憶が、きれいに抜けていた。


「お目覚めですか」


 枕元にいた医師が時計を見る。


 針は、施術を始めた時刻から一時間進んでいた。


「……一時間?」


「はい。帰還後、そのまま眠っておられました」


 胸の奥が、遅れてざわつく。


 夢を見て、帰った。それでも身体は起き上がらず、時計の針が一時間ぶん進むまで眠っていた。


 扉が開き、リディアと記録係が入ってくる。契約どおり、彼女は眠っている間ずっと枕元にはいなかった。


「体調は」


「任務に支障はない、と言うと怒られそうだな」


「医師が困ります」


 リディアはそう言って、自分で左袖を肘まで上げた。


「私は左腕だけ確認します」


 前に自分で決めた範囲だった。


 古い夜傷は残っている。けれど、新しい線は増えていない。


 記録係が、以前の「十二分」の隣へ「一時間」と書いた。


「睡眠時間だけではありません」


 リディアがその下を指す。


「合意どおり帰還、も成果です」


「十年ぶりなら、一時間だけでも十分に大勝だと思ったが」


「二つ勝ったことにしてください」


 ユリアンは少しだけ笑った。


 だが、すぐにセラフィナの姿が戻ってくる。


「王宮へ使者を出す」


 言いかけて、止めた。


 机には昨日の三欄の紙がある。


 ユリアンは「夢で見たこと」の欄へ、セラフィナが死者の列にいたことを書いた。


 次に「現実で確認したこと」へ移る。


 北辺へ届いている情報では、セラフィナの死亡報告はない。少なくとも、夢の像を現実の死として扱う根拠はなかった。


 最後の欄へ、すぐ警告を命じる代わりに書く。


 王宮側の記録と、本人の状況を確かめる。


 ペンを置く。


 一時間眠れたことは、まだ身体の中で現実になりきっていなかった。嬉しいと決めるには、少し大きすぎる。


 ただ、見た死を一人で命令へ変えずに済んだことだけは分かる。


 それでも、なぜセラフィナがあの列にいたのかは、三つのどの欄にもまだ書けなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ