第五話:炉の影、鉄の匂い
想念の乱れに惑わされず、具現型霊唱術を確実に成功させるには、同じ手順を何度も繰り返し、身体に刻み込むしかないと、ルヴェリスは言った。そうして、初めての成功から二日ほどで、ほぼ失敗なく陣を固定できるようになった。もう、やることは決まっている。死霊術が行使された痕跡が残る可能性を考えれば、街の北西部にある墓地がまず疑わしい。リオはそう判断し、一行はそこを目指した。
クロムヘヴンの中心街を離れ、北西へ向かう道に入る。店が途切れ、通りが細くなる。石畳には荷車の通った跡が何本も走り、壁際には煤が薄く残っていた。風向きが変わるたび、鉄と炭の匂いが混じる。角を曲がったところで、金床を打つ甲高い響きが強くなった。一定の間で続く音の合間に、荒い声が割り込む。伊織が歩みを緩める。
「……そういや、この辺りだったな」
リオは伊織の視線の先を追った。煤で黒ずんだ扉。壁から突き出た煙突。扉の上には木札が掛かっている。文字は大ぶりで、飾り気はない。
〈ヴォルカン=ハードグレイン鍛工房〉
伊織が札を見て言った。
「ここは昔、トルグの爺さんがやってた場所だ」
取っ手は手垢と煤で黒く、木枠には擦れた跡がある。伊織が続けた。
「墓地へ行く前に、刀の調整をしておきたい。何が出るか、分かったもんじゃないしな」
リオは背中の剣帯に指をかけ、重みを確かめた。
「だったら俺の剣も、ついでに見てもらいます」
セリアが工房の中から響く声を聞き、不安げに伊織を見た。
「鍛冶屋って、いつもこんなに怒鳴ってるの?」
「金物を打つ音がでかいからだろ」
伊織が短く言い、先に扉へ手を伸ばした。
扉が開いた。熱が顔に当たる。鉄と炭の匂いが一気に濃くなる。金床を叩く音が、耳の奥まで響いた。
「ヴォルカン! 炉の火が落ちてきてるぞ!」
「お前が羽口をいじったせいだろうが!」
工房の奥で言い合っていた二人のドワーフが、同時にこちらを見た。片方は眉間に皺を寄せ、もう片方は口を開けたまま、こちらを見た。ルヴェリスが、ほんのわずかに顔をしかめた。
「……客か?」
眉間に皺を寄せていたほうが言った。声は低い。もう片方が、鼻で笑う。
「客に決まってるだろ!見りゃ分かる!」
「黙れ。鞴が止まる」
「止めてるのはお前だろ!羽口の当てが甘いんだ!」
言い合いながらも、手は止まらない。片方が火かき棒で炭を寄せ、もう片方が鞴の具合を確かめる。壁越しにどこかの工房から、金床を叩く音が続いた。伊織が一歩前に出た。
「手入れを頼みたい」
皺のほうが、ようやくこちらへ身体を向けた。視線は伊織の腰元へ落ち、次いでリオの背へ移る。
「……剣だな。二振り」
ヴォルカンは炉へ目を戻し、店の奥に向かって怒鳴った。
「おい、炭を見とけ。鞴もな。客だ!」
奥から短い返事が返り、足音が近づく。
「よろしく頼む」
伊織はそう言って、腰の剣を抜き、柄を向けて差し出した。リオも背の剣を外し、同じように差し出す。皺のほうが短く名乗った。
「ヴォルカンだ」
もう片方が大声で続ける。
「ハードグレインだ!変わった剣だな!」
「なんじゃこりゃあ?片刃で、しかもこの反り……こんな形、ドワーフでも滅多に作れんぞ」
そう言ってヴォルカンは二振りの剣を両手に携え、興味深げに眺めた。ハードグレインが身を乗り出す。
「おいヴォルカン、落とすなよ!刃を見ただけで酒が飲めそうな剣じゃねぇか!」
ヴォルカンは返事をせず、リオの剣を、炉の赤を拾う角度でかざした。根元から峰、刃文の揺れまで順に目を通す。視線が止まった。
「精緋鋼か……おそらく、芯に銀紡鉱を使っているな……ううむ」
ヴォルカンは、ブツブツと言いながら唸る。
「マナの通りが異様にいい鉱石だ。魔法剣士向けの素材だが……」
目線がリオへ移る。
「お前、魔法は使えるのか」
「全然。火だって点けられません」
「だろうな」
ヴォルカンは短く言い、刀身をもう一度だけ光に透かした。クララが吹き出しそうになり、口元を引き締める。
「この剣には、魔法を通した痕がひとつも無い。……もったいない。だが、これだけの素材を剣技だけで使うなら、まあ、それはそれで筋が通ってる」
セリアが、燃えさかる炉をのぞき込もうと近づく。熱が頬に当たって目を細めた瞬間、伊織が襟を掴んで引き戻した。
「近い」
「分かってるってば!」
ハードグレインが、楽しそうに笑う。
「火はな、近づかねぇと分かんねぇんだよ!」
「分かる頃には焦げている」
ヴォルカンがぼそりと言い、リオの剣をハードグレインに預け、伊織の剣を検分する。
「こっちは、普通の鋼のようだな」
そう言うと、剣を作業台へ置いた。布で一度だけ表面を拭う。その手が、刃先で止まった。
「ほんの少しだが、欠けてる」
伊織が黙って頷いた。ヴォルカンは刃を慎重に調べ、次にリオの剣へ目を向けた。
「ハードグレイン、そっちはどうだ」
ハードグレインは、リオの剣をまじまじと眺めた。荒い手つきに見えて、刃の扱いは慎重だった。炉の赤を拾う角度で刃先を見て、次に根元まで一気に視線を走らせる。
「欠けはねぇ。刃も立ってる」
言ってから、刃先のあたりをもう一度だけ見直す。
「ちょいと研げば十分だ。ほとんど使ってねぇ剣の顔だな」
リオが安堵の声を漏らす。
「それなら助かります」
ハードグレインは作業台に剣を置き、慣れた手つきで砥ぎの準備をする。一方、ヴォルカンは伊織の剣の刃先を見たまま言った。
「この程度の欠けだったら、研ぎ直せば問題ないな」
伊織は視線を外さず、短く返した。
「頼む」
ヴォルカンは刃先を布で拭い、欠けの位置を確かめてから、作業台へ置く。ハードグレインが、作業台の上の二振りを見比べるように笑った。
「しかしよ。この剣の反りは――いいな」
ヴォルカンも一瞬だけ目を上げる。
「美しい反りだ。力を入れなくても切れる形にしてある」
ヴォルカンはそれ以上は言わず、伊織の剣を作業台へ置いた。
「欠けは小さいが、放っておくと広がる。ここは直す」
砥石がいくつも並ぶ。ヴォルカンは粗いほうに水を打ち、刃先を当てた。欠けのある部分だけを削る。数度当てては拭き、また当てる。形が整ったところで、より細かい目の砥石に替える。ハードグレインはリオの剣を手に取り、刃を一度見通してから言った。
「こっちは、刃は立ってる。軽く研ぐだけでいい」
同じように水を打ち、刃先から根元まで薄く砥石を当てる。しばらくして、ハードグレインが先にリオの剣を差し出す。
「ほら。これで十分だ」
リオは両手で受け取り、礼を言った。
「ありがとうございます」
それから一時間ほどして、ヴォルカンも伊織の剣を返す。伊織は受け取り、腰へ戻した。ハードグレインが顎をしゃくる。
「代は二振りで銀貨三枚だ」
リオが支払いを済ませると、ハードグレインが尋ねた。
「それにしても……その剣、どこで作らせた」
リオは答える。
「サヴェルナのトルグさんです」
ヴォルカンの目が上がる。ハードグレインも一拍遅れて口を開けた。
「トルグ?」
ハードグレインがリオを見る。
「で、そのトルグが、お前にこれを勧めたのか」
「はい。“どうせなら師匠と同じような構造にしてみるか?”って」
ヴォルカンが呆れたように言う。
「……ほぉ。あの偏屈が“勧めた”とな」
ハードグレインが口の端を上げる。
「トルグが勧めるって、それ相当だぞ。気に入らん客には鍋のフタを渡したりするからな」
ヴォルカンはしばらく無言で考えていたようだったが、やがて言った。
「……なるほど。分かったぞ。これ、“異形の剣”と同じ形だな」
ハードグレインが相槌を打つ。
「おお、そうだ!」
「“異形の剣”……?」
リオが聞き返す。ヴォルカンは手についた水気を布で拭い、言った。
「だいぶ昔の話だがな。トルグの所に、黒衣の妙な男が来たって話がある」
「黒衣の……」
リオは言葉をそこで止め、伊織を見た。伊織もリオを見返す。
「……何だよ」
ヴォルカンは構わず続けた。
「トルグの話だと、とにかく注文が細かかったらしい。鋼材を何回も折れだの、粘土を塗れだの、真っ赤にしたら一気に水へ沈めろだの――」
ハードグレインが笑い混じりに言う。
「鍛冶屋泣かせだな」
「まったくだ。だがな」
ヴォルカンは言った。
「あの気配に逆らえなかった、とトルグは言ってた。鍛冶屋として、怖気が走ったのは初めてだったともな。終いには“二度と来るな”と吐き捨てたらしいが、あの男は平然としてたそうだ」
ハードグレインが肩をすくめる。
「で、その黒衣の男が、西の方で魔物を斬り回って、遺跡を荒らしてた……“魔人”だったって話じゃねぇか」
「……知らんな」
伊織が短く返す。
「お前が知らんでも、ウチらは知っとるわ!」
ヴォルカンが言い、工房の空気が少しだけ和らいだ。彼はリオの持つ剣へ視線を戻す。
「でな。その剣の形だ。トルグが話してた“異形の剣”と、そっくりだ」
リオは柄に指をかけたまま黙って聞く。
「ええか。この剣には、まだ“眠っとる部分”がだいぶ残っとる。材の底力を、今のお前はまだ引き出しきれとらん」
「……伸びしろがまだあるってことですか」
「そういうこっちゃ。剣は持ち主と育つ。この剣は……お前が追いつくのを待っとる」
「……追いつくって。どうすれば、ですか」
ヴォルカンは当然のことのように言った。
「そりゃ、マナを通すことじゃろ。銀紡鉱を芯に使っとる。通してやらにゃ、材が泣く」
ヴォルカンはリオの剣を見て、顎をしゃくった。
「……今の話、聞いても分からんだろう。見せてもらえ」
「どうやって」
リオが言いかけたところで、ルヴェリスが声を掛けた。
「クララ、あなたがリオの剣を持って、エンチャントをかけてみてください」
クララは頷き、リオから剣を受け取った。ヴォルカンの指示通り、刃を上にして、両手で床に対して水平に支える。ヴォルカンが作業台から布を一枚取ってくる。厚手で、煤の匂いがする。その布を剣の上へそっと掛けた。布はそのまま、剣の上に乗っている。
「よし、いいぞ」
ヴォルカンの合図と共に、ルヴェリスがクララに命じた。
「かけて」
クララは一度だけ息を整え、詠唱する。
「焔よ、刃に宿りて敵を灼け」
刃の縁に、淡い光が灯った。次の瞬間、布の表面が小さく焦げ、焦げ跡が線になる。布は自重で沈み、そのまま切れ目が走った。裂けた布が、二枚に分かれて落ちる。セリアが目を丸くする。リオも思わず言葉を失った。ヴォルカンは落ちた布を拾い、焦げた端を指でつまむ。
「……なるほどな」
ハードグレインが身を乗り出す。
「今のが“通す”ってやつか。物凄い切れ味だな」
ヴォルカンは剣の峰を指さして言った。峰にはうっすらと、筋のような模様が出ている。
「どうだ。これが通った痕だ。こうやって何度も通してやることで、この剣は成長していくんだ」
クララは剣をゆっくり下ろし、光が消えるのを確かめてから、リオへ剣を返した。リオは言葉に詰まり、クララのほうへ助けを求めるような視線を送った。クララは肩をすくめ、困ったような顔をするだけだった。ルヴェリスが意地悪そうな目をして言った。
「今から術理学院に入学されますか?」
セリアが吹き出しかけて、口元を押さえた。リオは何とも言えない表情で、ルヴェリスを見た。
「……しません」
「でしょうね」
ルヴェリスは言い、目だけで笑った。リオはヴォルカンとハードグレインに向き直る。
「世話になりました」
ヴォルカンは短く手を上げ、ハードグレインは片手を振った。二人はそのまま工房の奥へ戻る。一行も外へ出た。鍛冶場の熱と匂いが背後に残り、歩くほど薄れていく。北西へ向かう道は次第に細くなり、人通りが減った。
やがて低い石塀と鉄の門が見えた。墓地だった。リオは門の前で足を止める。
「……ここだな」
一行は中へと入っていった。門の内側は、思ったよりも広かった。墓標は古いものから新しいものまで混じり、石の色も背丈も揃っていない。草は伸び放題ではなく、踏み固められた通り道がいくつも走っている。誰かが手を入れているのは確かだが、人気はない。クララがあちこちで具現型霊唱術を発動し、固定化を試みる。淡い光が瞬いては消える。残るべきものは何も残らない。
場所を変える。墓地の隅まで行き、戻り、通り道の上でも試す。クララは失敗していない。固定化も崩れていない。それでも、拾える痕がない。やがて、彼女が首を振った。
「……ありません」
ルヴェリスも短く言う。
「どうも最初から、ここには無いようですね」
リオは門のほうを振り返り、独り言のように呟いた。
「墓地じゃない。死霊術を使った場所は……別にある」
セリアがそれに呼応するように言った。
「教団の施設なんじゃない?やっぱり」
リオは頷き、視線を上げた。次に探るべき場所だけが、はっきりした。




