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クロムヘヴンの偽導者 ~救済を謳う導師と、北の都市に広がる教義の熱~ 全26話完結  作者: 甘栄堂
第四章:真実の顕現

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第三話:赦しの輪の内側で

 朝の宿は静かだった。通りの音はまだ少なく、階下で食器が触れ合う音だけが聞こえる。卓の上には紙が並び、教団で聞いた言葉や街で見た反応、温泉で拾った話が簡潔に書かれている。


 リオは紙を寄せ、内容ごとにまとめた。努力や判断を要さずとも救われる、という教えが広まっていること。死んだはずの者が戻った、という証言があること。尾行されたこと。やがて調査に対する反応が悪くなり、教団からの警戒が明らかになったこと。温泉で聞いた、ファルクという人物の来歴と評判。


「この先も、話の種類は変わらない」


 リオが言うと、クララは紙を見たまま頷いた。


「どれもこれも噂の域を出ない……。安全かどうかを判断できる材料には届いていないよね」


 セリアは椅子に腰掛け、肩をすくめる。


「あたしたち、春学期があるしね。長居はできない」


 リオは卓を見渡した。


「一度、戻ろう。ここまでの情報をまとめて、サヴェルナの連盟に報告する。判断は向こうに仰ぐ」


 反対は出なかった。間を挟んで、リオが続ける。


「街を出る前に、サヤのところに寄らないか。挨拶くらいはしていこう」


 誰も異を唱えなかった。


 サヤのいる詰所へ向かう道は、朝の支度の匂いが残っていた。洗濯物が軒から垂れ、戸口では鍋の蓋が鳴る。通りを横切る子どもが走り抜け、呼び止める声が背後にこだまする。銀の輪を首に下げた者もいれば、何も身につけていない者もいる。歩調を揃えたまま、セリアが横目でリオを見た。


「……今まで、サヤのところに行かなかったのは?」


 リオは足を止めずに答えた。


「私兵団に聞いていた。普段通りだってさ。無理に会うより、そっとしておいた方がいいと思った」


 少し間を置いて、ルヴェリスが短く言葉を添えた。


「あんなことがあった後ですから。彼女が落ち着いているというのなら、刺激は避けた方がいいでしょう」


 ルヴェリスの言葉に伊織はうん、うん、と頷いた。


 角を曲がると、人の流れが淀んだ。前方から、複数の声が重なって聞こえる。呼び止める調子と、制止する調子が混じる。騒ぎを聞きつけた住人が、通りに集まり始めていた。リオたちは顔を見合わせ、そのまま足を向けた。


「触らないで」

「誰か、止めてくれ」


 通りの先で、人の輪ができていた。距離を保ったまま円を描き、誰もそれ以上、近づこうとしない。輪の内側を歩いているのは一人の男だった。足取りは遅く、呼びかけに対する反応も鈍い。よたよたと、あてどもなく歩いていた。やがて男は、人垣に近づいていく。


「ちょっと、近づかないで!」


 声の主は若い女性だった。別の方向から、押し殺したような声が続く。


「誰か止めないのか。さっきも売り物にぶつかって、蹴倒していたぞ」


 輪の一角から、銀の輪を首に下げた女が前に出た。


「大丈夫です。悪意があるわけではありません」


 確信に満ちているような調子だった。


「この方も苦しんでいるのです。見守ることが大事です」


 非信徒と思しき男が一歩引いた。


「でも、見ているだけでいいのか? さっきも——」


 くだんの男は人にぶつかろうが看板を倒そうが、お構いなしにあちらこちらを歩き回る。


「触れないで!」


「こっちに来ないで!」

 叫びが重なるが、誰も止めようとはしない。制止の声は上がるが、手は出ない。銀の輪を下げた者はにこにこと、その様子を見守っているだけだ。


 やがて男がふらりと向きを変えた。道の端で露店を開いていた老女の元へ男が歩みを進める。そしてそのまま、売り物を踏みつけながら、呆然と立ちすくんでいた老女に近づいていく。鈍い音がして、老女が倒れた。尻もちでは済まず、背中から地面に叩きつけられる。息を吸う音が詰まり、声にならない呻きが漏れた。


「お母さん!」


 駆け寄ったのは、少し離れた所にいた女性だった。老女の身体を起こそうとするが、男がその腕に絡むように倒れ込む。支えきれず、二人はもつれたまま倒れた。肘が不自然な角度で地面に当たり、乾いた音がした。女性の喉から短い悲鳴が飛び出る。腕に力が入らず、指先が小刻みに震えた。


「……動かない」


 掠れた声だった。肩から肘にかけて、力が抜け落ちていく。周囲が一斉に下がった。誰かが布を差し出し、別の誰かが老女の頭の下に荷を滑り込ませる。地面に血がにじみ、石の隙間に広がった。男は、倒れた二人の脇をすり抜けるように、また歩き出した。


「だから言っただろ……!」


 怒鳴り声が上がる。しかし銀の輪を下げた女は、慌てた様子もなく言った。


「故意ではありません。この方は、何も分かっていないだけです」


 老女と娘は、近所の人に付き添われて治療院へと運ばれていく。呻き声と、必死に母親の名を呼ぶ声が遠ざかっていく。その間も、男は拘束されることなく、その場を歩き回っていた。足取りは相変わらず遅く、視線も定まらない。銀の輪を下げた女が、少し距離を置いて付き添っている。


 セリアが、近くにいた住民に声をかけた。


「ねぇ、あの人……どうしちゃったんですか?」


 銀の輪を下げていない中年の男が、周囲を気にしながら答える。


「実はな……病気で亡くなったって聞いてたんだ。でも、光輪の奇跡が文字通り“奇跡”を起こして、戻ってきたって話でさ」


 視線が、付き添う女に向いた。


「で、一緒にいるのが、あの男の奥さんだよ」


 ルヴェリスは男の様子から目を離さない。


「……これは、もしかして……」


 ルヴェリスは伊織を見た。


「伊織様。あの方に、脈があるかどうか、確かめてきてください」


 伊織は即座に頷き、リオの方を向く。


「よし、リオ。行ってこい」

「え……?」


 一瞬、リオは目を瞬かせたが、伊織が顎で男を示す。逆らえるはずもない。リオはおっかなびっくりと近づき、男の手を取った。反応はない。皮膚は冷たく、握り返されることもない。脈を探すが、拍動は感じられなかった。


「……」


 銀の輪の女が声を荒げる。


「ちょっと、何するんですか! 触らないでください!」


 伊織が、肩越しに言った。


「怪我をした二人が言いたかったのは、それだろうよ」


 女は言葉を失い、口をつぐんだ。リオは手を放し、ルヴェリスのもとへ戻る。


「……脈、ありません。手も冷たい。何か……死んでるんじゃないですか、あの人。なのに、どうして動いてるんです……」


 声が震え、肩が強張る。クララが息を呑んだ。


「え……それって、ゾンビ?」


 セリアが即座に食いつく。


「なにそれ?」


 リオが慌てて説明する。


「死んだはずの人間が動き出して、生きてる人を襲ってくる。人肉を食べる。噛まれると、自分も同じになるって話で……」


 セリアは目を見開き、両腕を抱えて身をすくめた。ルヴェリスが、きっぱりと言った。


「違います。屍人しびとは人を食べませんし、噛まれても同じ屍人にはなりません」


 一拍置いて、断言する。


「これは、死霊術ネクロマンシーです」

「……死霊術、ですか」


 クララが小さく息を吸った。


「つまり、あの人は――」


 ルヴェリスは視線を男から外さない。


「生き返ったのではありません。死体が動かされているだけです」


 リオが低く言う。


「あの人に……意思はあるんですか?」

「いいえ」


 ルヴェリスは即座に否定した。


「言葉を話すこともありますが、それも術によるものです。生前の本人の意思は、どこにもありません」


 リオは再び男を見やり、何かを言おうとしたが言葉にはならなかった。


「……ここで話すことではありませんね」


 ルヴェリスが男の妻にチラリと目線をやり、小声で言った。


「予定を中断して、宿へ戻りませんか」

「え?……サヤに会いに行かないんですか?」


 クララがほんの少し不服な様子で聞いたが、重大な話があると言われた一行はそのまま、その場を離れた。角を曲がると、街の音がいつもの喧噪に戻る。鍋の蓋が鳴り、呼び声が交わる。しかし、さきほどまでの異様さが全員の脳裏に貼り付いたままだった。宿の部屋に戻ると、ルヴェリスは扉を閉め、外に声が漏れないように気をつけながら口を開いた。


「先ほどの件は、死霊術です。疑いようはありません」


 ルヴェリスは淡々と語り出した。


「死体を動かし、必要に応じて言動を模した残響を与える。魂は呼び戻していません。だから意思はないのです」


 クララが問い返す。


「学院では……習いませんよね?聞いたこともありません」

「そもそも想定されていません」


 ルヴェリスは即答した。


「王国では違法です。王国どころか、この大陸中、どの国家でも違法行為です。行使は重罪。捕縛されれば終身禁固、場合によっては術理封印が下されます」


 セリアが眉をひそめる。


「死体を動かすだけですよね?そんなに悪いこととは思えないんですけど……」

「とんでもない」


 ルヴェリスは目を見開き、セリアに向き直った。


「これは秩序の問題です。死を越えて人を動かす術は、責任の所在を消します。判断も、償いも、引き受け手がいなくなる」


 伊織が短く言った。


「だから禁じられている?」

「ええ」


 リオは卓に手を置いたまま、視線を落とす。


「じゃあ……光輪の奇跡が、それをやっているって……」

「残念ながら、まだ断定はできません」


 ルヴェリスは手を挙げて遮った。


「屍人が動いている事実と、“奇跡”という呼び名が結びついている。光輪の奇跡との関連はまず、間違いないでしょう。しかし明確な証拠が必要です」

「十分な証拠だと思うのですが」


 リオはそう言ったが、ルヴェリスは首を振った。


「“奇跡”で言い逃れをされてしまいます。実際に死霊術を行使した、という証拠を突きつけないと、王国も動けません」

「状況証拠しか無い、ということね……」


 クララが目を閉じ、頭の後ろで手を組む。そのまま、しばし沈黙が続いた。


「しかし、どうやって、その証拠を掴めばいいんです?」


 沈黙に耐えきれなくなり、茶の準備をし始めたセリアを横目に、リオが尋ねる。


「実際に術を発動している現場を、王国兵や王国直属の王宮魔導師に見せるか……」

「うーん、それは難しそうだ」

「術の痕跡を固定して証拠として残し、しかるべき人に見せるか、ですね」


 そこまでルヴェリスが言ったところで、ティーポットを持ったセリアが不思議そうに言った。


「先生、あたし魔法アーケイン魔術ソーサリーには詳しくないんですけど、そんなの残せるんですか?」


 クララがプッ、と思わず吹き出した。


「あんな凄い魔術を繰り出したセリアが言うと、何かおかしい」

「あたしじゃないよ!あたしに取り憑いた奴だよ!」


 それまで緊張の面持ちだったルヴェリスも、思わず笑みがこぼれた。


「そこで、具現型霊唱術なのです」


 ルヴェリスの言葉にクララとセリアは顔を見合わせた。


「死霊術を発動する際の魔法陣を、具現型霊唱術により、“形”として残すのですよ」


 クララが口を開く。


「でも……私、そんなの全然想像できません。先生がいつもおっしゃっているように、霊唱術には“想念”が最も大事なんですよね?」


 ルヴェリスは頷いた。


「ええ、もちろん。即席で達成できることではありません。ですから、練習と素材が要ります。構造が明確で、安定して展開できるものが」


 伊織は話に全くついて行けない。


「何を言っているのか、さっぱり理解出来ないな。おい、リオ。お前分かるか?」


 水を向けられたリオも、肩をすくめて首を振るばかりだった。ルヴェリスの視線が、頼りない男たちを一巡する。


「陣を描き、確実に発動できる魔導師が必要です。その陣を、クララ、あなたが固定する練習をしましょう」

「なるほど……そこは分かりました。でも、どこにそんな魔導師が……?」

「中央第三詰所に、います」


 即答したルヴェリスの顔を、思わずクララは見つめた。


「サヤ……」


 クララは一瞬、言葉に詰まったが、何かを決意したかのように頷いた。


「会いに行く理由が変わっちゃったね?」


 セリアの無邪気な一言に、伊織が思わず、


「最初からそのまま行っておけばよかったね?」


 などと返し、「ねー?」とやり取りする二人を見ながら、ルヴェリスは半ば呆れた様子で言った。


「まだ朝食も済ませていませんでした。サヤには昼休憩の時間を狙って、会いに行きましょう」

「よし、何はともあれ、メシだメシだ!」


 伊織が元気に立ち上がる。


 遅い朝食を済ませた一行が向かった中央第三詰所では、ちょうど昼休憩に入ったところだった。詰所の奥からは、兵士達の談笑する声が聞こえてくる。腰を掛けていたサヤが、近づいてきた一行に気づき、顔を上げた。


「あれ。どうしたの、みんな揃って」


 いつも通りの調子だった。立ち上がり、腰に手を当てて首を傾げる。その様子に、クララは一瞬だけ言葉を失ったが、すぐに微笑んでみせた。ルヴェリスが一歩前に出る。


「少し、相談があります。業務の妨げになる話ではありません」

「ふうん。ルヴェリス先生がわざわざ?……何だろ?」


 サヤは肩をすくめ、周囲を一度見回した。


「昼休憩だけど、いいですよ。どうせ暇だし」


 場所を移し、簡潔に事情が伝えられる。街で見た男の様子。魔法陣の話。証拠を残す必要性。サヤは腕を組み、黙って聞いていた。


「つまり、私に魔法陣を出してほしいってことですか?」

「はい」


 ルヴェリスが頷く。


「術式そのものは、簡単なもので構いません」


 サヤは少し考える素振りを見せた。顎に指を当て、目を細める。


「うーん……まあ、いいですけど」


 クララの方に向いて、軽く笑う。


「役に立つなら、やりますよ」


 それで話はまとまった。


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