「罠」「果実」「手紙」
ある日、ポストに入っていた1通の手紙で日常が終わった。
「結婚することになりました。せっかくだから結婚する前に会いに来てよ」
なにがせっかくだからだ。メールアドレスも電話番号も知っているはずの彼女から届いた手紙を、男は机に放って溜息を吐いた。
幼馴染の彼女は昔から妙なことをした。大学進学で町を出るまで、何度も振り回されていた男は身に染みて知っている。ただ、今回は――呆れ以外にも感じたことに、気付かないふりをした。便箋から香るのは、彼女からもしていた懐かしい果実の香りだった。
翌週末、男は生まれ育った町へ帰ってきていた。狭く、顔馴染みばかりの古い町。大学進学を機に離れたここになど、最低限しか帰るつもりはなかった。それなのに自分はなぜここに立っているのだろう。そんなことを思いながら男は実家に荷物を置き、紙袋を片手に隣家を訪ねる。幼馴染の家だ。
おかえり、と出迎えた彼女は、数年会っていなかったのにさほど変わっていない。その姿にどこかほっとしつつも、男は手招きされるまま昔のように家に上がった。靴を脱いでから旦那になる相手がいるのに上がってよいものかと躊躇したが、幼馴染は気にした様子もなく既に自室のドアを開けている。そっちがいいならいいがと、その後ろ姿を追いかけた。
渡そうとした結婚祝いはとりあえず持っていてと返された。ベッドへ腰掛けた隣には流石に座れず、男は床のラグの上に腰を下ろす。部屋の中は子供のころに見た部屋から変わっていた。もう、学生の部屋ではなかった。
「わざわざ帰ってきてくれてありがと」
「お前が帰って来いって言ったんだろ、結婚おめでとう」
「……手紙見たとき、どう思った?」
どうって。どう思ったんだろう。口に出したら負けな気がした。
「どうもなにも……めでたいことだろ」
「したくない結婚でも?」
言葉に詰まる。家同士の付き合いだから、彼女の親とも親しくしていた。彼らがこいつに無理に結婚を? 何かがあってせざるを得なくなった? 思考はぐるぐる回る。嫌だ。
顔をしかめて俯いていた男は、幼馴染が嬉しそうな顔をしたのに気付かなかった。
「ごめん。うそだよ」
「は?」
「結婚するの、嘘。彼氏もいないよ」
男は思わず息を吐いた。嘘へ怒るより先に安堵の溜息が出て、男は答えじゃないかと笑った。負けでもいいと思えた。
「無理に結婚を迫ってくる相手とか、見合い相手とか、いないんだな?」
「うん」
「じゃあ俺とするか」
「うん」
その笑んだ顔を見て、男は力が抜けた。全部、罠だったのかもしれない。それでも、罠でも負けでも何でもいいかと思えた。男は自分の隣へ座り直した幼馴染の髪をぐしゃぐしゃにした。




