「灯台」「忘れ物」「金魚」
なにこれ、と少女は見覚えのない巾着袋を手に取った。
少女は灯台で暮らし、灯台を保つ灯台守だ。灯台の恩恵を受ける人は多くともわざわざ灯台を訪れる人はおらず、灯台にあるものと言えば少女が暮らすのに必要最低限なものだけ。つまり、この見覚えのない袋は自分のものではない。こんなところに何の理由か訪れた誰かの忘れ物だろう。
そのまま置いておけば落とし主が取りに戻ってくるんじゃないか。そう思った少女に答えるように、ぽつぽつと水が落ちた。雨に濡らしてしまうのは申し訳なく、少女は巾着袋を手に灯台の中へと入っていく。
その日の残りの仕事を終えた少女は、机の上に置いたままだった袋を改めて眺めた。名前でも書いてあれば――書いてあったとしても町から離れた少女は名前など覚えていなかったが――手掛かりになるかもしれない。しかし、小さな巾着袋に縫われていたのは、小さな魚だった。
金糸で縫われた魚を、少女はぼんやりと眺める。金色の糸など初めて見た。なんの魚なんだろう。少女はふと、こんなに海の近くで暮らしているのに魚のことを何一つ知らないことに気が付いた。丸っこい、ひらひらしたヒレを持つこの子の名前を知りたい。少女は久しぶりに何かを知りたいと思ったことには気付かなかった。
翌日。灯台の灯を落として清掃を終えれば、いつも通り昼下がりになっていた。少女はすっかり雨の止んだ灯台のふもとへ袋を置き、いつもとは違い海を眺めた。崖の上に建つ灯台から水面は遠く、魚は1匹も見えない。
「ちょっと君、そんなにしてたら落ちるよ」
いつしか崖から身を乗り出していた少女の背後から、慌てた声がかかる。少女が振り返ると、そこにいたのは見覚えのない青年だった。そもそもずいぶん久しぶりに他人に会った。少女は声の出し方も忘れたようで、口をぱくぱくさせた。
「君、ここの人? ここに忘れ物をしたかもしれないんだけど……あ、これ。君がとっておいてくれたの?」
コクコクと頷く少女に、巾着袋を手に取った青年は礼を言い立ち去ろうとした。あ、と少女は声を漏らす。今しかなかった。
「あの、その魚。なんていうの」
「え、これ? 金魚だよ」
「……もしかして、からかってる?」
少女は口を尖らせた。金色の魚だから金魚なんて、彼が適当を言っているようにしか思えなかった。青年は気を悪くした様子もなく、笑って少女を撫でた。
「今度持ってくるよ」
いつぶりかの約束だった。
それから数日が経ち、ある日の夕暮れ。灯台の扉はコツコツと叩かれる。少女が扉を開けると、あの日の青年が水の入った袋と小さく丸い鉢を手に立っていた。
「こんにちは、灯台守のお嬢さん。前に言ってた金魚だよ」
そう言って青年は灯台の中の机に鉢を置き、中へ袋の中身を移した。スルリと鉢の中へ丸く小さな赤が泳ぎ出る。
「……赤いよ?」
「うん、これが金魚」
「変なの」
色以外は、青年の巾着袋の刺繍通りの姿を少女はぼんやりと眺める。まん丸でひらひらした魚。海に流しちゃだめだからね、と置いて行った青年を見送り、少女はまた鉢の前で金魚を眺めた。まるで夕日のような赤だ、とまだ納得のいかない思いで、少女は金魚に文句を投げかけた。




