「失くした鍵」「秘密のノート」「屋上」
「先輩、なんでこんな回りくどい呼び出しをしたんですか」
僕と先輩のふたりだけが所属する文芸部。”秘密のノート”に書かれていた「話したいことがあります。放課後の屋上で待っています」なんて文字に気付いたのは、つい先ほどのことだった。
秘密のノートなんて言われているが、実際は部員が適当に思いついたけど自分では使わないネタを書き留めたり、好ましい言い回しや単語をメモ書きするだけのノート。それも部員が先輩と僕だけになってからはお互い、ほとんど触れることも無くなっている。ノートに書かれた呼び出しに気付いたのも、自分の小説の執筆に行き詰って何かないかと偶然開いたからだった。
「やっと気付いてくれたのね。もう1週間、毎日待ってたのよ」
「だからここ最近部室に居なかったんですか? こんな呼び出し、なんであんなところに書いたんですか」
「ひどい。こんな、あんななんて。あれは我が文芸部に代々伝わるノートなのに」
はいはいすみません、とおざなりに謝る僕を見て、先輩は拗ねた表情を作っていた顔を背けた。しかしそれも束の間、先輩はポケットから小さな鍵を取り出しつつ自慢げな顔をする。それは僕が少し前に失くしたと思っていた屋上の鍵だった。
「ふふん、部室の隅に落ちてたのよ。拾ったのが先生じゃなくて私で良かったわね」
「先輩が拾ってたんですか。良かった、返してください」
「嫌」
舌でも出しそうな表情をした先輩はすっと手を引いて鍵を隠した。僕は溜息を押し殺しつつ理由を聞くことにする。先輩はいつも気分や思い付きで行動するし、それに僕を付き合わせるのが好きだ。どうせ今回もそうなのだろう。
「僕が執筆行き詰ったときに屋上行くの知ってて、なんですぐ返してくれなかったんですか」
「返すも何も、これは文芸部の昔の先輩がこっそり作った鍵で君のじゃないでしょう。私が持っていてもおかしくないわ」
それもそうだ。先輩が使うところを見たことが無いので勝手に拝借していただけで、言うなら僕の鍵ではなく文芸部の鍵だろう。言い負かされた僕を見て満足したのか、先輩は鍵を僕に渡した。
先輩はフェンスに寄り掛かり、部室に居る時と変わらない調子で昨日読んだ本の話を始める。僕もまた部室に居る時のように先輩の話を聞き流す。お互いの前に本や原稿用紙が無いだけで、いつの間にかここもまた部室だった。
先輩の話を聞き流しながらふと、行き詰っていたポイントに会話を入れても良いなと思いつく。先輩の話に口を挟んで、先に部室に戻ると言うと先輩はもう少しここにいると言って僕を見送った。
まさか執筆が行き詰まっているのを知っていて、息抜きのためにこんな回りくどいことをしたのだろうか。部室までの道すがら、聞きそびれた先輩の真意を考えたが、先輩は深いことなど考えていないだろうと思考をやめた。考えていたらせっかく思いついた小説の続きが飛んでしまいそうで、僕は足早に部室へ戻った。
◇
部室へ戻って行った後輩を見送ってから、私はポケットからもう1本の鍵を取り出した。鍵が1本しか無かったら私が帰る時に屋上の扉を閉められないのに、それに思い至らなかった執筆第一の後輩のことを思う。
「……きっと、大した理由もなくこんなことしたと思っているんだろうなあ」
”屋上への呼び出し”。卒業までにしてみたかったことのひとつを、わざわざ部のノートを使ってまでした意味を、後輩はきっと気付かないだろう。でも、それでもいいと思いつつ手の中の小さな鍵を弄った。フェンスの先に沈む夕日は1週間変わらぬ大きさで、1週間変わり続けた私の心とは大違いだと私はひとりぼやいた。




