表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
推しカプを見守るため悪役令嬢に転生しましたが、なぜか冷血公爵の本命になりました 〜私は壁になりたいのに、攻略対象たちが全員こちらを見てくる〜  作者: 鳳凰院暁月刃夜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/49

第6話 ヒロイン様、そのルートは存在しません

 ヒロイン様に「お姉様」と呼ばれた。


 その事実は、わたくしの中で静かに、しかし確実に爆発していた。


 表面上のわたくしは、公爵令嬢らしく微笑んでいる。背筋を伸ばし、扇を片手に、舞踏会場の飲み物卓のそばで優雅に立っている。


 だが内心は違う。


 大変なことになっていた。


 お姉様。


 お姉様である。


 原作ヒロイン、セシリア・フローラ様から、悪役令嬢であるわたくしが、お姉様と呼ばれた。


 そんなルートは知らない。


 少なくとも、わたくしが前世で遊び尽くした『聖冠のエリュシオン』には存在しなかった。

 ユリウス王太子ルート。

 ダリオ騎士団長ルート。

 魔導師ルート。

 聖職者ルート。

 隠し要素っぽい冷血公爵レオンハルト様の未実装気配。


 しかし、「悪役令嬢ミリアお姉様ルート」はなかった。


 いや、あったら前世のわたくしはかなり喜んだと思う。

 喜んだと思うが、今は困る。


 なぜなら、セシリア様はヒロインである。

 ヒロインは、攻略対象と出会い、交流し、恋をして、物語を動かす存在だ。


 そのヒロイン様が、わたくしの袖をちょこんと掴んでいる。


 かわいい。


 ……違う。


 かわいいけれど、違う。


「あの、お姉様」


 セシリア様が、遠慮がちにわたくしを見上げた。


 やめて。


 その呼び方、胸に来る。


「何でしょう、セシリア様」


「私、こういう場で、どなたにご挨拶すればいいのか分からなくて……もしご迷惑でなければ、少しだけ一緒にいていただけませんか?」


 上目遣い。


 不安げな声。


 小動物のように揺れる瞳。


 守りたい。


 いや、守る。


 だが、守ることと囲い込むことは違う。

 ヒロイン様は王太子殿下と出会うべきなのだ。


 ここでわたくしに懐きすぎるのは、物語の流れとして非常によろしくない。


 わたくしは、微笑みながらセシリア様の手をそっと離した。


 心が痛い。


 ヒロイン様の小さな手を離すのは、前世で通販カートから欲しい本を一冊削除する時のような痛みがある。


「もちろん、ご一緒いたしますわ。ただ、セシリア様。せっかく王宮にいらしたのですから、ぜひ王太子殿下にもご挨拶を」


「王太子殿下、ですか?」


「ええ」


 来た。


 ここで自然にユリウス殿下へ誘導する。


 ヒロイン様と王太子殿下の初期交流。

 これを成立させることが、今のわたくしにとって最重要事項の一つである。


 わたくしは広間の奥をちらりと見た。


 ユリウス殿下は、貴族たちとの挨拶を終えたところらしい。少しだけ肩の力が抜けている。隣にはダリオ様が控えている。相変わらず、よい立ち位置。


 今だ。


 セシリア様を殿下のもとへ導く。

 わたくしは一歩下がる。

 殿下とセシリア様が会話する。

 ダリオ様がその様子を見守る。

 わたくしは壁になる。


 完璧。


 今度こそ完璧。


「殿下はとてもお優しい方ですわ。初めての方にも丁寧に接してくださいますし、セシリア様のような聖女候補には、きっと温かいお言葉をかけてくださるはずです」


「お姉様は、殿下のことをよくご存じなのですね」


「婚約者ですので」


 言ってから、少し引っかかった。


 婚約者。


 そうなのだ。

 わたくしはまだ、ユリウス殿下の婚約者である。


 この状態でヒロイン様を殿下に近づけるのは、冷静に考えるとなかなか複雑な構図だ。


 婚約者が自分の婚約者にヒロインを紹介する。


 前世なら、絶対にコメント欄がざわつく。

 「ミリア、何してるの?」

 「自分からルートを開けにいった」

 「壁志望の行動力が怖い」

 と書かれるに違いない。


 けれど、やらなければならない。


 破滅回避。

 推しカプ保護。

 ヒロイン様幸せ化。


 三つのために。


 セシリア様は、グラスを両手で持ったまま、もじもじと視線を下げた。


「でも、王太子殿下なんて、私が急にお話ししてよい方なのでしょうか」


「もちろんですわ。あなたは聖女候補として正式に招かれているのですもの」


「でも……」


「心配はいりません。わたくしがご紹介いたします」


「お姉様が?」


「ええ」


 セシリア様の顔がぱっと明るくなる。


 あ。


 違う。


 これは殿下に会える嬉しさではなく、わたくしと一緒に行ける嬉しさでは?


 まずい。


 方向が違う。


「セシリア様。殿下は本当に素敵な方ですのよ」


「はい」


「お話もお上手ですし、お立場の重さを感じさせない柔らかさをお持ちです」


「はい」


「それに、笑顔も大変麗しくて」


「はい。お姉様がそうおっしゃるなら、きっと素敵な方なのですね」


 違う。


 あなた自身が殿下に興味を持ってください。


 わたくし経由で殿下を評価しないでください。


 わたくしは内心で頭を抱えつつ、笑顔を保った。


「では参りましょうか」


「はい、お姉様」


 だから、その呼び方。


 わたくしの理性が削れる。


 わたくしはセシリア様を伴って、ユリウス殿下の方へ歩き出した。


 周囲の視線が、また集まる。


 当然だろう。


 王太子の婚約者ミリアが、聖女候補セシリアを連れて王太子へ向かっている。

 原作を知っているわたくしからすれば、かなり歴史的な場面だ。


 ただし、今のこの状況は原作とまったく違う。


 原作では、ミリアはセシリアを見下し、ユリウス殿下に近づけまいとする。

 だが今は、わたくし自らセシリア様を殿下へ紹介しようとしている。


 よし。


 悪役令嬢ルートは完全に破壊できている。


 ……できているはず。


 ユリウス殿下はこちらに気づくと、穏やかに微笑んだ。


「ミリア」


 うん。


 今日何度目か分からないが、その声は良い。


 さすが王太子。

 声の柔らかさが高級絹である。


 けれど今は、わたくしではなくセシリア様を見ていただきたい。


「殿下。ご歓談中、失礼いたします」


「君ならいつでも歓迎するよ」


 違う。


 その台詞もわたくし用ではありません。


 わたくしは微笑みを崩さないまま、半歩横へずれた。

 セシリア様が前に出やすいように。


「こちら、本日王宮へお招きされた聖女候補、セシリア・フローラ様です」


 セシリア様は慌てて礼をした。


「セ、セシリア・フローラと申します。王太子殿下にお目にかかれて光栄です」


 声が少し裏返った。


 かわいい。


 いや、そこではない。


 ユリウス殿下は優しく笑った。


「顔を上げて。君のことは聞いている。王宮に来て間もないのに、よく頑張っているそうだね」


「い、いえ、そんな。まだ失敗ばかりで」


「失敗しない者はいないよ。私も昔、初めて外交使節の前で挨拶した時、国名を一つ間違えた」


「殿下が、ですか?」


「うん。隣にいたダリオが、あとで顔を真っ青にしていた」


 セシリア様が、驚いたようにダリオ様を見る。


 ダリオ様は苦い顔をした。


「あれは真っ青にもなります。殿下は相手国の王弟殿下の前で、隣国の名を口にされました」


「緊張していたんだ」


「その後の訂正を私に任せたではありませんか」


「君ならできると思って」


「やりましたが、二度とごめんです」


 来た。


 自然な主従会話。


 セシリア様の前で、殿下とダリオ様の信頼関係が開示されている。


 素晴らしい。


 しかもヒロイン様も聞いている。


 これです。


 これなのです。


 セシリア様、見てください。

 このお二人の距離感。

 互いへの信頼。

 殿下が柔らかく笑い、ダリオ様が真面目に返しながらも結局支えてしまう、この絶妙な関係性を。


 さあ、どうぞ。


 この尊さを浴びてください。


 そして殿下へ、もしくは二人の関係性へ興味を――


「お姉様」


「はい?」


 セシリア様が、小声でわたくしに囁いた。


「王太子殿下も騎士団長様も、とても素敵な方ですね」


「ええ、そうでしょう?」


「でも、お姉様が笑っているお顔の方が、私はほっとします」


 ……。


 違う。


 だから違う。


 なぜこちらへ戻ってくるのですか、セシリア様。


 今の流れは、殿下とダリオ様の魅力を感じる場面でした。

 わたくしの笑顔を評価する場面ではありません。


 ユリウス殿下が、わたくしたちの小声に気づいたように目を細める。


「ずいぶん仲良くなったようだね」


「ええ。セシリア様はとても素直で可愛らしい方ですわ」


 つい本音が出た。


 セシリア様が真っ赤になる。


「お、お姉様!」


 だから、かわいい。


 いけない。

 このままではわたくしがヒロイン様を囲い込んでしまう。


 わたくしは慌てて話題を戻した。


「殿下、セシリア様はまだ王宮に慣れていらっしゃらないようです。殿下からも、何かお言葉を」


「そうだね」


 ユリウス殿下はセシリア様に視線を向けた。


「セシリア嬢。困ったことがあれば、遠慮なく周囲を頼るといい。王宮は慣れるまで息苦しい場所だ。私も幼い頃は、柱の陰に隠れて菓子を食べていた」


「殿下がですか?」


「うん。ダリオに見つかって怒られた」


「殿下、事実ではありますが、ここで話す必要は」


「彼女を安心させるためだよ」


「殿下の威厳が減ります」


「たまには減らした方が親しみやすいだろう?」


 ダリオ様が深いため息をついた。


 セシリア様はついに笑った。


 よし。


 今の笑顔は殿下へのもの。

 たぶん。

 おそらく。

 そうであってほしい。


 わたくしはそっと一歩下がった。


 今だ。


 このまま、三人に会話していただく。

 わたくしはフェードアウト。

 壁になる。

 完璧。


「お姉様?」


 セシリア様がすぐにわたくしを見る。


 早い。


 反応が早い。


「どちらへ?」


「少し、飲み物を取りに」


「では私も」


「セシリア様」


 わたくしはにこりと笑った。


「殿下とお話しになっていてくださいませ」


「でも」


「大丈夫です。殿下もグランツ卿も、お優しい方ですわ」


「はい。それは分かるのですが……」


 セシリア様は、不安そうにわたくしを見る。


「お姉様がいないと、少し心細くて」


 かわいい。


 かわいいが、困る。


 わたくしは今、ヒロイン様の自立と恋愛ルート進行を応援しているのです。

 お姉様依存ルートに入ってはなりません。


 リタなら、ここで「すでに手遅れです」と言うだろう。


 言わなくても聞こえる。

 リタの幻聴がする。


 ユリウス殿下が、困ったように笑った。


「ミリア。無理に離れなくてもいいんじゃないかな」


「殿下」


「セシリア嬢は君に懐いているようだし」


 懐いている。


 その言葉が胸に刺さる。


 嬉しい。

 とても嬉しい。


 しかし駄目なのです、殿下。


 懐く先が違うのです。


「いえ、わたくしは」


「ミリアが誰かをこんなふうに庇って、気遣うところを初めて見た」


 ユリウス殿下が、まっすぐにこちらを見た。


 その目が、妙にやわらかい。


 まずい。


 また何かが上がっている。


 好感度が。


 なぜ。


 わたくしはヒロイン様を殿下へ紹介しているのに、なぜ殿下の興味がこちらへ戻ってくるのですか。


「君は、本当に変わったね」


「……そうでしょうか」


「うん。前の君なら、セシリア嬢を私に紹介しようとはしなかったと思う」


 それは、そう。


 原作ミリアなら絶対にしない。


 しかし、その事実を殿下本人に言われると、少しだけ胸が痛む。


 わたくしが変わったということは、前のミリアを知っている人たちには、その違いが見えているということだ。


 前のミリア。


 殿下に執着していた、悪役令嬢ミリア。


 わたくしは彼女ではない。

 けれど、彼女でもある。


 身体に残る記憶が、時々それを教えてくる。


 殿下に褒められたい。

 認められたい。

 選ばれたい。


 そんな気持ちが、心の底にまだ少し沈んでいる。


 わたくしは、その気持ちを無視して、笑った。


「人は、変わることもありますわ」


 ユリウス殿下は、わたくしを見つめたまま言った。


「その変化が、君を苦しめていないならいい」


 言葉が詰まった。


 困る。


 王太子殿下は、時々まっすぐすぎる。


 こちらが推しカプ見守りのためにルートを調整しようとしているだけなのに、なぜそんな人間らしい心配をしてくるのか。


 あなたは、もっとこう、ヒロイン様に優しくしていればいいのです。


 わたくしの内面に踏み込まないでくださいませ。


 黙り込んだわたくしを、ダリオ様がじっと見ていた。


 彼は何も言わない。

 けれど、その視線には少しだけ警戒がある。


 当然だ。


 殿下の婚約者が急に変わり、殿下から距離を置き、聖女候補を庇り、妙な行動をしている。

 騎士団長として警戒しない方がおかしい。


 むしろその警戒心、非常に良い。

 殿下を守る忠義が感じられます。


 ただし、対象がわたくしなのが問題だ。


「ロゼリア嬢」


 ダリオ様が低く言った。


「はい」


「セシリア嬢を庇ったことには感謝する。だが、殿下を巻き込んで何かをしようとしているなら」


「ダリオ」


 ユリウス殿下が制した。


 だが、ダリオ様は真面目な顔のままだ。


「殿下。確認は必要です」


 ああ。


 素晴らしい。


 忠臣。


 推し。


 しかし、わたくしは今、詰められている。


 状況が複雑すぎる。


 セシリア様が慌てて口を開いた。


「違います! お姉様は、私を助けてくださっただけです」


「セシリア様」


「本当に、お優しい方です。私、あのままだったら、きっと泣いてしまっていました。でも、お姉様が来てくださって……」


 セシリア様は必死だった。


 小さな手でグラスを握りしめ、わたくしを庇ってくれている。


 ヒロイン様に庇われる悪役令嬢。


 この構図、やはり未実装ルートである。


 ダリオ様は少しだけ表情を和らげた。


「……失礼した。責めるつもりではなかった」


「いえ、グランツ卿のお立場なら当然ですわ」


 わたくしはそう答えた。


 これは本心だ。


「殿下を守る方が、殿下の周囲の変化に敏感であるのは当然です。むしろ、安心いたしました」


「安心?」


「はい。殿下のおそばには、ちゃんと殿下を見てくださる方がいらっしゃるのだと」


 ダリオ様が黙った。


 ユリウス殿下も、少し驚いた顔をした。


 あれ。


 また何か変なことを言っただろうか。


 いや、言葉自体はまともなはずだ。

 ただ、わたくしの中では「やはり殿下の隣はダリオ様が最適」という意味が含まれている。そこが問題なだけで。


 ダリオ様は、少し視線を逸らした。


「……俺は、職務を果たしているだけだ」


「その職務を、心から大切になさっているのでしょう」


「ロゼリア嬢」


「それは、とても得がたいことだと思いますわ」


 言った瞬間、ダリオ様の表情がほんの少し変わった。


 驚き。

 戸惑い。

 そして、わずかな照れ。


 うわ。


 希少表情。


 今の表情、保存したい。


 いや、目に焼き付けるしかない。


 わたくしが内心で静かに崩れ落ちていると、ユリウス殿下がくすりと笑った。


「ミリアは、ダリオをずいぶん買っているんだね」


「もちろんですわ」


 即答してしまった。


 ダリオ様がこちらを見る。


 しまった。


 熱量が出すぎた。


「グランツ卿のように、主をきちんと見て、必要な時に支え、時には苦言を呈する方は貴重です。殿下にとって、とても大切な方だと存じます」


 言葉を整えた。

 整えたが、少し熱がこもった。


 ダリオ様は、完全に困った顔をしている。


 ユリウス殿下は、なぜか楽しそうだ。


「ダリオ、褒められているよ」


「殿下、茶化さないでください」


「珍しいな。君が言葉に詰まるなんて」


「……ロゼリア嬢の言葉が予想外だっただけです」


 良い。


 このやり取りは非常に良い。


 セシリア様も、それを見て微笑んでいる。


 よし。


 今度こそ、王太子・騎士団長・ヒロインの良い空気が形成されている。


 わたくしはそっと後退しようとした。


 だが、セシリア様がまたわたくしの袖を掴んだ。


 早い。


 本当に早い。


「お姉様、どこへ?」


「少し、空気になりに」


「空気?」


「いえ、飲み物を」


「では私も」


 駄目だ。


 完全に懐かれている。


 ユリウス殿下が笑う。


「ミリア、諦めた方がいいんじゃないかな」


「何をでしょう」


「セシリア嬢は、君のそばにいたいようだ」


「それは大変光栄ですが、殿下とお話しされるのも大切かと」


「私は逃げないよ」


 違う。


 そういうことではない。


 殿下が逃げないのではなく、ルートが逃げているのです。


 わたくしは、心の中で机を叩いた。


 その時だった。


 背後から、低い声が落ちてきた。


「ずいぶん賑やかだな」


 レオンハルト公爵。


 いつの間に。


 この方、気配が静かすぎる。


 心臓に悪い。


「ヴァイスベルク公爵様」


 わたくしが礼をすると、セシリア様も慌てて頭を下げた。


「あ、あの、セシリア・フローラです」


「知っている」


 短い。


 冷たい。


 セシリア様の肩が少し縮こまる。


 わたくしは反射的に半歩前へ出た。


 自分でも驚くほど自然に。


 レオンハルト公爵の視線が、わたくしに向く。


「……君は、すぐに庇うな」


「公爵様のお声が少々冷たかったので」


「元からだ」


「自覚がおありなのですね」


「否定するほどではない」


 セシリア様が、不安そうにわたくしの背中を見る。


 わたくしは少しだけ振り返り、笑いかけた。


「大丈夫ですわ。公爵様はお声が冷たいだけで、いきなり噛みついたりはなさいません」


「お姉様、犬の話ですか?」


「似たようなものです」


「違うだろう」


 レオンハルト公爵が即座に訂正した。


 その反応が少しだけおかしくて、セシリア様が小さく笑った。


 空気が緩む。


 レオンハルト公爵は、わたくしをじっと見る。


「君は人を安心させるのが上手いのか、混乱させるのが上手いのか、分からないな」


「できれば前者で評価してくださいませ」


「今のところ、両方だ」


「複雑な評価ですわね」


「君自身が複雑だからだ」


 この人は本当に、言葉が短いのに逃げ道がない。


 ユリウス殿下が、そんなわたくしたちを見て少し目を細めた。


「レオンハルト公も、ミリアに興味があるようだね」


 やめてください、殿下。


 その言い方は非常に誤解を生みます。


 レオンハルト公爵は表情を変えない。


「警備上、気になる人物ではあります」


「気になる人物」


 わたくしは反射的に言った。


「それは褒め言葉ではございませんね」


「まだ判断中だ」


「また判断中」


「君は判断材料を増やし続けている」


「わたくしとしては、減らしているつもりなのですが」


「逆だな」


 リタが、少し離れたところで静かに目を伏せた。


 あれは「その通りです」の顔だ。


 味方がいない。


 いや、セシリア様は味方だ。

 ただし味方になってほしい方向が少し違う。


 セシリア様は、わたくしの袖を握ったまま、きらきらした目で言った。


「お姉様は、皆様と仲がよろしいのですね」


「いいえ」


 即答した。


 全員がこちらを見る。


 しまった。

 即答が強すぎた。


「いえ、その、仲が良いというより、皆様が大変お優しいだけで」


「ミリア」


 ユリウス殿下が笑いをこらえるような顔をした。


「君はさっきから、私たちを遠ざけたいのか近づけたいのか分からないな」


「わたくしにも少し分からなくなってまいりました」


「正直だね」


「混乱しておりますので」


「だろうね」


 殿下が楽しそうだ。


 なぜ楽しそうなのですか。


 わたくしはかなり真剣に困っているのですが。


 ダリオ様が、静かに言った。


「ロゼリア嬢は、悪意があるようには見えません」


 その一言に、胸が少し止まった。


 推しに。


 悪意がないと。


 言われた。


 心が浄化されそう。


 だがダリオ様は続けた。


「ただ、目的が分からない」


 浄化の直後に現実へ戻された。


 その通りです。


 目的は言えません。


 推しカプを見守り、ヒロイン様を正しいルートへ戻し、悪役令嬢としての破滅を回避したいだけです。

 これを口に出せば、たぶん王宮医師を呼ばれる。


 レオンハルト公爵が、低く言った。


「私も同感だ」


 ユリウス殿下も、穏やかに頷く。


「私も、少し知りたいかな。君が何を考えているのか」


 セシリア様まで、無邪気に見上げてくる。


「私も、お姉様のこと、もっと知りたいです」


 包囲された。


 完全に。


 王太子、騎士団長、冷血公爵、ヒロイン様。


 攻略対象たちとヒロイン様が、全員こちらを見ている。


 タイトル回収の気配がする。


 違う。


 見ないで。


 わたくしは壁です。


 壁に質問しないでくださいませ。


 わたくしは、扇をぎゅっと握った。


 そして、できるだけ優雅に微笑んだ。


「わたくしの目的など、大したものではございませんわ。ただ、皆様がそれぞれ幸せであればよいと思っているだけです」


 言ってから、しまったと思った。


 あまりにも良い人みたいな発言である。


 ユリウス殿下の目が柔らかくなる。


 セシリア様は感動した顔をする。


 ダリオ様は少し意外そうにする。


 レオンハルト公爵は、さらに深くわたくしを見た。


 完全に逆効果。


 わたくしは内心で叫ぶ。


 違います。


 これは善人ムーブではありません。


 推し活です。


 推しの幸せを願うオタクの基本姿勢です。


 しかし、もちろん言えない。


 セシリア様が、そっとわたくしの手を握った。


「お姉様は、やっぱりお優しいです」


 わたくしは、もう否定する気力を失いかけていた。


 その時、レオンハルト公爵が一歩近づいた。


「ロゼリア嬢」


「はい」


「少し話を聞かせてもらおう」


 低い声。


 逃げ道を塞ぐ声。


 わたくしは固まった。


「今、ここででしょうか」


「今でなくともいい。だが、遠くないうちに」


「内容は」


「君の目的についてだ」


 やはり。


 来た。


 冷血公爵に、完全に目をつけられた。


 セシリア様が不安そうにわたくしを見る。

 ユリウス殿下は興味深そう。

 ダリオ様は警戒を隠さない。


 わたくしは微笑んだ。


 笑うしかなかった。


「……お手柔らかにお願いいたしますわ」


「それは、君の答え次第だ」


 レオンハルト公爵は、淡々とそう言った。


 怖い。


 顔が良い。


 怖い。


 わたくしは心の中で静かに壁へ祈った。


 神様。


 わたくしは、ただ推しカプを見守りたかっただけなのです。


 なのにどうして。


 ヒロイン様には懐かれ、王太子殿下には興味を持たれ、騎士団長様には警戒され、冷血公爵様には取り調べの予約を入れられているのでしょうか。


 誰か、このルートの攻略情報をください。


 切実に。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ