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推しカプを見守るため悪役令嬢に転生しましたが、なぜか冷血公爵の本命になりました 〜私は壁になりたいのに、攻略対象たちが全員こちらを見てくる〜  作者: 鳳凰院暁月刃夜


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第20話 断罪イベントの招待状

 夜は、嫌なことを必要以上に大きく見せる。


 昼間なら、まだ考えようがあったかもしれない。


 これは誰かの悪戯だ。

 質の悪い嫌がらせだ。

 わたくしを少し困らせたいだけの、くだらない罠だ。


 そう自分に言い聞かせることも、できたかもしれない。


 けれど、夜の自室で見つかった一枚の偽手紙は、蝋燭の明かりの下で妙に生々しかった。


『明日の礼拝堂訓練にて、セシリア・フローラの祈祷書をすり替えること。

 古い版のものを使わせ、神官長の前で失態を演じさせる。

 実行後、証拠は焼却。

 指示通り行えば、ロゼリア家より相応の礼をする。

 ミリア・ロゼリア』


 その文面を見た時の冷たさが、まだ指先に残っている。


 わたくしは書いていない。


 絶対に。


 セシリア様を傷つけるつもりなど、欠片もない。


 それなのに、紙の上では、わたくしが悪役令嬢になっていた。


 指示を出し、ヒロイン様を貶め、証拠を消せと命じる、浅ましく嫉妬深い公爵令嬢。


 原作のミリアなら、確かにやりかねない。


 だからこそ、怖い。


 わたくしが何をしたかではなく、わたくしならやりそうだと誰かに思われることが。


 そして何より。


 誰かが、そう思わせようとしていることが。


「お嬢様」


 リタの声で、わたくしは我に返った。


 部屋の中には、リタとわたくしだけではなくなっていた。


 急ぎの使いを受け、レオンハルト様が来てくださったのだ。


 夜分に公爵令嬢の屋敷へ訪れるなど、本来なら噂の火種どころではない。

 だが、今回は父と母へ事情を通し、応接室ではなく、証拠が見つかった自室の隣にある小書斎へ案内している。


 父は蒼白だった。

 母は表情こそ落ち着いていたが、扇を握る手に力が入っていた。


 そしてレオンハルト様は。


 いつも通り、冷静だった。


 いや、いつもより冷えていた。


 小書斎の卓の上に、リタが封筒へ移した偽手紙が置かれている。


 レオンハルト様は、手袋をはめたまま、その紙をじっと見ていた。


「公爵様」


 わたくしは、椅子に座ったまま声を出した。


「……わたくしは」


「書いていない」


 レオンハルト様は、わたくしが言い終える前に言った。


 あまりにも即答だった。


 わたくしは、一瞬何を言われたのか分からなかった。


「え?」


「これは君の字ではない」


 レオンハルト様は、偽手紙から目を離さずに言った。


「似せようとしているが、癖が違う。君の筆跡は、語尾の跳ねがもう少し強い。文字の間隔も違う。特に名前の書き方が雑だ」


「……」


「君なら、自分の名前をここまで平坦には書かない」


 言葉が、胸に落ちた。


 あまりにも当然のように言うものだから、涙が出そうになった。


 信じてくれた。


 疑うより先に、わたくしの字ではないと言ってくれた。


「……ありがとうございます」


「礼を言うところではない」


「でも」


「事実を言っただけだ」


 また事実。


 けれど、今夜の事実は痛くなかった。


 むしろ、少しだけわたくしを支えてくれた。


 リタが隣で小さく息を吐く。


 たぶん、彼女も安心したのだと思う。


「ヴァイスベルク公爵様」


 リタが一礼した。


「私も、お嬢様が書いたものではないと存じております。ですが、私の証言だけでは」


「足りないだろうな」


 レオンハルト様は短く答えた。


「侍女の証言は主への忠誠と見なされる。ロゼリア家の者の証言も同じだ」


「では」


「外部の確認がいる」


 その声は冷静だった。


 冷静すぎて、逆に怖い。


 この人は、もう次の手を考えている。


「紙質、墨、筆跡、文の癖。届けた者の経路。君の机に入ることができた人物。すべて調べる」


「そこまで」


「当然だ」


 レオンハルト様は、ようやくこちらを見た。


「これは君だけの問題ではない。聖女候補を陥れる計画であり、ロゼリア公爵家を巻き込む罠であり、王太子の婚約者を悪役に仕立てる脚本だ」


 脚本。


 その言葉に、背筋が冷えた。


 そう。


 これは、まるで脚本だ。


 原作で悪役令嬢がやったことを、現実のわたくしに押しつけるための。


「……原作通りに」


 小さく呟いてしまった。


 レオンハルト様の目が動く。


「何だ」


「いえ」


 わたくしは首を振った。


「誰かが、わたくしを“そういう人間”に戻そうとしているようで」


「そういう人間」


「殿下に執着し、セシリア様をいじめ、最後には皆に裁かれるような」


 言いながら、少しだけ声が震えた。


 嫌だ。


 怖い。


 わたくしは悪役令嬢ではない。

 そう思いたかった。


 セシリア様にお姉様と呼ばれ、リタに支えられ、殿下と話し合い、ダリオ様に叱られ、レオンハルト様に見てもらった。


 少しずつ、悪役ではない何かになれている気がしていた。


 なのに、一枚の紙で引き戻される。


 悪役令嬢ミリアへ。


 断罪される役へ。


「ロゼリア嬢」


 レオンハルト様の声が、少し低くなった。


「君は、そのような人間ではない」


 息が止まった。


 顔を上げると、レオンハルト様はまっすぐにこちらを見ていた。


「少なくとも、私は今の君をそう見ていない」


 まただ。


 この人は、逃げようとする場所の前に立つ。


 怖い時に、欲しかった言葉を差し出してくる。


 反則だ。


 本当に、反則だ。


「……公爵様」


「何だ」


「そういう台詞は、心臓に悪いと」


「今は必要だと思った」


「必要なら、仕方ありませんわね」


 そう返すと、レオンハルト様がわずかに目を細めた。


 笑ったわけではない。


 けれど、ほんの少しだけ空気が緩む。


 その一瞬に救われる。


 リタが静かに言った。


「お嬢様。顔色が少し戻りました」


「リタ」


「はい」


「今は顔色の実況をしなくていいわ」


「かしこまりました」


 いつものやり取りが戻ってくる。


 それだけで、部屋の中の冷たい空気が少し薄れた。


 だが、レオンハルト様はすぐに表情を戻した。


「リタ」


「はい」


「この紙を最初に見つけた時の状況を詳しく」


「お嬢様が手帳をお取りになろうと、机の引き出しを開けた際、奥に見覚えのない紙が挟まっていることに気づかれました。私は直接触れず、ハンカチ越しに取り出し、確認後、封筒へ移しました」


「他に触れた者は」


「おりません」


「部屋に出入りした者は」


「本日ですと、朝の掃除に入った侍女二名、昼の衣装準備に私と補助の侍女一名、午後に奥様が一度。ですが奥様は机には近づいておられません」


「補助の侍女は」


「アリナです。五年勤めております。性格は少々臆病ですが、仕事は丁寧です」


「臆病な者は脅しに弱い」


「……調べます」


「直接問い詰めるな。逃げる」


 リタの顔が引き締まる。


「承知しました」


 レオンハルト様とリタが、完全に捜査の会話をしている。


 わたくしは、少し置いていかれている気持ちになった。


 だが、置いていかれるのは少し安心でもある。


 今のわたくしは、冷静に全てを見られる状態ではない。


 リタとレオンハルト様が冷静でいてくれる。


 それだけで、かなり助かる。


「ロゼリア嬢」


 レオンハルト様がこちらへ視線を戻した。


「君は、この文面に覚えがあるか」


「覚え、というのは」


「似たような嫌がらせを考えたことがあるか。以前の君でもいい」


 鋭い問いだった。


 リタが少しだけ眉を動かす。


 だが、わたくしは首を横に振った。


「少なくとも、今のわたくしにはありません。ですが」


「ですが?」


「……似たような出来事が、起こるはずだったような感覚はあります」


 レオンハルト様は黙った。


 わたくしは言葉を探す。


 ゲームの原作。

 未来のイベント。

 そんなことは言えない。


 だから、慎重に言い換える。


「セシリア様が礼拝堂で失敗し、周囲から笑われる。わたくしがその原因だと疑われる。そういう流れが、どこかで待っていたような気がするのです」


「予感か」


「はい。ひどく嫌な予感です」


「君の予感は、ただの妄想で片づけられないことがある」


「公爵様」


「何だ」


「それは褒めていますか?」


「半分は」


「残り半分は?」


「君の言動が普段から奇妙だという事実」


「事実禁止令を」


「却下だ」


 こんな時でも、いつものやり取りをしてしまう。


 でも、ありがたかった。


 怖さで固まっていた胸が、少しだけ動く。


 レオンハルト様は偽手紙を封筒へ戻しながら言った。


「明日の礼拝堂訓練は中止させる」


「いえ」


 わたくしは思わず言った。


 レオンハルト様の目が鋭くなる。


「なぜ」


「中止すれば、セシリア様が何か問題を起こしたのではと噂されるかもしれません。それに、相手にこちらが気づいたと知らせることになります」


「危険だ」


「分かっています」


「なら」


「でも、セシリア様には何も知らずに傷ついてほしくありません。もちろん、危険なまま立たせるつもりもありません」


 自分でも驚くほど、言葉が出た。


「祈祷書を確認します。神官長様にも、できれば自然な形で。セシリア様のそばには、信頼できる方を。リタも、可能なら近くに」


「君は?」


「わたくしも行きます」


「駄目だ」


 即答。


 早い。


「なぜですか」


「罠の中心が君だからだ。君が現場にいれば、何か起きた時に疑われる」


「では、離れて見守ります」


「また壁か」


「今回は本当に壁が必要ですわ」


「君は壁に向いていない」


「今は言わないでくださいませ」


 思わず強く言ってしまった。


 レオンハルト様が少し黙る。


 わたくしは、拳を握った。


「セシリア様が傷つく可能性があるのに、わたくしだけ安全な場所にいるのは嫌です」


「それが危ういと言っている」


「分かっています」


「分かっていない」


「分かっております!」


 声が大きくなった。


 リタが、驚いたようにこちらを見る。


 わたくし自身も驚いた。


 でも、止まらなかった。


「わたくしは怖いです。疑われるのも、悪役に戻されるのも、とても怖いです。でも、セシリア様が傷つく方がもっと嫌です」


 言葉が震える。


「彼女は、何も悪くありません。慣れない王宮で必死に頑張っているだけです。それを誰かの都合で笑いものにするなんて、絶対に嫌です」


 レオンハルト様は、何も言わなかった。


 ただ、聞いていた。


「だから、わたくしは行きます。危険なら、危険ではない立ち方を考えます。でも、何もしないという選択はできません」


 言い終えた後、息が切れていた。


 しばらく沈黙が落ちる。


 リタが静かに言った。


「お嬢様」


「……ごめんなさい。声を荒らげたわ」


「いいえ」


 リタは少しだけ目を細めた。


「今のお嬢様は、壁よりずっと頼もしかったです」


 胸が詰まった。


 レオンハルト様が、ゆっくり息を吐く。


「ロゼリア嬢」


「はい」


「君は本当に、放っておくと自分を危険な場所へ置く」


「返す言葉もございません」


「だが、今の言葉は分かった」


「では」


「行くなら、条件がある」


 レオンハルト様は、きっぱりと言った。


「私も行く」


「公爵様が?」


「礼拝堂訓練の見学理由なら作れる。王宮警備の確認でもいい。神官長への確認でもいい」


「そこまでしていただくわけには」


「まだ言うのか」


 レオンハルト様の声が少し低くなる。


「君は、自分の危機になるとすぐ遠慮するな」


「それは」


「迷惑か?」


「違います」


「なら頼れ」


 頼れ。


 その言葉は、短いのに重かった。


 わたくしは唇を噛む。


 頼ることが、下手だ。


 誰かに助けてほしいと思うのが怖い。

 期待して、届かなかった時が怖い。

 だから、最初から一人で何とかしようとしてしまう。


 でも今は。


 わたくし一人の問題ではない。


 セシリア様のこともある。

 ロゼリア家のこともある。

 殿下のことも。


「……頼ります」


 小さく言った。


 レオンハルト様の目が、少しだけ和らいだ。


「それでいい」


「ただし」


「何だ」


「公爵様も、ご無理はなさらないでくださいませ」


「私の心配をしている場合か」


「しております」


 わたくしは、まっすぐ言った。


「助けていただくからといって、公爵様を便利な盾のように扱いたくはありません」


 レオンハルト様が、わずかに目を見開いた。


 ほんの一瞬だった。


 けれど、見えた。


「……君は」


「はい」


「本当に、そういうところだ」


「どういうところですか」


「危ういくせに、人を道具にはしない」


「褒めていらっしゃいます?」


「褒めている」


「素直ですわね」


「今はな」


 少しだけ空気が緩む。


 その時、扉が控えめに叩かれた。


 リタが返事をすると、屋敷の執事が入ってきた。


「お嬢様。王宮より、急ぎの招待状が届いております」


「王宮から?」


 嫌な予感がした。


 執事は銀盆を差し出す。


 そこには、王家の紋章が押された封書が乗っている。


 わたくしは受け取り、封を切った。


 文面を読み進めるうちに、指先が冷たくなっていく。


『明後日、王宮夜会を開催する。

 王太子ユリウス殿下、聖女候補セシリア・フローラの正式紹介、および貴族諸家との交流を目的とする。

 ロゼリア公爵令嬢ミリア・ロゼリアは、王太子殿下の婚約者として出席されたし。』


 明後日。


 王宮夜会。


 聖女候補の正式紹介。


 王太子殿下の婚約者として、わたくしが出席。


 原作の記憶が、頭の奥で警鐘を鳴らした。


 断罪イベント。


 それは、夜会だった。


 セシリア様への嫌がらせの証拠。

 王太子への執着。

 令嬢たちの証言。

 そして、婚約破棄。


 広間で、大勢の前で、悪役令嬢ミリアが追い詰められる。


 その始まりが、今、手の中にある。


「……来た」


 声が震えた。


 レオンハルト様が封書を受け取り、目を通す。


 彼の表情がさらに冷えた。


「早いな」


「公爵様」


「偽手紙で礼拝堂の件を仕掛け、明後日の夜会で君を追い詰めるつもりかもしれない」


「やはり」


「ああ」


 レオンハルト様は封書を卓に置いた。


「これは、断罪の場を用意する動きだ」


 断罪。


 その言葉が、部屋に重く落ちる。


 わたくしは椅子の背を握った。


 怖い。


 けれど、もう一人で震えるだけではない。


 リタがいる。


 レオンハルト様がいる。


 偽手紙は、すでに見つけた。


 まだ、間に合う。


「ロゼリア嬢」


 レオンハルト様が言った。


「君を悪役にはさせない」


 その声は、静かだった。


 けれど、今まで聞いたどの言葉よりも強かった。


 心臓が震える。


 わたくしは、泣きそうになりながら、それでも笑った。


「公爵様」


「何だ」


「その台詞も、主人公に言うやつです」


「なら、聞いておけ」


「はい」


「君は悪役ではない」


 涙が出そうになった。


 でも、こぼさなかった。


 リタが隣で、静かに頷いている。


「お嬢様。私もおります」


「ええ」


「セシリア様を守りましょう」


「ええ」


「お嬢様も、守られてください」


 その言葉に、胸がまた熱くなる。


 わたくしは、王宮夜会の招待状を見つめた。


 断罪イベントの招待状。


 原作なら、これは破滅への入口だった。


 けれど。


 今度は、違う。


 わたくしは一人ではない。


 セシリア様を傷つけさせない。

 自分も悪役にされない。

 殿下を雑に扱わない。

 ダリオ様の信頼も、リタの支えも、レオンハルト様の言葉も、無駄にしない。


 怖い。


 でも、逃げない。


 わたくしは手帳を開き、新しいページに一行書いた。


『断罪イベントの招待状が届いた。』


 少しだけ手が震えた。


 けれど、その下にもう一行書く。


『今度は、悪役として終わらない。』


 インクが乾くまで、誰も何も言わなかった。


 その沈黙は、怖くなかった。


 戦う前の、静かな時間のようだった。


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