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推しカプを見守るため悪役令嬢に転生しましたが、なぜか冷血公爵の本命になりました 〜私は壁になりたいのに、攻略対象たちが全員こちらを見てくる〜  作者: 鳳凰院暁月刃夜


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第19話 その台詞、主人公に言うやつです

 その日の夜。


 わたくしは自室の寝台の上で、クッションを抱えて転がっていた。


 右へ。


 左へ。


 また右へ。


 公爵令嬢としてあるまじき姿である。


 けれど、今は許してほしい。


 人間には、淑女でいられない夜がある。


 たとえば。


『君が誰かの幸福を願うなら、私は君の幸福を願う』


 こんな台詞を、冷血公爵から正面切って言われた夜である。


「……無理」


 わたくしは、クッションに顔を埋めた。


 無理。


 本当に無理。


 あれは何だったのだ。


 王宮の廊下で、不審な男爵を静かに追い払い、わたくしに「私の名を出せ」と言い、挙げ句の果てに、わたくしの幸福を願うなどと。


 そんなもの。


 主人公に言うやつではないか。


 物語の中盤で、冷たかった攻略対象が初めて本気で主人公を守る時に言う台詞ではないか。


 あるいは、表紙帯に大きく抜かれるやつである。


 『君が誰かの幸福を願うなら、私は君の幸福を願う』


 駄目だ。


 帯になる。


 しかも売れそう。


「お嬢様」


 寝台のそばで、リタが静かに言った。


「そろそろおやめくださいませ。髪が乱れます」


「乱れてもいいわ」


「明日の朝、整えるのは私でございます」


「ごめんなさい」


「謝るのが早いですね」


「リタには迷惑をかけている自覚があるもの」


「では、今すぐ起き上がってくださいませ」


「それは無理」


「反省が行動に反映されませんね」


 リタはため息をついた。


 そのため息すら慣れてきた自分がいる。


 わたくしは寝台の上で仰向けになり、クッションを胸に抱えた。


「リタ」


「はい」


「冷血公爵様は、なぜあんな台詞をおっしゃるのかしら」


「お嬢様を大切に思っておられるからでは」


「やめて」


「では、警戒対象として観察した結果、保護が必要だと判断されたからでは」


「それはそれで悲しいわ」


「どちらがよろしいですか?」


「どちらも心臓に悪い」


「では、恋です」


「結論がいつも早い!」


 わたくしは起き上がった。


 リタは、何事もなかったようにブラシを手にしている。


 寝る前に髪を梳かすつもりだったのだろうが、わたくしが転がり続けたせいで、作業が完全に止まっていた。


 申し訳ない。


 申し訳ないが、今はそれどころではない。


「違うのよ、リタ」


「何がでしょう」


「これは恋ではないの」


「本日だけで七度目です」


「数えないで」


「七度否定なさる程度には意識しておられる、ということですね」


「違うわ。自分に言い聞かせているだけよ」


「それを意識していると申します」


 正論。


 痛い。


 リタの正論は、レオンハルト様の正論と違って、逃げ道を与えない庶民的な強さがある。


 わたくしはクッションをさらに抱きしめた。


「だって、考えてもみて。わたくしは壁になりたいのよ」


「はい」


「推し……いえ、殿下とグランツ卿の尊い信頼関係を見守り、セシリア様の幸せを守り、悪役令嬢ルートを回避する。それが最優先なの」


「はい」


「なのに、冷血公爵様がこちらへ踏み込んでくる。壁の前に立つとか、君の幸福を願うとか、目が離せないとか」


「はい」


「そんなことをされたら、推し活に集中できないでしょう!」


「恋です」


「だから!」


「推し活に集中できないほど特定の男性が気になる状態を、世間では概ね恋と呼びます」


「世間の定義が雑すぎるわ」


「お嬢様の言い訳よりは明確かと」


 わたくしは言い返せなかった。


 悔しい。


 とても悔しい。


 でも、事実かもしれないところがもっと悔しい。


 レオンハルト様の言葉が、頭から離れない。


 今日だって、本来ならダリオ様とユリウス殿下の廊下での短い会話を三十回くらい脳内再生しているはずだった。


 ダリオ様が殿下に「この先は足元が滑ります」と注意し、殿下が「君は昔から私が転ぶ前に注意するね」と笑い、ダリオ様が「転んでからでは遅いので」と返す。


 最高だった。


 普通なら、それだけで一晩語れる。


 主従の距離感。

 幼少期からの信頼。

 言葉少なに積み重なる年月。


 ありがとうございます。


 供給としては満点。


 なのに。


 その尊いやり取りの横から、レオンハルト様の声が割り込んでくる。


 ――君が誰かの幸福を願うなら、私は君の幸福を願う。


「……邪魔ですわ」


 ぽつりと呟く。


 リタが目を細めた。


「何がでしょう」


「レオンハルト様の台詞が、殿下とグランツ卿の尊いやり取りに割り込んでくるの」


「それは、かなり重症ですね」


「でしょう?」


「恋です」


「診断名を変えて」


「恋です」


「語彙を増やして」


「恋煩いです」


「悪化した!」


 わたくしはクッションを抱えたまま、寝台から降りた。


 足元に置いてあった室内履きに足を入れる。


 じっとしていると、また転がりたくなる。


 歩こう。


 人間は、歩くと少し落ち着く。


 前世でも、締切前やイベント前、そわそわして部屋をぐるぐる歩いたことがあった。


 今も同じだ。


 問題は、そわそわの理由が締切ではなく冷血公爵であること。


 状況がかなり深刻である。


「お嬢様、どちらへ?」


「机へ」


「手帳ですか」


「ええ」


 レオンハルト様にもらった手帳。


 思考が散らかるなら、書け。


 腹立たしいほど的確な贈り物である。


 わたくしは机に向かい、引き出しを開けた。


 手帳は一番上に置いてある。


 その隣に、羽根ペン。


 小さなインク瓶。


 そして、昼間に挟んだレオンハルト様の手紙。


 ……また手紙を見てしまった。


 駄目だ。


 見るな。


 封を開いた時のことを思い出す。

 短くて、無駄がなくて、でもこちらを守る内容だった。


 わたくしは慌てて手帳だけを取り出した。


「リタ」


「はい」


「今日は、冷静に整理するわ」


「はい」


「まず、レオンハルト様は危険人物」


「はい」


「鋭い。逃げ道を塞ぐ。言葉が重い。笑顔が反則。贈り物が実用的。手紙が短い」


「半分ほど褒めていますね」


「違うわ。分析よ」


「恋です」


「今は書かないで」


「私が書くわけではございません」


 わたくしは手帳を開いた。


 昨日のページには、こう書いてある。


『冷血公爵様、正式参戦。

 噂を利用して不審な貴族を牽制。

 私の幸福を願うと言われた。

 重い。

 重すぎる。

 でも、嬉しかった。

 困る。』


 自分で書いた文字なのに、改めて読むと破壊力がある。


 特に「嬉しかった」。


 なぜ書いた。


 いや、事実だからだ。


 事実禁止令は却下される。


 わたくしはペンを取り、新しい行に書き始めた。


『その台詞、主人公に言うやつです。』


 書いて、手が止まる。


 主人公。


 レオンハルト様は、わたくしに言った。


 君が主人公ではないのか、と。


 違う。


 わたくしは主人公ではない。


 この世界の本来の主人公は、セシリア様だ。


 ヒロイン様。

 聖女候補。

 優しくて、頑張り屋で、王宮に馴染もうと必死で、誰かの心をまっすぐ見つめる少女。


 わたくしは悪役令嬢。


 断罪されるはずの女。


 だからこそ、壁になりたかった。


 なのに、皆がわたくしを見る。


 ユリウス殿下も。

 ダリオ様も。

 セシリア様も。

 レオンハルト様も。


 視線が集まるたび、胸が苦しくなる。


 嫌ではないのに、怖い。


「……リタ」


「はい」


「主人公になるのって、怖いわね」


 リタは、少しだけ表情を和らげた。


「お嬢様は、主人公になりたいのですか?」


「なりたくないわ」


「では、なぜ怖いのですか」


「なりたくないのに、舞台の真ん中へ引っ張られる感じがするから」


 セシリア様にも言われた。


 レオンハルト様のお話をしている時は、お姉様が舞台の上にいるみたいだ、と。


 そうなのだ。


 レオンハルト様といる時、わたくしは見ている側ではいられない。


 見られる。


 問われる。


 隠していたものを、自分の口で言わされる。


 それが怖い。


 でも、少しだけ。


 本当に少しだけ。


 見つけてもらえているようで、温かい。


 リタは、ゆっくりとブラシを置いた。


「お嬢様」


「なに?」


「私は、お嬢様が主人公かどうかは分かりません」


「ええ」


「ですが、お嬢様の人生は、お嬢様のものです」


 あまりに真っ直ぐな言葉だった。


 わたくしは、ペンを持つ手を止めた。


「それは、誰かの物語を眺めるためだけに使うには、少しもったいないかと」


「……リタ」


「はい」


「今のは、かなり優しいわ」


「たまには」


「どうしたの? 熱でもあるの?」


「失礼ですね」


「だって、いつものリタなら『壁になる前に部屋を片付けてくださいませ』くらい言うところでしょう」


「それも言う予定でした」


「台無し!」


 リタは少しだけ笑った。


 その笑いに、わたくしもつられて笑ってしまう。


 やっぱり、リタは強い。


 優しく刺してくる。


 レオンハルト様とは別種の危険人物だ。


 わたくしは手帳にもう一行書いた。


『自分の人生を、誰かの物語を眺めるためだけに使うには、少しもったいない。リタ談。刺さる。』


 リタが横から覗き込む。


「お嬢様、私の発言を記録なさらないでくださいませ」


「名言だったから」


「恥ずかしいです」


「あなたにも恥ずかしいという感情があったのね」


「ございます」


「少し安心したわ」


 言いながら、手帳を閉じようとした。


 その時。


 引き出しの奥に、見覚えのない紙が挟まっていることに気づいた。


 白い紙。


 いや、白というより、少し黄味がかった上質な便箋だ。


 わたくしは手を止めた。


「……リタ」


「はい」


「この紙、あなたが入れた?」


 リタが机の横へ来る。


 わたくしが指差した引き出しの奥を見て、すぐに表情を変えた。


 それは、ほんの一瞬だった。


 だが、分かった。


 リタが警戒した。


「いいえ」


 声が低い。


「私は存じません」


 わたくしの背筋が、少し冷えた。


 この机は、わたくしの自室にある。


 侍女たちは掃除に入るが、引き出しの奥に勝手に紙を入れることはない。

 ましてやリタが知らない紙など。


「触らない方がよろしいでしょうか」


 わたくしが聞くと、リタは少し考えた。


「私が確認いたします」


「でも」


「お嬢様はお下がりください」


 リタの声は、いつもの侍女のものではなかった。


 わたくしを守る人の声だった。


 わたくしは一歩下がる。


 リタはハンカチを取り出し、直接触れないように紙を引き出した。


 折り畳まれた便箋。


 封はされていない。


 リタが慎重に開く。


 わたくしは、隣から覗き込んだ。


 そこに書かれていた文字を見た瞬間、息が止まった。


『明日の礼拝堂訓練にて、セシリア・フローラの祈祷書をすり替えること。

 古い版のものを使わせ、神官長の前で失態を演じさせる。

 実行後、証拠は焼却。

 指示通り行えば、ロゼリア家より相応の礼をする。

 ミリア・ロゼリア』


 わたくしの名前。


 最後に、わたくしの名前。


 手が冷たくなる。


 リタが紙を持ったまま、静かに言った。


「お嬢様」


「……わたくし、こんなもの書いていないわ」


「存じております」


 即答だった。


 その早さに、少しだけ救われる。


 けれど、胸の奥が冷たい。


 セシリア様の祈祷書をすり替える。

 失態を演じさせる。

 ロゼリア家より礼をする。


 これは、嫌がらせの指示書だ。


 しかも、わたくしの名前で。


 原作の悪役令嬢ミリアなら、やりかねない内容。


 いや、原作には似たような嫌がらせがあった。


 セシリア様が王宮礼拝堂で失敗し、令嬢たちに笑われ、殿下に庇われるイベント。


 その裏で、ミリアが祈祷書をすり替えたと示唆されていた。


 ゲームの中では、直接指示書が出てきたわけではない。


 でも、この内容は。


 まるで、原作通りの悪役令嬢を作ろうとしているみたいだ。


「……なぜ」


 声が震えた。


「なぜ、こんなものがここに?」


 リタは、紙から目を離さずに言った。


「誰かが入れたのでしょう」


「誰が?」


「分かりません。ですが、これは危険です」


「危険……」


「はい。これが見つかる場所によっては、お嬢様がセシリア様への嫌がらせを指示した証拠として扱われます」


 証拠。


 その言葉が、重く落ちる。


 わたくしは何もしていない。


 セシリア様を傷つけるつもりなどない。


 むしろ、守りたい。


 それなのに。


 紙一枚で、悪役令嬢に戻される。


 噂で少しずつ変わってきたわたくしの評価も、セシリア様との信頼も、殿下やダリオ様との会話も、レオンハルト様が見てくれたものも。


 全部、ひっくり返されるかもしれない。


 胸が苦しい。


「リタ」


「はい」


「燃やした方が」


「駄目です」


 強い声だった。


 リタはわたくしを見た。


「燃やせば、証拠隠滅を疑われます」


「でも、こんなもの」


「残します。ですが、扱いは慎重に。誰にも見せず、まずは信頼できる方へ」


 信頼できる方。


 頭に、いくつかの顔が浮かぶ。


 ユリウス殿下。

 ダリオ様。

 セシリア様。


 そして。


 レオンハルト様。


 ――必要なら、私の名を出せ。


 ――逃げる先が危ない時は止める。


 ――私もいる。


 胸が痛くなる。


 さっきまで、その台詞に悶えていたのに。


 今は、その言葉にすがりたくなっている。


「……レオンハルト様に」


 小さく呟く。


 リタは、静かに頷いた。


「私も、それがよろしいかと」


「でも、夜よ」


「急ぎの使いを出します」


「公爵様に迷惑では」


「お嬢様」


 リタが、珍しく少し怒った声を出した。


「今は、ご自分を後回しになさらないでください」


 その言葉に、何も言えなくなる。


 後回し。


 まただ。


 わたくしは、こんな時でも迷惑を考えている。


 自分に向けられた罠かもしれないのに。


 セシリア様を傷つけるためのものかもしれないのに。


「……そうね」


 わたくしは、深く息を吸った。


「リタ。お願い。公爵様に使いを」


「かしこまりました」


「それから、この紙は」


「私が保管いたします。直接触れないようにいたしますので」


「ええ」


 リタは便箋を元の形に戻し、別の封筒を用意して慎重に収めた。


 その動きは冷静だった。


 頼もしい。


 けれど、わたくしの手はまだ冷たい。


 机の上の手帳が目に入る。


 さっきまで、そこには恋だの主人公だの、そんなことを書いていた。


 同じ机の引き出しから、今は偽の指示書が出てきた。


 温度差がひどい。


 物語は、急に牙をむく。


 わたくしは悪役令嬢ではない。


 そう思い始めたところだった。


 社交界も少しずつ、そう見始めてくれているかもしれないと思った。


 なのに。


 誰かが、わたくしを悪役に戻そうとしている。


「お嬢様」


 リタが、封筒を手にして言った。


「大丈夫です。私がおります」


「……ええ」


「セシリア様を傷つけさせません」


「ええ」


「お嬢様を、悪役にはさせません」


 その言葉に、喉の奥が熱くなった。


 泣きそうになった。


 でも泣かない。


 まだ泣く時ではない。


「ありがとう、リタ」


「はい」


「でも、今の台詞も主人公に言うやつね」


「この状況でそれを言えますか」


「言わないと怖いの」


 リタは少しだけ目を見開き、それからほんのわずかに表情を緩めた。


「では、言ってくださいませ。怖い時ほど、お嬢様は妙なことをおっしゃった方が少し落ち着きます」


「ひどい評価だけれど、当たっているわ」


「侍女でございますので」


 いつもの言葉。


 それだけで、少しだけ呼吸が戻る。


 リタは使いを出すために部屋を出た。


 自室に一人残されたわたくしは、机の前に座る。


 手帳を開く。


 さっきのページ。


『その台詞、主人公に言うやつです。』


 その下に、震える手で書き足した。


『見覚えのない手紙が出てきた。

 セシリア様への嫌がらせ指示。

 私の名前。

 誰かが、私を悪役令嬢に戻そうとしている。』


 インクが少し滲んだ。


 手が震えているからだ。


 わたくしは唇を噛む。


 怖い。


 正直、怖い。


 でも。


 もう一行、書いた。


『逃げない。セシリア様を守る。私も守る。』


 書いてから、息を吐いた。


 その時、窓の外で夜風が鳴った。


 物語の空気が変わった気がした。


 ラブコメの軽やかな音の下に、冷たい糸が一本通る。


 原作の断罪イベントが、近づいている。


 それも、誰かの手によって。


 わたくしは手帳を閉じ、胸に抱いた。


 さっきまで悶えていた台詞が、今は違う意味で胸に響く。


 君が誰かの幸福を願うなら、私は君の幸福を願う。


 レオンハルト様。


 わたくしは、セシリア様の幸福を願います。


 殿下の幸福も、ダリオ様の選んだ忠義も、リタの静かな優しさも。


 そして、今度こそ。


 自分自身も、悪役にされないよう守りたい。


 だから。


 どうか、力を貸してください。


 口には出さず、心の中でそう呟いた。


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