表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
推しカプを見守るため悪役令嬢に転生しましたが、なぜか冷血公爵の本命になりました 〜私は壁になりたいのに、攻略対象たちが全員こちらを見てくる〜  作者: 鳳凰院暁月刃夜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/50

第14話 推し活に支障が出るので優しくしないでください

 王宮庭園の東屋での事情聴取。


 あれは、あくまで事情聴取だった。


 レオンハルト様がわたくしの目的を確認し、わたくしが外側にいたいだの、壁になりたいだの、また少し面倒なことを話してしまっただけの、ただの事情聴取である。


 決して、密会ではない。


 逢い引きでもない。


 ましてや、恋愛イベントなどではない。


 ……ない、はずだった。


「お嬢様」


 その翌日の昼下がり。


 わたくしは、王宮の小庭園にいた。


 今日はセシリア様が王宮礼拝堂での初歩的な祈祷訓練を終えたあと、短い茶会に誘ってくださったのだ。

 もちろん、ヒロイン様からのお誘いである。断るという選択肢は存在しない。


 というより、前世のわたくしなら招待状を額縁に入れて飾る。


 そのくらい光栄なことだった。


 小庭園には白いテーブルが置かれ、淡い黄色の花が飾られている。王宮の侍女が用意してくれた紅茶と、小さな焼き菓子。セシリア様は、慣れないながらも懸命に主催者らしく振る舞おうとしていた。


 かわいい。


 非常にかわいい。


 ヒロイン様が小さな茶会を主催している。


 その事実だけで、今日という日は記念日である。


 なのに。


「お嬢様」


 リタが、わたくしの背後で二度目の声をかけた。


「紅茶が冷めます」


「え?」


「先ほどから、カップを持ったまま止まっておいでです」


 手元を見る。


 確かに、わたくしはカップを持ったまま固まっていた。

 しかも、紅茶はもう湯気を失っている。


「……考え事をしていたの」


「レオンハルト様のことを?」


「違うわ」


「では、何を?」


「セシリア様の茶会の尊さについて」


「先ほどまではそうでした」


「先ほどまでは、とは」


「途中から、顔が別方向へ行かれました」


「顔が別方向へ?」


「はい。お嬢様の内心では、東屋方面へ歩いておられたかと」


「顔で進行方向を読むのをやめて」


「分かりやすいので」


 この侍女は本当に容赦がない。


 わたくしは咳払いして、カップを置いた。


 違う。


 レオンハルト様のことなど考えていない。


 ただ、昨日の東屋での会話を少し整理していただけだ。


 外側は安全だが寒い。

 無理に笑うな。

 君は壁には向いていない。

 嫌ではないなら、見られることに慣れろ。


 あの人は、いちいち言葉が重い。


 しかも、本人はそこまで重くしているつもりがなさそうなのが厄介である。


 冷血公爵。

 冷たい。

 鋭い。

 容赦がない。


 それなのに、焼き菓子をこちらへ押して「食べろ」と言う。

 侍女の同行を許可する。

 笑った顔を事前予告しない。

 無理に笑うな、などと。


 やめてほしい。


 本当にやめてほしい。


 推し活に支障が出る。


「お姉様?」


 目の前から、セシリア様の声がした。


 わたくしは我に返る。


 セシリア様が、心配そうにこちらを覗き込んでいた。


 淡い水色のドレス。

 昨日より少しだけ整えられた髪。

 それでも、どこかまだ王宮に慣れていない初々しさが残っている。


 天使。


 ヒロイン様。


 本来なら、今この瞬間、わたくしはセシリア様の一挙一動を全力で見守り、王宮作法の成長に涙し、殿下やダリオ様との今後の交流導線を考えていなければならない。


 なのに。


 頭の片隅に、レオンハルト様の低い声が居座っている。


 出て行ってほしい。


「申し訳ございません、セシリア様。少し考え事を」


「お疲れですか? 昨日も、その前の舞踏会も、たくさん大変なことがありましたし……」


「大丈夫ですわ。セシリア様の方こそ、祈祷訓練はいかがでした?」


 話題を戻す。


 ヒロイン様に集中。


 集中しなさい、わたくし。


 セシリア様は、少し恥ずかしそうに笑った。


「難しかったです。祈りの言葉を覚えるだけでも大変なのに、手の形や立ち位置まで決まっていて」


「王宮は、何にでも作法をつけたがりますから」


「神官長様にも、同じようなことを言われました」


「まあ」


「『心が先だ。形は後から整えばよい』と」


「素敵なお言葉ですわね」


「はい。でも私、形もできるようになりたいんです。失敗して、また誰かに笑われるのは……少し怖いので」


 セシリア様の声が、最後だけ小さくなった。


 胸が痛くなる。


 昨日、彼女は令嬢たちに笑われた。

 わたくしが庇ったとはいえ、その記憶が消えるわけではない。


 人に笑われる痛みは、意外としつこい。


 誰かに「そんなことで」と言われても、本人の中ではずっと残ることがある。


 わたくしは、そっと微笑んだ。


「セシリア様。失敗してもよろしいのです」


「でも」


「笑う方が悪いのですわ」


 セシリア様が、目を上げた。


「作法は、誰かを貶めるためのものではありません。わたくしも幼い頃、礼の角度を間違えて三十回やり直したことがあります」


「以前も仰っていましたね」


「ええ。あれは、もう魂が抜けるかと思いました」


「ふふ」


 セシリア様が笑う。


 よし。


 今、ヒロイン様が笑った。


 集中できている。


 わたくしはちゃんとヒロイン様を見ている。


 大丈夫。


 レオンハルト様の笑顔など、今は思い出していない。


 ……思い出していないと言った瞬間、思い出した。


 駄目。


 人間の脳は反抗期なのか。


「お姉様」


「はい」


「やっぱり、少しお顔が赤いです」


「え?」


「具合が悪いのでは?」


「いいえ、これは……日差しですわ」


 東屋の時と同じような言い訳をしてしまった。


 日差し。

 便利だが、庭園でしか使えない。


 セシリア様は素直に空を見上げた。


「今日は少し曇っていますけれど」


「雲越しの日差しです」


「雲越し」


「ええ。意外と油断ならないものですわ」


 リタが背後で小さく咳払いをした。


 やめて。


 笑いを堪えないで。


 セシリア様は、少し考えるように首を傾げた。


「でも、お姉様。昨日も同じようなお顔をなさっていました」


「昨日?」


「レオンハルト様とお話しされた後です」


 心臓が跳ねた。


 カップを持っていなくてよかった。


「そ、そうでしたかしら」


「はい。お姉様は、レオンハルト様とお話ししている時、いつもより表情がころころ変わります」


「ころころ」


「はい。困ったお顔をしたり、怒ったふりをしたり、少し笑ったり」


「怒ったふりではなく、本当に少し困っているのです」


「でも、嫌そうではありませんでした」


 セシリア様の目は、どこまでもまっすぐだった。


 この子の直球は危険だ。


 レオンハルト様の直球は逃げ道を塞ぐ。

 リタの直球は容赦なく刺す。

 セシリア様の直球は、善意で心臓を貫いてくる。


「セシリア様。公爵様とは、その、少し事情がありまして」


「事情?」


「はい。わたくしが不審な言動をしてしまったので、公爵様が確認をなさっているだけです」


「お姉様が不審?」


「ええ。まあ、少し」


「お姉様は不審ではありません」


 即答だった。


 眩しい。


 ヒロイン様の信頼が眩しい。


 リタが背後で「いえ、不審ではございます」と言いたげな空気を出しているが、無視する。


「ありがとうございます、セシリア様」


「でも、レオンハルト様は怖い方なのでしょうか?」


「怖い……」


 わたくしは少し考えた。


 怖い。


 確かに怖い。


 初対面の時から、配置を見ていたことを見抜かれた。

 殿下とダリオ様の距離を見ていることも見抜かれた。

 壁になりたいという意味不明な願望にも踏み込まれた。

 わたくしが逃げていることも、自分を後回しにしていることも、見抜いてくる。


 怖い。


 けれど。


 それだけではない。


「怖い方ではありますわ」


「そうなのですね」


「でも、悪い方ではありません」


 自然に出た言葉だった。


 セシリア様が、目を瞬く。


「お姉様は、レオンハルト様を信頼していらっしゃるのですね」


「信頼」


 その単語に、わたくしは固まった。


 信頼。


 しているのだろうか。


 まだ、そこまでではない。


 警戒している。

 困っている。

 怖い。

 話すと疲れる。

 でも、悪意はないと分かっている。


 わたくしを悪役だと決めつけず、見てくれる。

 無理に笑うなと言ってくれる。

 外側は寒いと教えてくれる。


 それは、信頼に近いものなのかもしれない。


 いや、駄目。


 認めると、また一歩進んでしまう。


「……まだ、判断中ですわ」


 わたくしは、レオンハルト様の言葉を借りた。


 セシリア様は、きょとんとした。


「判断中?」


「ええ。公爵様がよく使われる言葉です」


「まあ」


 セシリア様がふわりと笑う。


「お姉様、レオンハルト様の言葉を覚えていらっしゃるのですね」


 しまった。


 完全に墓穴。


 リタが背後で、今度こそ小さく吹き出しかけた気配がした。


 あとで問い詰める。


「印象的でしたので」


「そうなのですね」


「はい。それだけです」


「それだけですか?」


「それだけです」


「本当に?」


 セシリア様まで、リタのような追及を覚え始めている。


 まずい。


 ヒロイン様がツッコミ能力を得てしまった。


 わたくしは、慌てて話題を変えた。


「それより、セシリア様。殿下とはその後、お話しされましたか?」


「王太子殿下と?」


「はい」


「今朝、礼拝堂の前で少しだけ。祈祷訓練を頑張っていると聞いた、と声をかけてくださいました」


「まあ」


 よし。


 進展。


 王太子殿下とヒロイン様の自然な交流。

 これは非常に良い。


「殿下はお優しかったでしょう?」


「はい。とても」


「それは良かったですわ。殿下は、セシリア様のように努力なさる方をきっと大切にされます」


「でも」


「でも?」


「王太子殿下は、お姉様のお話をしていらっしゃいました」


 ……。


 なぜ。


 なぜそこで戻ってくる。


「わたくしの?」


「はい。『ミリアは君に無理をさせていないかな』と」


「殿下が?」


「それから、『彼女は人のために無茶をするところがあるから、何かあれば教えてほしい』と」


 やめて。


 王太子殿下。


 なぜヒロイン様との会話で、わたくしの心配をしているのですか。


 その気遣いは、ヒロイン様へ向けてください。


 わたくしを経由しないで。


「お姉様は、王太子殿下にもとても大切にされているのですね」


「セシリア様、それは誤解です」


「誤解なのですか?」


「殿下はお優しい方ですので」


「でも、私に話しかけてくださった時も、お姉様のことを気にしていらっしゃいました」


「それは……」


 好感度が上がっている。


 また、わたくしへの好感度が。


 わたくしは頭を抱えたくなった。


 どうしてこうなる。


 セシリア様と殿下を近づけたい。

 殿下にはセシリア様を見ていただきたい。

 わたくしのことなど、ほどよく背景へ流していただきたい。


 なのに殿下は、ヒロイン様との会話でわたくしの心配をしている。


 ルートが、またこちらに曲がってくる。


 おかしい。


 物語の道が、わたくしの方へ傾斜している。


「お姉様?」


「少し、人生の地形について考えておりました」


「地形?」


「お気になさらず」


 リタが背後で低く言う。


「お嬢様、そろそろ説明を放棄する癖をお直しくださいませ」


「リタ、今日は味方でいて」


「内容によります」


「またそれ」


 セシリア様がくすくす笑った。


 その笑顔に少し救われる。


 やはりヒロイン様は癒やし。


 この笑顔を守るためなら、わたくしはまだ頑張れる。


 そう思った時だった。


 セシリア様が、両手でカップを包みながら、じっとこちらを見た。


「お姉様」


「はい」


「私、変なことを聞いてもよろしいでしょうか」


「もちろんですわ」


「お姉様は、レオンハルト様がお好きなのですか?」


 紅茶を飲んでいなくて、本当によかった。


 もし飲んでいたら、間違いなく吹いていた。


 リタが背後でぴたりと止まる。


 王宮侍女たちも、少し離れた場所にいるので聞こえてはいないはずだ。


 聞こえていないはず。


 わたくしは、何とか微笑んだ。


「セシリア様」


「はい」


「今、何と?」


「レオンハルト様がお好きなのですか、と」


「聞き間違いではありませんでしたのね」


「はい」


 セシリア様は真剣だった。


 悪意はない。

 からかっているわけでもない。


 純粋に疑問として聞いている。


 だからこそ、逃げにくい。


「なぜ、そう思われたのです?」


「お姉様、レオンハルト様のお話をすると、少し困ったようなお顔になるのに、嫌そうではないので」


「それは」


「それから、王太子殿下やダリオ様のお話をしている時とは、違うお顔をなさいます」


「違う?」


「はい。殿下やダリオ様のお話をしている時は、すごく嬉しそうで、少し遠くを見ているような感じです」


 遠く。


 当たっている。


 推しを見守る時のわたくしは、きっと少し距離を置いた顔をしているのだろう。


「でも、レオンハルト様のお話をしている時は、近くにあるものをどう触ればいいか分からないみたいなお顔です」


 言葉が、胸に刺さった。


 近くにあるものを、どう触ればいいか分からない。


 セシリア様。


 あなたはヒロイン様でありながら、観察眼まで鋭いのですか。


 やめて。


 その表現は、わたくし自身にも刺さります。


「違いますわ、セシリア様」


 わたくしは、ようやく言った。


「これは恋ではありません」


 リタが背後で小さく息を吐いた。


 たぶん、またそれですか、と思っている。


 セシリア様は不思議そうに首を傾げた。


「では、何ですか?」


「事故です」


「事故?」


「ええ。避けようとしても、突然ぶつかってくるものです」


「恋って事故なのですか?」


「避けようとしても衝突するという点では、近いかもしれません」


「では、やっぱり恋なのでは?」


「違います」


「でも、今お姉様が」


「比喩ですわ」


「比喩」


「ええ。貴族令嬢は時々、比喩を使います」


「そうなのですね」


「そうです」


 よし。


 押し切った。


 ……と思ったが、セシリア様はまだ納得していない顔をしている。


 リタの気配も、明らかに「無理があります」と言っている。


 味方がいない。


「お姉様」


「はい」


「レオンハルト様といる時、怖くはないのですか?」


「怖いです」


「即答なのですね」


「怖い方ではありますから」


「では、どうして会いに行かれたのですか?」


 直球。


 また直球。


 セシリア様の質問は、純粋ゆえに逃げ道がない。


 昨日の東屋へ、どうして行ったのか。


 事情聴取だから。

 誤解を解くため。

 殿下やセシリア様に関する疑いを晴らすため。

 警戒対象から脱するため。


 理由はたくさんある。


 けれど、本当にそれだけだったのか。


 手紙を受け取った時、胸が跳ねた。


 行くと決めた時、少しだけそわそわした。


 東屋で彼の姿を見つけた時、安心した。


 その全部を、わたくしは「事情聴取」という言葉で覆い隠している。


「……確かめたかったのです」


 わたくしは、小さく答えた。


「何をですか?」


「公爵様が、わたくしをどう見ているのか」


 言ってしまってから、自分で驚く。


 そうだ。


 わたくしは、それを確かめたかったのかもしれない。


 レオンハルト様は、わたくしを悪役と決めつけなかった。

 不審だとは言った。

 妙だとも、危ういとも、逃げているとも言った。


 でも、ちゃんと見ようとしてくれた。


 だから。


 わたくしは、あの人の目に自分がどう映っているのか、怖かったけれど知りたかった。


「お姉様は、レオンハルト様に嫌われるのが怖いのですか?」


 セシリア様は、さらに聞いた。


 優しい声だった。


 だからこそ、痛かった。


「……嫌われるというより」


 わたくしは、紅茶の水面を見た。


「悪役だと思われるのが、怖かったのかもしれません」


 言葉が落ちる。


 庭園の空気が少し静かになった気がした。


 セシリア様は、何も言わずに聞いている。


「わたくしは、以前の自分があまり良い人間ではなかったことを知っています。殿下に執着して、周囲を見ず、自分の立場ばかりを気にしていた」


 原作のミリア。

 前世を思い出す前のミリア。


 彼女を完全な他人として切り捨てることはできない。


「だから、誰かに悪い人間だと思われても仕方ありませんわ。けれど、公爵様に『悪役には見えない』と言われた時……少しだけ、救われました」


 セシリア様が、目を丸くした。


 リタも、背後で静かになった。


「お姉様は、悪役ではありません」


 セシリア様は、はっきり言った。


「少なくとも、私にとっては」


「セシリア様」


「私を助けてくださいました。分からないことを教えてくださいました。お茶にも付き合ってくださいました。私、お姉様がいてくださって、本当に心強いんです」


 胸が、じんわり温かくなる。


 ヒロイン様。


 ああ、ヒロイン様。


 あなたの言葉は光です。


 セシリア様は、少し頬を染めながら続けた。


「だから、もしレオンハルト様がそれを分かってくださったなら、私は嬉しいです」


「嬉しい?」


「はい。お姉様をちゃんと見てくださる方がいるのは、嬉しいです」


 その言葉に、わたくしは何も返せなかった。


 ちゃんと見てくださる方。


 レオンハルト様は、わたくしをちゃんと見ているのだろうか。


 逃げ癖も。

 壁願望も。

 作り笑いも。

 自分を後回しにしようとするところも。


 それは、優しさなのか。


 警戒なのか。


 まだ分からない。


 けれど、昨日より少しだけ、怖くない。


「ですから」


 セシリア様が、にこりと笑った。


「私、お姉様とレオンハルト様を応援します!」


 ……。


 え?


「セシリア様」


「はい」


「今、何と?」


「お姉様とレオンハルト様を応援します、と」


「そのルートは存在しません」


「るーと?」


「いえ、道です。道が違います。大変ありがたいのですが、その応援は少し方向が」


「でも、お姉様には幸せになってほしいです」


 真正面から言われた。


 逃げ道がまた消えた。


「私は、お姉様が私や殿下やダリオ様のことを考えてくださるの、とても嬉しいです。でも、お姉様ご自身が幸せにならないのは嫌です」


「わたくしは」


「後回しにしないでください」


 あ。


 昨日の言葉を思い出す。


 自分の幸せは後回しで結構。


 それを、レオンハルト様にも咎められた。


 今、セシリア様にも。


 ヒロイン様の目は、まっすぐだった。


「お姉様が誰を好きでも、まだ分からなくても、私は応援したいです」


「セシリア様……」


「だから、レオンハルト様がお好きなら、私に教えてくださいね」


「ですから、まだ好きでは」


「まだ?」


 しまった。


 まだ、と言った。


 リタが背後で小さく、しかし確実に反応した。


 セシリア様の目も、ぱっと輝く。


「お姉様、まだ、なのですね」


「違います。今のは言葉の綾です」


「これから、という意味ですか?」


「違います」


「でも、まだ、ということは、これから変わるかもしれないという」


「セシリア様、王宮で覚えるべきは作法であって、言葉尻の捕まえ方ではありません」


「リタ様に少し教わりました」


「リタ!」


 背後を見る。


 リタは無表情だった。


「私は何も」


「教えたのね?」


「少しだけ」


「なぜ」


「お嬢様の言葉は逃げ道が多いので、セシリア様が迷われないように」


「迷わせているのはあなたでは?」


 セシリア様は楽しそうに笑っている。


 この子まで、ツッコミ側に回り始めている。


 まずい。


 ヒロイン様がわたくしの恋愛応援団になりつつある。


 そんなルートはない。


 ないはず。


 けれど、目の前のセシリア様は、本当に嬉しそうだ。


「お姉様」


「はい」


「レオンハルト様は、怖い方かもしれません。でも、お姉様が無理に笑っている時に気づいてくださる方なら、きっと大切な方です」


 その言葉は、静かに胸へ落ちた。


 無理に笑っている時に気づいてくれる方。


 それは、確かに。


 簡単に出会える相手ではないのかもしれない。


 わたくしは、返事ができなかった。


 セシリア様は、そっとわたくしの手に自分の手を重ねた。


「お姉様。私はまだ王宮のことも、恋のことも、よく分かりません」


「わたくしも分かりませんわ」


「でも、お姉様が誰かのお話をしている時に、どんなお顔をしているかは分かります」


「……」


「レオンハルト様のお話をしている時のお姉様は、少し怖がっていて、少し困っていて、でも、どこか嬉しそうです」


 また、何も言えなくなる。


 そんな顔をしているのだろうか。


 わたくしは。


 嬉しそうに。


「……推し活に支障が出ますわ」


 ぽつりと、変な言葉が漏れた。


 セシリア様が首を傾げる。


「推し活?」


「祈りの一種です」


 リタがすかさず言った。


 セシリア様が「ああ」と納得した。


 納得しないで。


 その説明で納得しないでください。


 わたくしは額に手を当てた。


「とにかく、レオンハルト様には、もう少し優しくしないでいただきたいのです」


「優しくしないで?」


「ええ。優しくされると、集中できません」


「何に?」


「殿下とダリオ様の尊……いえ、殿下の幸福とセシリア様の未来に」


「お姉様」


「はい」


「やっぱり、レオンハルト様のことが気になっているのですね」


「違います」


「違うのですか?」


「違……」


 違う。


 そう言いたい。


 でも、言葉が少し遅れた。


 セシリア様は微笑んだ。


 リタも、背後で静かに勝利したような気配を出している。


 負けた気がする。


 何に負けたのかは、まだ認めない。


 その時、王宮侍女が小庭園へ入ってきた。


「ロゼリア様」


「はい」


「ヴァイスベルク公爵様より、お届け物でございます」


 空気が止まった。


 セシリア様の目が輝く。


 リタの視線が刺さる。


 わたくしは、ゆっくり瞬きをした。


「公爵様より?」


「はい」


 侍女が差し出したのは、小さな包みだった。


 派手なリボンはない。

 簡素だが上質な紙で包まれている。


 わたくしは受け取り、そっと開いた。


 中には、薄い革表紙の小さな手帳が入っていた。


 添えられた紙には、短い文。


『思考が散らかるなら、書け。

 壁になる計画も、逃げ道も、すべて書けば少しは整理できる。


 ヴァイスベルク』


 ……。


 宝石でも花でもない。


 手帳。


 しかも、わたくしの思考が散らかる前提。


 ひどい。


 ひどいのに。


 実用的。


 しかも、わたくしが頭の中でぐるぐる考え込むことを見抜かれている。


 これは優しさなのか。

 皮肉なのか。

 実用なのか。


 全部かもしれない。


 セシリア様が、手帳を見て微笑んだ。


「お姉様」


「言わないでくださいませ」


「レオンハルト様、お優しいですね」


「……優しさの形が少し変わっていますわ」


「でも、お姉様のことを考えて選んでくださったのですね」


 心臓が、また変な音を立てた。


 リタが背後で、決定的な一言を落とす。


「恋です」


「リタ!」


 小庭園に、セシリア様の明るい笑い声が響いた。


 わたくしは手帳を胸に抱えたまま、扇で顔を隠す。


 ああ、もう。


 推し活に支障が出るので、優しくしないでください。


 そう言いたい。


 けれど、その手帳を手放す気には、どうしてもなれなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ