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現代神話構文黙示録 〜スマホアプリ《AVIS》と未定義の神々〜  作者: 秋月キアラ
第10話 ― 神話は、誰のものでもない
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終節 ― 世界中で、読み込まれている

 《MISLEAD》の地下から地上へ戻ると、新宿はまだ起きていた。


 路地の先ではタクシーがゆっくり客を拾い、明るいコンビニから紙袋を提げた学生が出てくる。大通りへ近づけば、飲み会帰りらしい会社員の集団が笑いながら駅へ向かい、その頭上では終電時刻を知らせる案内が流れていた。巨大ビジョンも広告も、三人がここへ来た時と変わらず光り続けている。


 壁の中に存在しない神殿が重なったことも、誰かの影に角が生えたことも、地下で世界地図いっぱいに光が灯ったことも、この道を歩くほとんどの人は知らない。


「……普通だな」


 レンが言った。


 声には疲れが混じっている。《雷吼の荒冠》を長く維持したせいか、歩き方にもいつもの軽さが少し足りない。それでも、目の前を歩いていた酔客が急に進路を変えると、ぶつからないよう自然にミオの側へ身体を寄せた。


「普通ですね」


 ミオが周囲を見回す。


 少し前まで《MISLEAD》のスクリーンには、神々の像とネットミームと匿名コメントが重なっていた。今は駅前の大型画面で化粧品の広告が流れ、その次に新作ゲームの映像へ切り替わる。そこにも神話を思わせる名前は出ていたが、誰も立ち止まらない。


 ユウリも、一度だけスマホを確かめた。


 AVISは動いている。特別な警告は出ていない。


「電車、間に合うよね?」


「余裕。たぶん」


 レンが乗換案内を見る。


「『たぶん』を付けないでください」


「星宮、こういう時だけ急に厳しいな」


「帰れなくなるので」


「そこは大事だな」


 ミオが真顔で頷くので、ユウリは少し笑った。


 世界規模の神話構文がどうなっているのかは分からない。けれど今の三人にとっては、終電を逃すかどうかも普通に問題だった。


 駅へ向かう人波に混ざる。


 誰かのスマホから音楽が漏れ、横断歩道の信号が変わり、急いで走った人が友人に文句を言われている。地下で見たものだけが現実で、こちらが偽物になったわけではない。


 どちらも、同じ夜の中にあった。


     *


 帰りの電車は、行きより少し空いていた。


 三人はドア脇の座席に並んで座る。車内には眠そうな会社員が何人かいて、向かいでは大学生らしい二人が小声で動画を見ていた。窓の外を流れる街灯と広告の光が、黒いガラスへ断続的に映り込む。


 ユウリの隣で、レンはしばらく何も話さなかった。


 窓には制服姿の三人と、車内の白い照明が重なっている。その中でレンの顔だけが、いつもより少し考え込んで見えた。


「俺さ」


 不意に言った。


「うん?」


 ユウリが振り向く。


 レンは窓を見たままだった。


「ちょっと、神狭市を特別だと思ってたかも」


 電車が地下区間へ入り、窓の向こうが完全な黒へ変わった。レン自身の顔が、さっきよりはっきり映る。


「変な事件が多いし、AVISも契約神も、あそこに集まってるしさ。俺たちが見つけたものを外に流したせいで、どんどん広がってるんじゃないかって……どっかで思ってた」


 そこで言葉を切る。


「全部じゃないって分かったけど」


 レンは、それ以上を軽くしなかった。


 自分が情報を流したことまで消えたわけではない。《コンティニュー》で起きたことも、誰かの体験が勝手に神話の材料へ変えられたことも残っている。ただ、世界中の扉を自分一人が開いたという形だけが、地下の世界地図によって否定された。


「僕も」


 ユウリは言った。


 レンがこちらを見る。


「神狭市で起きてることを追ってれば、だんだん大元に近づいていくんだと思ってた。街の奥に、全部につながる何かがあるみたいに」


「なかったな」


「うん」


 むしろ、つながった先には中心そのものがなかった。


 その事実を言葉にすると、また説明になりそうで、ユウリはそこで止めた。


 反対側に座るミオは、窓の外を見ていた。


 地下を抜けたらしく、夜の住宅地が流れ始める。灯りのついたマンションの窓、暗い公園、閉店した店の看板。見慣れない町なのに、生活している人がいることだけは分かる景色だった。


「私は」


 ミオが静かに言う。


 二人が見る。


「神狭市にしか、行く場所がないと思っていました」


 それだけだった。


 ユウリは続きの言葉を待たなかった。


 神狭市には、ミオを神だと誤認した人間がいた。彼女を分類しようとする組織も、空いた役へ座らせようとするものもあった。それでも同時に、学校があり、友人がいて、彼女を「星宮ミオ」と呼ぶ人間もいる。


 ミオは窓から目を離さない。


 電車はそのまま、夜の街を走っていった。


     *


 神狭駅へ着くころには、日付が変わるまでそれほど時間がなかった。


 ホームへ降りると、聞き慣れた発車メロディが背後で鳴る。新宿の駅とは比べものにならないほど人は少なく、ベンチには電車を待つ会社員が一人いるだけだった。


「帰ってきた感じする」


 レンが伸びをする。


「今日は本当に遠足みたいでしたね」


「途中からだいぶ危険な遠足だったけどな」


「行き先が地下クラブの時点で、学校では許可されないと思う」


「天瀬、そこで急にまともになるなよ」


 三人で改札を抜ける。


 コンコースには終電案内が出ている。閉まった売店。自動販売機の明かり。少し離れたところでは、駅員が掲示物を直している。


 見慣れた神狭駅だった。


 そこで、ユウリのポケットが震えた。


 一度ではない。


 短い振動が二度続く。


「また?」


 レンもスマホを確認する。


 ユウリはAVISを開いた。


 いつものホーム画面が一瞬だけ暗くなり、見覚えのない表示へ切り替わる。


《WORLD MYTH INDEX》


《CONNECTED》


 その下に、少し間を置いて新しい文字が出た。


《LOG OLYMPOS GATE》


《STANDBY》


「……スタンバイ?」


 レンがユウリの画面を覗き込む。


「俺のも同じ」


 自分の端末を並べる。


 二台とも、同じ表示だった。


「アヴィ」


「確認中」


 アヴィの声には、いつもの軽口がない。


 画面上に小さな地図が開き、複数の観測点が浮かぶ。新宿の地下で見たほど詳細ではないが、日本国外を含むいくつもの地点に同じ応答が出ている。


「ユウリの端末だけじゃない。こっちで観測できる範囲でも、一部ノードが同時に《CONNECTED》へ移ってる」


「誰かが操作した?」


「不明。《MISLEAD》のローカル《GATE 0》は落ちたまま」


 そこでアヴィは止めた。


 原因を埋めるための答えを、無理に出そうとはしない。


「ミオは?」


 ユウリが訊く。


 ミオもスマホを見ていた。


 彼女の画面は違う。


《神格照応:対象外》


 その下。


《上位構文接触:継続》


「……また、分からないって言われました」


 ミオが少し困ったように言った。


 ユウリはその表示を見る。


 《HIGHER LAYER》が何なのかは、まだ分からない。


 ミオが何に触れているのかも、ここでは答えが出ていない。ただ、少なくとも神名を探す《LOG OLYMPOS》は彼女を神として扱わなかった。


 少し考えてから、ユウリは言った。


「今は、それでいいんじゃないかな」


 ミオが顔を上げる。


「いいんですか?」


「分からないものを、分かったことにするよりは」


 スマホの端で、アヴィが小さく息を吐いた。


「ずいぶん慣れたな。未確定に」


「慣れたくはないよ」


「だろうね」


「アヴィも分からないこと多いし」


「余計な一言を足すな」


 レンが笑った。


 ミオも少しだけ笑う。


 三人で駅の出口へ向かった。


 自動ドアが開くと、夜の空気が頬に触れる。駅前ロータリーには数台のタクシーが並び、コンビニはまだ明るい。信号の向こうでは自転車が一台通り過ぎ、住宅街の方から犬の鳴き声が聞こえた。


 昨日までと何も変わらないように見える神狭市だった。


 けれど、ユウリたちはもう知っている。


 この街だけが壊れ始めていたわけではない。神々が戻ろうとしている場所も、ここ一つではなかった。自分たちが見てきた事件は、世界の中心で起きていた特別な異変ではなく、もっと大きな現象へ触れた一つの入口だった。


 ユウリは歩きながら、もう一度スマホを見る。


《WORLD MYTH INDEX:CONNECTED》


《LOG OLYMPOS GATE:STANDBY》


 神狭市は、世界の中心ではなかった。


 ただ、自分たちが最初に気づいた扉だった。


 画面の向こうでは今も、遠く離れた場所のノードが一つ、また一つと応答を返している。使われている言葉も、呼ばれている神の名前も、その入口の形さえ同じではない。


 それでも、読み込みだけは止まっていなかった。


 世界中で、同じ扉が静かに開き始めていた。

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