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現代神話構文黙示録 〜スマホアプリ《AVIS》と未定義の神々〜  作者: 秋月キアラ
第10話 ― 神話は、誰のものでもない
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第十一節 ― 中心なんて、最初からない

 最初の一人が、レンの作った経路へ足を踏み入れた。


 青白い雷は床を焼かず、非常口の向こうへ細い帯となって伸びている。ユウリの《未署名の観測翼》がその客に付いていた《NODE USER》を外すと、スマホの表示が《UNREGISTERED》へ変わった。NOCTがそれを確認してから肩を押すことも急かすこともせず、ただ出口を指した。


「そのまま進んで。途中で何か表示されても触らないで」


 客は何度も頷き、恐る恐る一歩を進めた。光の境を越えた瞬間、身体が消えたり景色が変わったりはしない。ただ、足元にまとわりついていた薄い照応線だけが途切れ、非常階段の向こうへ普通の足音が続いていった。


「抜けた」


 アヴィが告げる。


「登録の再接続も今のところなし。次」


 それを合図に、二人目が前へ出た。


 NOCTは一度に人を動かさなかった。客の端末を確認し、ユウリが未登録へ戻し、レンの経路が安定していることを確かめてから一人ずつ通す。途中で泣き出した女性にはスタッフが付き添い、スマホを投げ捨てようとした青年には「今は持っていて」と短く伝えた。


 フロアにはまだ異常が残っている。


 壁の一部へ重なっていた白い神殿は、輪郭こそ薄くなったものの消えてはいない。スクリーンでは映像が止められているのに、女神像の瞳だけが時おり焦点を変える。誰も再生していない端末から、短い祈りのような音声が漏れては消えた。


 それでも、人の数が減るにつれて混乱も少しずつ小さくなっていった。


「次、三人」


 NOCTが呼ぶ。


「ユウリ、いける?」


「大丈夫」


 答えたものの、肩は重かった。


 《未署名の観測翼》を広げ続けるたびに、視界の端へ細かなノイズが積もる。一人分の名前を消すわけではないとはいえ、《LOG OLYMPOS》が割り当てようとする役を見つけ、その欄だけを外す作業を何十人分も繰り返している。


 アヴィがすぐ気づいた。


「三人まとめて見るな。一人ずつ」


「分かってる」


「分かってる顔じゃない。右端の人から。残り二人は待たせろ」


 ユウリは言われた通り対象を絞った。《MYTH DATA SOURCE》と表示されていた欄が揺れ、《NODE USER》の登録要求が重なる。その一箇所だけへ翼を触れさせる。


《NODE USER:UNREGISTERED》


 次。


 その次。


 三人目まで外れたところで、ユウリは大きく息を吐いた。


「まだいける?」


 ミオが近くまで来ていた。


「うん。たぶん」


「たぶんは少し心配です」


「アヴィと同じこと言わないで」


「彼が正しい時もあります」


「『も』って何だ」


 スマホから不満そうな声が返り、ミオの口元が少し緩んだ。


 そのわずかなやり取りだけで、ユウリも呼吸を整えられた。


 レンは数メートル先で両手を広げ、帰還経路を維持していた。派手な雷撃ではないせいか、いつもの《雷吼の荒冠》より静かに見える。だが細い経路を崩さず支え続ける方が、むしろ集中を要求されているらしく、額には汗が浮かんでいた。


「レン、あと何人?」


「上の客は……」


 NOCTが人数を確認する。


「十二。スタッフ含めて十六」


「了解」


「無理なら言えよ」


「そっちこそ」


 レンは視線を動かさずに返す。


「天瀬が途中で倒れたら、俺がこいつら全員の登録解除までやる羽目になるんだろ。絶対やりたくない」


「心配の仕方がひどいな」


「ちゃんと心配してるだろ」


 軽口を言える程度には、まだ余裕がある。


 それが分かって、ユウリも次の客へ視線を戻した。


 順番に。


 一人ずつ。


 誰かをまとめて「利用者」として扱わず、その人に付いた登録だけを外す。


 数分後、一般客の最後の一人が非常階段へ消えた。


 続いてスタッフが抜ける。DJ機材を気にして振り返った男性を、NOCTが「機材はいい」と止めた。VJ担当らしい女性も、止まったスクリーンを一度見上げてから出口へ向かう。


 最後に残ったスタッフがNOCTへ声をかける。


「一緒に出ないの?」


「ローカルを落としてから行く」


「でも――」


「大丈夫。ここまで切ったら追う」


 迷った末、その人物も頷いた。


 非常口の向こうへ足音が遠ざかり、メインフロアにはユウリ、ミオ、レン、NOCTだけが残る。さっきまで音楽と会話で満ちていた空間は、驚くほど広く感じられた。


 床には飲みかけの紙コップが残り、テーブルの上には誰かの忘れたフライヤーがある。《WHO OWNS MYTH?》という文字だけが、止まったスクリーンの隅に小さく残っていた。


「これで全員?」


 ユウリが訊く。


「上はね」


 NOCTはスマホを確認して頷く。


「外に出た連中からも、今のところ再登録の報告はない」


 アヴィも同じ結果を出す。


《LOCAL NODE USERS:0》


《REGISTRATION REQUEST:PENDING》


「要求自体は止まってない」


 アヴィが言った。


「人がいなくなったから登録先がないだけだ」


「十分だ」


 NOCTはそう答えて、《OPEN VAULT》へ続く階段へ向かった。


「ローカル《GATE 0》を閉める」


 三人も後を追った。


     *


 《OPEN VAULT》へ戻ると、さっきまで点滅していた機材の大半はすでに沈黙していた。


 ローカル回線を遮断したまま、NOCTが一台ずつ電源を落としていく。中古のノートPC、新しい端末、自作サーバー。形も年代も違う機械が順番に暗くなり、室内を照らす光が減っていった。


 そのたびに、ユウリは妙な感覚を覚えた。


 これだけを見れば、ただ店じまいをしているようだった。


 イベントが終わり、機材の電源を切り、最後に戸締まりをする。


 けれど、少し前までここから世界中の神話構文ノードが見えていた。


「これで最後」


 NOCTが《GATE 0》の前に座る。


 普通のPC。


 普通のディスプレイ。


 画面にはまだ、


《LOG OLYMPOS》


《USER LOGIN:DISABLED》


《INPUT GOD NAME》


 と表示されている。


 NOCTはキーボードへ触れず、まず物理回線を抜いた。それから端末側の接続履歴を保存せず終了し、最後に電源操作へ指を置く。


「閉じるよ」


「うん」


 レンが答えた。


 ユウリも頷く。


 ミオは画面を見ていたが、もう近づこうとはしなかった。


 クリック。


 表示が消える。


 一瞬だけ真っ黒な画面に四人の姿が反射し、そのままディスプレイが完全に暗転した。


「……終わった?」


 レンが訊く。


 NOCTが背もたれへ身体を預ける。


「少なくとも、ここは」


 その言葉の直後だった。


 暗くなったはずの隣の監視モニターが点いた。


「何?」


 NOCTがすぐに身体を起こす。


 《GATE 0》ではない。


 ネットワーク監視に使っていた別端末だった。ローカル通信は切れており、外部回線も接続されていないはずなのに、黒い画面の中央へ細い白線が引かれていく。


 横。


 縦。


 輪郭。


 ユウリは数秒かかって、それが何を描いているのか理解した。


「地図……?」


 世界地図だった。


 国境線は簡略化され、地名も表示されていない。その上に、小さな光点が一つ灯った。


 東京付近。


 すぐに、もう一つ。


 さらに一つ。


 関東だけではない。


 北海道。


 東北。


 中部。


 近畿。


 九州。


 日本列島の各地へ、間を置かず光が灯っていく。


「待って」


 レンが画面へ近づいた。


 海を越える。


 朝鮮半島。


 中国大陸。


 東南アジア。


 次は欧州。北米。南米。中東。島嶼部。海の上としか見えない場所にも点が増え、世界地図は数秒のうちに無数の光で覆われ始めた。


「……こんなに?」


 レンの声から、さっきまでの勢いが消えていた。


 それぞれの光点には、小さな情報が付いている。


 文字体系が違う。


 使われている神名も違う。


 宗教記録を参照しているものがある。


 都市伝説の掲示板から伸びているものがある。


 創作画像共有サービス。


 動画配信。


 ゲーム内ログ。


 学術データベースらしい形式。


 AVISに似たUI。


 名前も構造も分からないアプリ。


 同じシステムが世界中へコピーされているのではない。


 入り口そのものが、違っていた。


「これ、全部《MISLEAD》系じゃないよな」


 レンが言う。


「違う」


 NOCTも画面を見たまま答える。


「うちで確認したことがない形式もある」


「じゃあAVIS?」


「それも違う」


 アヴィがユウリのスマホ上で解析表示を広げる。


「似てるものはある。でも、同じ規格じゃない。接続方法も違う。神名の扱いも違う。そもそもAVISじゃないものが多すぎる」


 ユウリは地図を見る。


 神狭市で起きてきた異常。


 無番線ホーム。


 名前を奪う構文。


 神格適性を数字へ変えたランキング。


 空席。


 神話を巡る契約者たち。


 そこにいたから、ずっと、この街が特別なのだと思っていた。


 何かが始まった場所。


 何かが集まってくる場所。


 世界の異常が、この街から外へ広がっていくように感じていた。


 けれど。


「神狭市が中心じゃない」


 アヴィが言った。


 誰も答えなかった。


 地図の光は増え続けている。


 神狭市の点は、その中の一つにすぎない。少し明るく見えるわけでも、すべての線がそこへ集まっているわけでもない。


 レンが画面を見つめたまま、両手を下ろした。


「じゃあ俺たちが……」


 言葉が途切れる。


 ユウリは続きを待った。


「俺が《ミラー・スコア》を流したから、とか。《MISLEAD》がβを開けたから、とか。そういう一個から全部始まったわけじゃないんだな」


「少なくとも、この地図はそう見えない」


 アヴィは慎重に答える。


「最初がどこかまでは分からない。でも、今見えてる接続に一個の起点はない」


 レンは長く息を吐いた。


 安心した、と言うには表情が重い。


 けれど、《OPEN VAULT》で自分より前の日付のコードを見つけた時と同じように、肩に入っていた力が一つだけ抜けたのがユウリには分かった。


「……そっか」


 レンは小さく言った。


「俺一人が開けたわけじゃなかったんだ」


 ユウリは何も返さなかった。


 その言葉を「だからレンは悪くない」に変える必要はない。


 レン自身も、そうは言っていない。


 彼が流した情報は実際に広がった。


 その先で傷ついた人もいる。


 それは消えない。


 ただ、それと「世界中の扉を自分が開いた」は同じではなかった。


 しばらく画面を見ていたレンが、今度は眉を寄せる。


「でも」


「うん」


「これ、一個止めても終わらないってことだよな」


 地図では、新しい光点がまた一つ増えた。


 遠い海岸線。


 どこの国か、ユウリにはすぐ分からない。


 その点から別の点へ細い線が伸びる。


 さらに、その先へ。


 誰か一人を止めれば閉じる形ではない。


 一つのサーバーを壊せば消える形でもない。


 一つの街を守れば終わる形でもない。


 アヴィは地図を見たまま、静かに言った。


「中心なんて」


 少し間を置く。


「最初からなかったんだ」


 レンは何も言わなかった。


 ミオも、NOCTも。


 ユウリもただ、世界地図を見ていた。


 やがてNOCTが監視モニターの電源へ手を伸ばす。


「ここで見続けても、今はできることがない」


 スイッチを押す。


 世界地図が消えた。


 今度こそ、《OPEN VAULT》は暗くなる。


 非常灯だけが足元を照らし、さっきまで無数の光点があった場所には、黒い画面しか残っていない。


 NOCTが最後に《GATE 0》の電源を確認した。


「ローカル閉鎖、完了」


 アヴィも接続状態を表示する。


《LOCAL GATE 0:OFFLINE》


 その下で、一度だけ別の表示が点滅した。


《EXTERNAL NODES:ACTIVE》


 ユウリは画面を見た。


 《MISLEAD》の地下では、もう何も動いていない。


 それでも、世界のどこかでは接続が続いている。


 四人は暗くなった《GATE 0》を残し、階段へ向かった。

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