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現代神話構文黙示録 〜スマホアプリ《AVIS》と未定義の神々〜  作者: 秋月キアラ
第10話 ― 神話は、誰のものでもない
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第四節 ― Club MISLEAD

 大通りを二本外れると、さっきまで頭上を覆っていた巨大ビジョンが見えなくなった。


 代わりに雑居ビルの看板が増え、ライブハウスやバー、小さなギャラリーの案内が壁や階段脇に重なっている。レンは何度かスマホと実際の建物を見比べ、細い路地の途中で足を止めた。


「……ここ」


 ユウリも立ち止まる。


 派手な入口を想像していた。


 けれど、そこにあったのは古い雑居ビルだった。入口脇の壁に、他の店舗の名前と並んで小さな黒い看板が出ている。


 白い文字で、一語。


**MISLEAD**


「小さいですね」


 ミオが言った。


「俺も、もっと露骨なの想像してた」


 レンは少し拍子抜けした顔で、地下を示す矢印を見る。


「なんかこう、目玉とか、逆さ十字とか」


「偏見がひどい」


「匿名神話コミュニティから契約相まで把握されてたんだぞ。もうちょっと怪しくても許されるだろ」


「怪しい方を期待してたの?」


「そう言われると困る」


 地下へ続く階段の下から、低い音が響いてくる。


 音楽というより、最初は振動だった。


 一段下りるごとに輪郭がはっきりする。重い低音。電子音。誰かの声を細かく切って繋いだようなサンプル。その奥で、別のリズムが重なっている。


 壁にはイベントフライヤーが何枚も貼られていた。


 ライブ。


 映像上映。


 都市伝説トーク。


 AIアートセッション。


 創作神話合同イベント。


 過去のものらしい紙の端は擦れ、新しいものはQRコードだけが大きく印刷されている。


 今日の日付。


 中央に書かれたタイトル。


《WHO OWNS MYTH?》


「神話は誰のものか、か」


 ユウリが読む。


「今日これなんだよな」


 レンが言う。


「招待の日にち、合わせてある」


「偶然ではなさそうですね」


「だろうな」


 階段を下りきる。


 重い防音扉の前には受付があった。


 スタッフらしい若い女性がスマホ画面を確認し、レンの招待表示を一度見る。それだけで通された。ユウリとミオについても、名前を聞かれなかった。


 扉が開く。


 音が、身体へぶつかった。


「……っ」


 ミオが反射的に肩をすくめる。


 ユウリも思わず一歩止まった。


 低音が床から靴底を通って上がってくる。暗いフロアの中を、青、赤、白の光が短く走り、天井近くのスクリーンでは映像が絶えず切り替わっていた。


 宗教画の天使。


 次の瞬間、それがゲームの戦闘画面へ溶ける。


 古代彫刻の顔へ、ネットで見覚えのある短い文章が重なる。


 ギリシャ彫刻の持つ槍が光の線になり、その線が現代風のキャラクターイラストへ接続される。


 聖人画。


 悪魔。


 神社の祭礼写真。


 北欧神話を題材にしたゲーム。


 匿名掲示板らしい短文。


 動画のコメント。


 ネットミーム。


 生成AIで作られた、どの宗教にもそのまま属さない多翼の神像。


 それらが一枚ずつ紹介されるのではなく、切られ、重ねられ、反転され、また別の意味へ使われていく。


 巨大スクリーンの中央。


《WHO OWNS MYTH?》


 文字そのものまで崩れ、別のフォントへ変わり、いくつもの言語へ入れ替わった。


「うわ……」


 レンの声も、音楽に半分飲まれる。


 ユウリはフロアを見回した。


 もっと危険なものを想像していた。


 黒いローブでも着た人間が集まり、神名を唱えているとか。


 AVISを並べて違法な契約実験をしているとか。


 少なくとも入口で待っている間は、そんな光景の方が少しだけ頭にあった。


 実際は違った。


 DJブースの前では、普通に音楽へ身体を揺らしている客がいる。


 壁際のソファでは数人が飲み物を片手に、映像を指差して笑っている。


 奥の小さなスペースでは、都市伝説の話をしているらしい二人組がスマホの画像を見せ合っていた。


 服装もばらばらだ。


 学生らしい人。


 仕事帰りらしい人。


 派手な格好の人。


 ごく普通のシャツ一枚の人。


 神話研究者にも、秘密結社にも見えない。


 ただ、好きなものを見に来た若者たちだった。


「思ってたのと違う」


 ユウリが言う。


 レンが音に負けないよう少し顔を近づける。


「何が?」


「もっと怪しい場所かと」


「お前も思ってたじゃん」


「レンほどじゃないよ」


「さっき逆さ十字とか言ってましたね」


 ミオの指摘に、レンが顔をしかめる。


「そこ覚えてる?」


「大事だと思います」


「星宮、それ便利に使い始めてない?」


 ミオが少し笑った。


 その顔を見て、ユウリも肩の力が抜けた。


 音量にはまだ慣れないが、怖い場所ではない。


 むしろ、スクリーンを見るほど目が離せなくなる。


 一枚の古い宗教画の人物へ、ゲームのUIが重なる。


 コメント欄が流れる。


《この構図、○○神と似てない?》


《元ネタ同じ説》


《いや時代も地域も違う》


《でも比較するのは面白い》


《創作なら同一神設定でもよくない?》


《信仰してる人からしたら最悪では》


 コメントが消える。


 今度は別の画面。


 古代の女神像をもとにした生成AI映像へ、現代のダンスミュージックが合わせられている。


 それを見ていた客の一人が歓声を上げた。


 ユウリは思わず、少し前へ出る。


「……ちょっと面白い」


「だろ?」


 隣でレンが笑った。


 その顔は、学校で《MISLEAD》の通知を見せた時とはまるで違った。


 警戒はしている。


 けれど、それ以上に、目の前の映像を楽しんでいる。


 ユウリには、その理由が少し分かった。


 ここでは、神話について語ること自体を止められない。


 正しい解釈を知っている人間だけが参加できるわけでもない。


 ゲームから入ってもいい。


 歌から入ってもいい。


 間違っていても、誰かに指摘されればまた話が続く。


 資料として閉じられた神話ではなく、今も誰かが触っているものとして置かれている。


「これ、ずっと見てられますね」


 ミオがスクリーンを見上げた。


「意外」


 レンが振り返る。


「人が多いところ苦手かと思ってた」


「少し苦手です」


「じゃあ無理するなよ」


「でも」


 ミオは映像へ視線を戻す。


「私のことじゃないので」


 その一言に、レンの表情が少しだけ止まった。


 けれど、何も言わない。


 巨大な神像がスクリーンいっぱいに映る。


 無数の翼。


 角。


 月。


 太陽。


 蛇。


 王冠。


 異なる神話の記号を組み合わせた、最初からどこにも存在しない姿だった。


 数秒後。


《WHO OWNS MYTH?》


 その文字が神像の顔を覆った。


 ユウリは腕の中で震えたスマホを見る。


 AVISが自動反応したわけではない。


 単なるレンからのメッセージだった。


《奥》


 顔を上げる。


 レンは少し離れた場所を見ていた。


 人の流れの向こう。


 壁際。


 黒い服を着た人物が立っている。


 フードで顔を隠しているわけではない。ただ、照明の暗さと黒い服のせいで、輪郭が周囲へ溶けて見えた。


 こちらを見ている。


 やがて人の間を縫って歩いてきた。


「Rai_404」


 音楽の中でも、声は聞き取れた。


 レンの表情が変わる。


「その名前で呼ぶな」


 即答だった。


 黒い服の人物は、一拍だけ黙る。


「了解。久遠レン」


 今度は本名で呼んだ。


 レンが眉を寄せる。


「そっちは本名言わないのに?」


「それも自由」


「便利な自由だな」


「便利だから使ってる」


 言い返すでもなく、悪びれるでもない。


 レンは何か言いかけたが、結局やめた。


 ユウリは二人を見比べる。


「……NOCT?」


 黒い服の人物が、今度はこちらを見る。


「そう呼ばれてる」


「本名は?」


「聞かないのが、この場所の礼儀」


「でも、レンのは知ってる」


「知っていることと、呼んでいいことは別だろ」


 ユウリは一瞬、返事を失った。


 隣でミオが小さく瞬きをする。


 NOCTはそれ以上説明せず、三人を順番に見た。


「天瀬ユウリ」


 次に。


「星宮ミオ」


 ミオの肩が、ほんの少しだけ強張る。


 レンが一歩前へ出た。


「待て」


「公開しない」


 NOCTが先に言う。


「少なくとも、ここでは」


「少なくとも?」


「それを含めて話す場所へ案内する」


 レンの目つきはまだ緩まない。


 NOCTは気にした様子もなく、フロアの奥を示した。


 一般客が行き交う場所から少し外れた壁際。


 黒い扉。


 上には小さな表示。


《B2》


《BACK CHANNEL》


「招待したのは、メインフロアを見るためじゃない」


 NOCTが言う。


「来る?」


 レンはすぐには答えなかった。


 ユウリを見る。


 次にミオを見る。


 ミオが小さく頷いた。


 ユウリも頷く。


「行く」


 レンが答えた。


 NOCTは扉へ向かう。


 三人もその後を追った。


 背後では、音楽がまた切り替わる。


 スクリーンいっぱいに古い神像が映り、その上を無数の匿名コメントが流れていく。


《WHO OWNS MYTH?》


 問いだけが、最後まで画面の中央に残っていた。

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