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現代神話構文黙示録 〜スマホアプリ《AVIS》と未定義の神々〜  作者: 秋月キアラ
第10話 ― 神話は、誰のものでもない
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第一節 ― レイジくん

 神楽坂レイジは、思っていたよりずっと捕まらなかった。


 ユウリたちが声を掛けようと神楽殿の方へ回ったときには、さっきまでそこにいたはずのレイジは、石段の下で老人から紙袋を二つ受け取っていた。


「悪いねえ、レイジくん。これ、社務所までお願いできる?」


「もちろんです。重い方はどちらですか」


「いやいや、そんな重くないよ」


 そう言われても、レイジは二つとも持った。片方には飲み物のペットボトルでも入っているのか、底が大きく沈んでいる。


「ご本人が重いかどうか決める前に持っていくんですね」


 ミオが小声で言った。


「たぶん、あれ断っても自分で持っていくやつだろ」


 レンが答える。


 老人と二、三言交わしたレイジは、そのまま社務所へ向かった。途中で子ども神輿の横を通りかかったところで、今度は法被姿の男性に呼び止められる。


「レイジくん、ちょっと縄見てくれないか」


「どこです?」


「こっち。締め直したんだけど、どうも片側だけ浮くんだよ」


 紙袋を届け終えたばかりのレイジが、その場にしゃがみ込む。


 子ども神輿の担ぎ棒には、白い縄が何重にも巻かれていた。その一本を指で押し、結び目を確かめる。神聖な祭具を扱うというより、長年使ってきた道具の癖を知っている人間の手つきだった。


「ここ、一周足りないです。たぶん去年と巻き方を変えましたよね」


「ああ? そうだったか?」


「去年の写真、残ってるはずです。無理に締めるより、合わせた方がいいですよ」


「じゃあレイジくん、やってくれる?」


「僕が全部やったら、来年また同じことになります」


「固いなあ」


「覚えてください」


 言いながらも、レイジは縄を解き始めた。


 ユウリは少し離れたところで、その横顔を見ていた。


 ソウリン大御神の契約者。


 神々の再臨を望み、神話をもう一度、人間の世界へ戻そうとしている者。


 そういう肩書きを知ってから見ると、白い装束も、神域に立つ姿も、何か大きな意味を持っているように見えていた。


 けれど今やっていることは、神輿の縄の結び直しだった。


「あ」


 レンが声を漏らす。


 境内の端で、屋台の照明が一斉に消えた。


「消えたぞー!」


「ブレーカー落ちた?」


「まだそんな使ってないだろ!」


 声が飛び交った直後、誰かがこちらを向いた。


「レイジくん! 電源分かる?」


 レイジの手が止まる。


「今、縄を――」


「こっちは俺がやる。行ってこい」


 法被の男性が手を振った。


「さっき覚えてくださいって言ってなかったか」


 トウマがぼそりと言った。


「地域の信頼で全部押し切られてるな」


 レンが妙に感心している。


 レイジは立ち上がると、今度は屋台の並ぶ方へ向かった。


 数分もしないうちに、消えていた裸電球がぱっと点く。


「おお、ついた!」


「助かった、レイジくん!」


「配線を一か所にまとめすぎです。夜になって機材が増えたらまた落ちますよ」


「じゃあどうすりゃいい?」


「予備系統を使ってください。分電盤の右側です。あと、この延長コードは――」


 そこまで言ったところで、別方向から女性の声が飛んだ。


「すみません! この子のお母さん、見ませんでしたか?」


 今度は何だ、とユウリが振り返る。


 泣きそうな顔をした男の子が、若い神職に手を引かれていた。五、六歳くらいだろう。片手には、まだ袋から出していない狐の面を握っている。


 レイジもすぐにそちらを見た。


「どこで離れた?」


 しゃがみ、男の子と目線を合わせる。


 質問されても、男の子は鼻をすすっただけだった。


「神社のお兄ちゃん……」


「うん」


「お母さん、いなくなった」


「分かった。一緒に探そう」


 レイジの声が少し変わった。


 さっきまで電気系統の話をしていたときよりゆっくりで、低い。男の子が握っている狐面へ一度視線を落とし、それから周囲を見た。


「最後にお母さんといたの、どこか覚えてる?」


「……わたあめ」


「綿あめの屋台?」


 こくりと頷く。


「見習いの二人は参道の入口を見て。境内放送はまだいい。お母さんの方も探してるだろうから、先に綿あめの周辺と手水舎を確認しよう」


「はい」


 若い神職たちがすぐに散った。


 指示は短かった。命令するというより、今やることを順番に切り分けて渡している。


「俺らも探す?」


 レンが訊く。


 レイジは少し考え、首を振った。


「人を増やしすぎると、今度は君たちを探すことになる」


「信用がない」


「お前の日頃の行いだろ」


 トウマが即答する。


「なんで俺だけ?」


「四人まとめて言ったつもりだ」


「俺だけ見てただろ!」


 レンが抗議している間に、境内の向こうから女性の声がした。


 男の子が顔を上げる。


「お母さん!」


 手を離して走り出した。


 レイジは追わない。ただ、母親のところまで辿り着くのを見届けてから立ち上がった。


 母親が何度も頭を下げる。


「本当にありがとうございます」


「見つかってよかったです。まだ準備中で車の出入りもあるので、気をつけてください」


「はい。ほら、あなたもお礼」


「……ありがと、神社のお兄ちゃん」


「どういたしまして」


 レイジが少し笑う。


 そのときだった。


「いたっ!」


 近くで短い声が上がった。


 走っていた女の子が、石畳の段差につまずいて転んでいた。手のひらと膝をつき、一拍遅れて顔を歪める。


 レイジが動いた。


「大丈夫か?」


 泣き声が上がる前にそばへ行き、膝をつく。


「手、見せて」


「いたい……」


「うん。痛いな」


 擦りむいた手のひらを確認する。血は薄く滲んでいる程度だった。


「水で洗おう。歩ける?」


 女の子は涙を溜めたまま頷いた。


「えらい。じゃあ、ゆっくりでいい」


 ちょうど追いついてきた母親に引き渡し、救護の場所を伝える。そこへ今度は、神楽殿の方から声。


「レイジくん、舞台の確認お願い!」


 社務所の方からも。


「レイジ、奉納札の箱どこだ!」


 さらに別の若い神職が走ってくる。


「神楽坂さん、灯籠の並びなんですけど――」


「一つずつ!」


 さすがにレイジが声を上げた。


 境内の何人かが笑う。


 本人だけが笑っていない。


「舞台は五分後に行きます。奉納札の箱は社務所奥、昨日置いた場所から動かしてません。灯籠は番号順に並べて、欠けてるところだけ教えてください」


「分かりました!」


「レイジくん、こっちも!」


「今行きます!」


 また走る。


 ユウリは、とうとう吹き出した。


「……すごいな」


「何がだ」


 たまたま聞こえたらしい。通り過ぎようとしたレイジが足を止める。


「いや」


 ユウリは境内を見回した。


 高齢者。


 神職。


 屋台の人。


 子ども。


 誰も彼を特別な思想の代表として呼んでいない。


 ただ、困ると名前を呼ぶ。


「思ってたより、普通に忙しい人なんだなって」


「どういう意味だ、それは」


「もっとこう……奥で難しい顔して祭祀のことだけ考えてるのかと」


 レイジの眉がわずかに寄った。


「祭りは勝手にできない。人間が準備するんだ」


「神様がやってくれないんだ」


 レンが横から入る。


「電源まで神頼みにするな」


「再臨派なのに現実的」


「久遠、お前は少し黙れ」


 レイジが言った、そのとき。


「レイジ兄ちゃん!」


 先ほど迷子になっていた男の子が、母親のそばから戻ってきた。


「どうした?」


「聞いていい?」


「今度は迷子になるなよ」


「ならないよ」


 男の子は少しむっとしてから、拝殿を見上げた。


「神様って、本当にいるの?」


 レイジの動きが止まった。


 ほんの一瞬だけだった。


 ユウリも彼を見る。


 神楽坂レイジなら、答えは決まっていると思っていた。


 神はいる。


 神々は失われていない。


 もう一度、人の世界へ帰ってくるべきだ。


 そのためにここまで歩いてきた人間だ。


 なのにレイジは、すぐには答えなかった。


 子どもは待っている。


 レイジは拝殿を見た。それから提灯を見て、神輿を見て、まだ開いていない屋台を見た。


 最後に男の子へ視線を戻す。


「……いると思って祭りをやる方が、楽しいだろ」


 男の子が首を傾げた。


「それ、いるってこと?」


「細かいな」


 ユウリは堪えきれずに笑った。


 レイジがすぐにこちらを見る。


「笑うな、天瀬」


「だって、いつものレイジなら絶対『いる』って言うと思ってたから」


「子どもにまで持論を説くほど無粋じゃない」


「持論なんだ」


「天瀬」


「ごめん」


 謝りながらも、笑いは少し残った。


 男の子はまだ納得していないらしく、拝殿とレイジを交互に見る。


「じゃあ、神様いたら、お祭り見てる?」


 今度のレイジは、少しだけ早く答えた。


「見てるんじゃないか」


「屋台も?」


「たぶんな」


「射的も?」


「それは知らん」


「神様、射的下手かな」


「だから知らん」


 男の子は満足したのか、「じゃあ後で勝負する」と一方的に宣言して母親の方へ戻っていった。


 レンがその背中を見送る。


「何と勝負する気なんだ、あいつ」


「神様じゃない?」


 ミオが言う。


「強いな、小学生」


 トウマが呆れたように息を吐いた。


 レイジは何か言い返そうとして、やめた。


 境内を見渡す。


 提灯。


 神輿。


 屋台。


 神楽殿。


 準備に走り回る人たち。


 そこへ、また声が飛んだ。


「レイジくーん!」


 レイジが目を閉じた。


 一度だけ、深く息を吐く。


「……今行きます!」


 結局、そう答えて走っていった。


 ユウリはその背中を見送りながら、まだ少し笑っていた。

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