第三節 ― ミラー・スコア
最初に変わったのは、音だった。
ゲームセンター《コンティニュー》に満ちていた雑多な電子音が、一つの拍に揃い始める。
音ゲーのリズム。
クレーンゲームの待機音。
対戦筐体の効果音。
プリクラ機の案内音声。
ガチャガチャのカプセルが落ちる音。
それぞれ別々だったはずの音が、いつの間にか同じ間隔で鳴っている。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
まるで、心電図のように。
まるで、何か巨大なものが、店内すべての機械を使って呼吸を始めたように。
「……やばい」
レンが呟いた。
その声は、騒がしい店内でも不思議とはっきり聞こえた。
《Hall of Names》の表示が、さらに切り替わる。
通常のランキング画面は完全に消えた。黒い背景に、白い枠線。中央に鏡のような銀色の円が浮かび、その周囲を数字と文字列が回っている。
《Mirror Score β》
《第一同期完了》
《神格適性スコア測定中》
《プレイヤー名と現在名の照合を開始》
《観測者数:増加》
その文字が出た瞬間、店内の筐体が一斉に反応した。
音ゲーの画面では、流れてくる譜面のノーツが一つずつ文字に変わっていく。
アマテラス。
スサノオ。
ツクヨミ。
アポロン。
ラー。
ロキ。
ルシファー。
ソウリン大御神。
アウロ=ルクス。
神名らしき言葉が、音に合わせて流れてくる。
プレイヤーの女子生徒が、笑いながら叩いた。
「何これ、隠し譜面?」
だが、彼女が神名のノーツを叩いた瞬間、筐体のスピーカーから祝詞とも呪文ともつかない音が漏れた。
彼女のスマホが震える。
《月影適性:C》
《照応候補:夜/反射/夢見》
《契約可能性:低》
「え、何か出た!」
彼女は面白がって友人に画面を見せる。
その足元の影が、一瞬だけ月の形に歪んだことには気づいていない。
対戦ゲームの画面では、キャラクターたちの背後に光輪や獣影が重なり始めていた。炎をまとった格闘キャラの頭上に《太陽照応》と表示され、雷を使うキャラクターには《雷神型》の文字がつく。
プリクラ機の中では、撮影後の落書き画面に勝手に称号が書き込まれていた。
《小さき巫女》
《風読み》
《再臨候補》
《依代候補》
《契約可能》
「やだ、何これ可愛い!」
「勝手に肩書きついてる!」
「私、依代候補だって。何それ強そう」
笑い声が響く。
誰も分かっていない。
依代という言葉の重さを。
再臨候補という言葉の危うさを。
契約可能という表示が、どれほど危険な扉なのかを。
ユウリは叫びたくなった。
触るな。
笑うな。
名前を入れるな。
けれど、どこから止めればいいのか分からない。
相手は一体の怪異ではない。
一台の端末でもない。
店内のすべての筐体、すべてのスマホ、すべてのランキング、すべてのプレイヤーネームが、ひとつの大きな網になって動き始めている。
アヴィが画面に表示する。
《Mirror Score β:本格稼働》
《ゲーム筐体群、AVIS一般版、神話板ログが同期》
《遊戯記録と現在名の境界が不安定化》
《注意:スコアは遊戯記録ではありません》
「分かってる!」
ユウリは思わず言った。
分かっている。
けれど、分かったところで止め方が分からない。
倉持が、青ざめた顔で自分のスマホを見ていた。
「おい、天瀬」
「どうした?」
「俺のやつ、勝手に更新されてる」
画面には、倉持のプレイヤーネームが表示されていた。
《HARUTO_Gt》
《本名照合中》
《倉持ハルト》
《過去事象:出席簿異常》
《名前喪失耐性:中》
《契約可能性:未定》
ユウリは息を呑む。
「過去事象まで拾ってるのか」
「何だよ、名前喪失耐性って。ゲームのステータスみたいに言うなよ」
倉持は笑おうとしたが、声が震えていた。
「俺、もうそういうのマジで無理なんだけど」
「スマホを閉じて。画面を見るな」
「閉じても通知が出るんだよ!」
倉持のスマホ画面に、新しい選択肢が浮かぶ。
《過去の欠落を補正しますか?》
《契約相体験版を使用しますか?》
《許可する》
倉持の親指が、画面へ引き寄せられるように動いた。
ユウリはその手首を掴んだ。
「押すな!」
倉持がはっとする。
「……悪い。今、勝手に」
「分かってる」
ユウリは倉持のスマホを取り上げるようにして伏せた。
その瞬間、別の場所から悲鳴が上がった。
音ゲーをしていた女子生徒が、筐体の前で膝をついている。友人が慌てて肩を支えていた。彼女の周囲には、青白い文字が浮かんでいる。
《月影適性:Bへ上昇》
《観測者数増加》
《照応補助を開始》
彼女の髪の先が、月光を浴びたように淡く光っていた。
対戦ゲームの前では、男子生徒二人が画面に向かって笑っていたはずなのに、その笑い声が少しずつ荒くなっている。
「おい、俺のキャラ、勝手に強化入った!」
「俺も! 何か神格ブーストって出た!」
画面の中のキャラクターだけではない。
彼らの腕にも、赤い線や青い線が浮かび始めていた。
痛みを感じているのか、ひとりが顔をしかめる。
しかし、次の瞬間には笑う。
「すげえ、ダメージ表示出てる!」
彼の頬に、薄い数字が浮かんだ。
《12》
殴られたわけではない。
ゲームの中のダメージが、現実の身体へ薄く写っている。
「アヴィ!」
ユウリが叫ぶ。
《現実輪郭の遊戯化を確認》
《プレイヤー状態がゲーム内ステータスに同期》
《危険度:上昇》
「止め方!」
《現在解析中》
《Mirror Score βは複数端末を媒介とする集合観測型構文》
《単一端末の停止では無効化困難》
「つまり?」
《店内の観測者を減らす必要があります》
《または中核ランキングを遮断してください》
観測者を減らす。
簡単に言う。
だが、店内の生徒たちはもう画面を見ている。面白がり、不安がり、それでも目を離せずにいる。ランキングは、人の視線を引き寄せる。
見られることで強くなる。
競われることで輪郭を得る。
名前を入力されることで、現実に触れる。
ミラー・スコア。
名前の鏡。
ユウリは《Hall of Names》を睨んだ。
ランキングボードに、新しい項目が増えていく。
《神格適性ランキング》
1位 《NO NAME》 測定不能
2位 《Rai_404》 構文解放率:高
3位 《HARUTO_Gt》 名前喪失耐性:中
4位 《LUNA_22》 月影適性:B
5位 《SUN_BOY》 太陽照応:C
6位 《Mika☆》 依代候補:低
「何で俺が二位なんだよ」
レンが呟いた。
声が乾いていた。
ランキングの二位に表示された《Rai_404》。
それはレンが神話板で使ったハンドルネームだ。
彼自身が入力したものではない。
だが、神話板のログから拾われている。
その横に、見慣れない項目が増える。
《開示貢献者》
《扉を開く者》
《解放候補》
レンの手首に、また青白い火花が走った。
今度は隠しきれないほど強い。
「レン、離れて」
ミオが言った。
レンは首を振る。
「離れたら止めらんねえだろ」
「でも、その表示、あなたを呼んでいます」
ミオの声は震えていた。
「たぶん、私が“依代”って呼ばれるのと同じです。レンくんを、“解放する人”にしようとしている」
レンは一瞬、何も言えなくなった。
自分が呼ばれている。
それは、ミオの言う通りだった。
画面の中の文字が、ただの表示ではなく、どこかから伸びる手のように感じられる。
扉を開く者。
解放候補。
構文解放率:上昇。
その言葉は、レンの怒りに似合いすぎていた。
隠すな。
閉じるな。
全部見えるようにしろ。
自分が思っていたことを、都合よく名前にされている。
レンは奥歯を噛んだ。
「勝手に決めんな」
低く言った。
しかし、その声はランキングボードの光に飲まれた。
その時、ミオのスマホが白く輝いた。
ユウリは反射的に振り向く。
画面には、すでに表示が始まっていた。
《星宮ミオ》
《女神照応過多》
《内部照応欠落あり》
《神話公開価値:測定不能》
《ランキング登録――》
「駄目だ!」
ユウリはミオのスマホを掴んだ。
だが、表示はスマホだけではなかった。
《Hall of Names》の下部に、ミオの名前が浮かび始めている。
《星宮ミ――》
《照応候補:月/夜/母性/境界/死/記録外祈祷/理》
《公開観測準備中》
ユウリの喉が詰まる。
これまでの危機とは違う。
第1話では、ミオの名前が切符に印字され、持っていかれかけた。
第2話では、空白の名前に上書きされかけた。
第3話では、偽日輪に依代として見られた。
第4話では、管理対象として分類されかけた。
第5話では、神話ごと切られかけた。
そして今、ミオは公開されようとしている。
店内の生徒たち。
神話板の匿名ユーザーたち。
AVIS一般版の観測ログ。
ネットの向こうにいる誰か。
無数の視線が、星宮ミオという現在名に向かおうとしている。
それは名前を奪うのとは違う。
名前を広げすぎることだ。
その名前が、本人の手を離れて神話の記号になってしまうことだ。
アヴィが警告する。
《星宮ミオの公開登録は危険》
《観測者数増加により現在名が神話化します》
《神話対象化が進行すると、本人の現在名保持が困難になります》
「止めろ!」
ユウリはスマホに向かって叫んだ。
《現在、未署名処理を試行中》
《公開登録を完全遮断できません》
《原因:観測者数過多》
観測者。
見ている者が多すぎる。
ユウリは周囲を見た。
店内の生徒たちは、ミオの名前が出かけていることにまだ気づいていない。だが、ランキングが更新されれば必ず見る。誰かがスクリーンショットを撮る。神話板に貼る。名前が拡散される。
星宮ミオは、神狭の女神になる。
本人が望まないまま。
「レン!」
ユウリは叫んだ。
「ランキング、止められないのか!」
「やってる!」
レンは汗を浮かべながら、スマホと筐体の接続ログを追っていた。
「でも中核が分からない。店のサーバーじゃない。神話板でもない。AVIS一般版でもない。全部が互いに鏡みたいに反射してる。どこ切ればいいのか――」
その時、《Hall of Names》の最上段が強く光った。
ランキング一位。
《NO NAME》
《神格適性スコア:測定不能》
《契約相解放率:100%》
《全プレイヤーを接続します》
黒い背景に白い文字。
名前はない。
だが、その空白が、店内のすべての名前を見下ろしていた。
アヴィが表示する。
《暫定名:ミラー・ランカー》
《分類:集合観測型神話残滓》
《構成要素:入力名/匿名ログ/削除済み目撃情報/生成画像/AVIS診断データ》
《危険度:上昇中》
「神なのか?」
ユウリが聞く。
《否定》
《神格としては未成立》
《人間の検索・投稿・遊戯・ランキング化により発生した疑似神話残滓》
《俗称:スコアの神話》
スコアの神話。
ユウリは、その言葉にぞっとした。
誰かが信じたから生まれたのではない。
誰かが祈ったから来たのでもない。
誰かが救いを求めたから形になったわけでもない。
検索された。
投稿された。
ランキング化された。
面白がられた。
補完された。
再生成された。
それだけで、神話になりかけている。
レンは画面を見つめていた。
「俺たちが……作ったのか」
その声に、ユウリは答えられなかった。
レンだけではない。
神話板の匿名ユーザーたち。
AVIS一般版で遊んだ生徒たち。
動画を見た者。
画像を生成した者。
噂を広げた者。
そして、止めるためにここまで来たユウリたちの視線さえも。
全部が、これを形にしている。
ミラー・ランカーは、誰か一人の悪意ではない。
だからこそ、厄介だった。
店内の全画面に、同じ選択肢が表示される。
《続けますか?》
《コンティニューしますか?》
《契約しますか?》
《許可する》
《許可する》
《許可する》
ユウリの胸が締めつけられた。
まただ。
また、選択肢が一つしかない。
第1話、無番線ホームでミオが切符を受け取りかけた時。
第3話、偽日輪が人々に契約を迫った時。
そして今、ゲームセンターの画面が、軽い電子音とともに同じ罠を出している。
選ばせるふりをしている。
けれど、選べない。
「ふざけるな」
ユウリは言った。
だが、画面は答えない。
代わりに、生徒たちのスマホが一斉に震える。
「え、何これ」
「許可しかないじゃん」
「押していいの?」
「戻るボタン効かないんだけど」
「ちょっと怖くない?」
最初の笑い声が、不安に変わっていく。
倉持が震える手でスマホを押さえている。
「天瀬、俺、指が勝手に動く」
「見るな! 名前を呼べ、倉持ハルトって自分で言え!」
「倉持、ハルト……俺は、倉持ハルト」
倉持は必死に自分の名前を繰り返す。
それでも画面の《許可する》は消えない。
ミオの名前は、《Hall of Names》にさらに濃く浮かび始めていた。
《星宮ミオ》
《ランキング登録まで:準備完了》
《公開観測を開始します》
ユウリは歯を食いしばった。
未署名の観測翼を使うべきか。
だが、相手は一つの名前ではない。
一つの神名偽装でもない。
何百もの画面と、何百もの視線と、ネットの向こう側の観測者が絡んでいる。
自分だけで止められるのか。
その迷いを、レンが見た。
「ユウリ」
レンの声がした。
ユウリは振り向く。
レンは、震える右手を見つめていた。
雷の紋が、今度ははっきり浮かんでいる。
彼のスマホ画面には、ミラー・ランカーからの表示が出ていた。
《Rai_404》
《扉を開く者》
《構文解放候補》
《契約しますか?》
《許可する》
レンは、笑った。
いつもの軽い笑いではなかった。
怖くて、悔しくて、それでも前に出る時の顔だった。
「俺が、開けたんだよな」
「レン、待て」
「待ってる間に、ミオの名前が出る」
レンは一歩前に出た。
その足元で、床のタイルに青白い亀裂のような光が走る。
「俺が流した。俺がつないだ。俺が扉を開けた」
ユウリは手を伸ばす。
「ひとりで背負うな!」
「ひとりで背負うとかじゃねえよ」
レンは振り返った。
その目に、雷のような光が宿っていた。
「閉じたくないって言ったの、俺だろ」
ミラー・ランカーの画面が、彼に向かって明滅する。
《契約しますか?》
《許可する》
レンは画面を睨みつけた。
そして、低く言った。
「許可、じゃねえ」
空気が鳴った。
店内の電子音が、一瞬で雷鳴のように歪む。
レンのスマホ画面に、文字化けした選択肢が走った。
《未承認入力》
《選択肢外操作を検出》
レンは叫んだ。
「こじ開ける!」
その瞬間、ユウリのAVISが警告を超えた表示を出した。
《未契約神格照応:急上昇》
《対象:久遠レン》
《雷風系統》
《荒神性反応》
《契約神候補――》
表示が一瞬だけ乱れる。
次の文字は、青白い雷光の中で浮かび上がった。
《ヴァルガ=ライオス》
ゲームセンターの照明が、すべて白く弾けた。




