第四節 ― ヴァルガ=ライオス
光が、爆ぜた。
白ではない。
レイジの《日輪神将》が放った、祓いのための白金の光ではなかった。
マシロの白環管理区域に満ちていた、整いすぎた冷たい白でもなかった。
青白く、荒く、まっすぐで、耳の奥を殴るような光だった。
雷。
ユウリがそう認識するより早く、ゲームセンター《コンティニュー》の床を、青い筋が走った。
音ゲー筐体の足元。
対戦ゲームの配線。
クレーンゲームのガラスケース。
プリクラ機のカーテンの裾。
《Hall of Names》へ伸びる壁の中のケーブル。
それらすべてを、雷光が一瞬でなぞっていく。
「レン!」
ユウリは叫んだ。
だが、その声は雷鳴に弾かれた。
レンは、ランキングボードの光の前に立っていた。
制服の裾が、見えない風に煽られている。髪が逆立ち、右手首から肘にかけて、稲妻に似た神紋が走っていた。スマホの画面は真っ白に発光し、その中央に、知らない文字列が浮かび上がっている。
《契約神照応》
《ヴァルガ=ライオス》
《荒雷英雄神》
《契約相:雷吼の荒冠》
《第一展開》
レンの背後に、巨大な影が立ち上がった。
獣のようで、英雄のようだった。
四肢を持つ獣影が雷雲の中から身を起こし、その頭部には荒々しい冠のような角が見える。背中には風を裂く翼にも、破れたマントにも見えるものが広がっていた。顔ははっきり見えない。ただ、眼だけがあった。
青白い、獣の眼。
それは神々しいというより、危険だった。
祈りたくなる光ではない。
跪きたくなる威厳でもない。
ただ、そこにあるものを全部ぶち破って進む、嵐そのものの気配だった。
ユウリは息を呑む。
レイジの契約相を見た時は、圧倒された。
神の理とはこういうものなのかと思った。
マシロの白環を見た時は、冷たさに背筋が凍った。
トウマの《裂頁の黒鋏》を見た時は、音が消える恐怖を知った。
だが、レンのこれは違う。
うるさい。
荒い。
速い。
痛そうで、強い。
そして、ひどくレンらしかった。
「……何だよ、これ」
レン自身が、半分だけ笑う。
その笑みは震えていた。怖がっている。けれど、引いてはいない。
《Hall of Names》が応えるように明滅した。
《久遠レン》
《Rai_404》
《開示貢献者》
《解放者》
《拡散者》
《責任者》
《契約しますか?》
レンのスマホ画面に、三つの選択肢が浮かぶ。
《許可する》
《拒否する》
《保留する》
レンはそれを見て、鼻で笑った。
「許可、じゃねえ」
画面が乱れる。
《未承認入力》
《選択肢外操作を検出》
レンは、右手を握った。
雷紋が一気に濃くなる。
「こじ開ける!」
次の瞬間、レンの足元から風が巻き上がった。
床に散らばっていたレシートが舞う。ガチャガチャの空カプセルが転がり、クレーンゲームのぬいぐるみがガラスの内側で揺れた。照明の光が青く滲み、店内のすべてのモニターが一拍遅れて震える。
ミラー・ランカーが動いた。
音ゲー筐体から、ノーツが飛び出す。
白い丸い光だったはずのそれは、空中で鋭い線へ変わった。譜面の軌道そのままに、雷の槍のようにレンへ飛ぶ。
「レンくん!」
ミオが叫ぶ。
レンは避けなかった。
右足を踏み込む。
《雷牙起動》
レンの右腕に雷がまとわりつく。
拳が、飛んできたノーツを正面から砕いた。
轟音。
火花が店内に散り、何人かの生徒が悲鳴を上げて床に伏せる。
しかし、壊れたのはノーツだけだった。筐体そのものは割れていない。レンの拳が触れた瞬間、攻撃として現実化していた神話構文だけが砕かれている。
「すげえ……」
倉持が呟いた。
その声には恐怖と興奮が混ざっている。
だが、驚く暇はなかった。
今度は、対戦ゲームの画面が歪む。
画面内で戦っていたキャラクターたちが、影になってモニターから抜け出した。炎をまとった格闘家。雷を背負う剣士。翼のある仮面の騎士。どれもゲームのキャラクターだったはずなのに、背中に神格照応のラベルが浮かんでいる。
《太陽照応》
《雷神型》
《戦神候補》
《契約相体験版》
それらが、レンへ向かって襲いかかる。
レンは笑った。
今度は少しだけ、いつもの彼に近い笑いだった。
「ゲームから出てくんな!」
床を蹴る。
《嵐走り》
レンの姿が掻き消えた。
速い。
ユウリの目では追いきれなかった。青白い線だけが店内を駆け抜ける。音ゲー筐体の前から対戦ゲームの横へ、プリクラ機の前を抜け、ランキングボードの下へ、まるで閉じた回路を逆向きに走る電流のように。
影のキャラクターたちが、次々に弾き飛ばされる。
ただ殴っているわけではない。
レンが通った跡で、彼らにまとわりついていた《太陽照応》《雷神型》《契約相体験版》という文字だけが剥がれていく。ゲームの影は力を失い、ただの薄いノイズになって画面へ戻る。
生徒たちのスマホに出ていた契約通知が、次々に割れた。
《契約しますか?》
《許可――》
文字が弾ける。
ある女子生徒が、はっとしたようにスマホを落とした。
「え、私、何見てたの……?」
対戦ゲームの前で腕に赤い線を浮かべていた男子生徒が、よろめいて台に手をつく。
「痛っ……何で腕痛いんだよ」
少しずつ、ミラー・スコアの支配が剥がれていく。
ユウリは胸の奥に、一瞬だけ希望を感じた。
レンは強い。
そう思った。
レイジのように整った強さではない。
トウマのように鋭く切る強さでもない。
マシロのように場を制圧する強さでもない。
レンの強さは、閉じ込められた場所をぶち破る強さだった。
だから、今この場には必要だった。
けれど。
アヴィの表示が、ユウリのスマホに浮かぶ。
《注意》
《ヴァルガ=ライオスの権能は封鎖解除型》
《ランキング結界への干渉に成功》
《ただし、対象を選別しない封鎖解除は危険です》
《閉じていた危険ログも解放される可能性があります》
「危険ログ?」
ユウリが聞く。
《神話板の未公開実験ログ》
《AVIS一般版の制限機能》
《削除済み神話構文データ》
《過去災害の観測断片》
《これらは現在、ミラー・スコア中核内に封鎖されています》
ユウリは血の気が引くのを感じた。
レンが壊しているのは、ミラー・ランカーの結界だけではない。
同時に、その奥に閉じ込められているものまで開きかけている。
「レン!」
ユウリは叫んだ。
「全部壊すな! 開けていいものと、開けちゃいけないものがある!」
雷光の中で、レンが振り向いた。
汗をかいている。
息が荒い。
右手の神紋は、さらに肩口まで伸びていた。
「そんなの」
レンは叫び返す。
「誰が決めんだよ!」
その声が、店内の電子音と雷鳴の中で響いた。
「マシロさんか? 神楽坂か? トウマか? アヴィか? お前か? 誰が、これは開けていい、これは駄目って決めるんだよ!」
ユウリは言葉に詰まった。
それは、朝から続いている問いだった。
何を隠すのか。
何を公開するのか。
誰の名前を守るのか。
誰の知る権利を止めるのか。
簡単な答えはない。
でも、今は。
「少なくとも!」
ユウリは叫ぶ。
「名前を入力しただけの生徒が、勝手に契約させられるのは違うだろ!」
レンの目が揺れた。
その一瞬を、ミラー・ランカーは逃さなかった。
《Hall of Names》から、無数の順位線が伸びる。
ランキングの順位を示す白い横線が、空中で鎖のように変形し、レンの腕と足へ巻きついた。
《Rai_404》
《2位》
《開示貢献者》
《解放候補》
《責任者》
文字が鎖の一つ一つに刻まれている。
レンの本名とハンドルネームが、交互に点滅する。
《久遠レン》
《Rai_404》
《久遠レン》
《Rai_404》
《解放者》
《拡散者》
《責任者》
「ぐっ……!」
レンの体が引かれる。
ランキングボードへ。
ミラー・ランカーは、レンを取り込もうとしていた。
彼を“扉を開く者”として固定しようとしていた。
ミオが一歩前に出る。
「レンくんの名前を、変えないで」
その声は大きくなかった。
だが、不思議と届いた。
ミオの足元で、白い水面のような光が一瞬だけ広がる。
彼女自身も危うい。
ランキングには、まだ《星宮ミオ》の文字が浮かびかけている。
それでも、彼女は言った。
「レンくんは、Rai_404じゃありません。解放者でも、責任者でもありません」
ユウリが続ける。
「久遠レンだ!」
ユウリのスマホが光る。
未署名の観測翼の羽根アイコンが、薄く震えた。
だが、今回はユウリが前に出るより早く、レン自身が顔を上げた。
「……そうだよ」
レンは、歯を食いしばる。
「俺は、久遠レンだ」
雷の神紋が、鎖の下で激しく光った。
「情報オタクで、軽口担当で、寝不足で、ちょっと調子乗ってて、でも――」
彼は息を吸う。
「勝手に誰かを神話の素材にしたかったわけじゃねえ!」
レンの背後で、ヴァルガ=ライオスの獣影が咆哮した。
それは音というより、空気そのものを裂く圧力だった。
ランキングの鎖に亀裂が入る。
レンが右腕を引いた。
《雷吼の荒冠》
《出力上昇》
《ヴァルガ・ブレイク》
「うおおおおおッ!」
レンが拳を振り抜いた。
青白い雷が、ランキングの鎖を一気に砕く。
砕けた文字が、火花のように散った。
《責任者》
《解放者》
《拡散者》
《Rai_404》
それらが割れ、最後に《久遠レン》だけが残る。
レンはその名前を掴むように、拳を握った。
そのまま床を蹴り、《Hall of Names》へ向かって一直線に走る。
「レン、待て!」
ユウリが叫ぶ。
だが、レンは止まらない。
彼の前に、ミラー・ランカーが作った最後の結界が立ち上がる。
銀色の鏡のような壁。
そこには、店内にいる生徒たちの名前、プレイヤーネーム、スコア、称号、神格適性が無数に映っていた。
自分を見る鏡。
自分を順位に変える鏡。
自分の名前を、他人の視線の中で固定する鏡。
レンは、それに拳を叩き込んだ。
《ヴァルガ・ブレイク》
轟音。
鏡の結界が砕ける。
店内のすべての画面が、同時に白く弾けた。
生徒たちのスマホから、契約通知が剥がれていく。
プリクラの称号が消える。
音ゲーの譜面から神名が落ちる。
対戦ゲームの影が画面へ戻る。
倉持の《名前喪失耐性》という表示が消える。
ミオの《ランキング登録》も、一瞬だけ止まる。
ユウリは息を吐きかけた。
だが、アヴィが叫んだ。
「駄目だ、ユウリ!」
スマホ画面に、赤い警告が走る。
《ランキング結界:破砕》
《封鎖ログ:解放開始》
《未公開機能群へのアクセス経路が開放されます》
《危険ログ流出まで――》
数字が表示される。
《3》
《2》
《1》
レンが振り返る。
その顔に、勝利の笑みはなかった。
彼も気づいたのだ。
自分が、今度は別の扉まで開けてしまったことに。
砕けた鏡の奥から、黒と白の文字列が溢れ出す。
削除済み動画。
神話板の実験ログ。
AVIS一般版の制限機能。
偽日輪の観測断片。
欠落街区の破損座標。
第零保管庫の禁忌名の欠片。
そして、見たことのない言葉。
《契約相体験版》
《神格適性測定》
《近傍神話層接続》
《再臨候補検索》
ユウリは画面を見つめた。
レンは、生徒たちを救った。
確かに救った。
でも、同時に、街へ向かう新しい扉が開いた。
その向こうから、まだ形を持たない神話の気配が、ゆっくりと流れ出していた。




