イオリくんの元カレでーす
カゴメは、ゆっくり瞬きをしながら僕のそばまで歩み寄ってきた。
一方の朝日は壁に背中を押しつけたまま、カゴメのことを猫みたいに警戒した目で見ている。
僕の心臓は反射的に跳ねた。逃げ場がない。
「……どうしてここに、カゴメ」
そう聞くのがやっとだった。
カゴメは肩をすくめ、軽く笑う。線の細い柔らかい髪の毛がふわっと揺れ動く。
「ひどいなぁ。うちの高校は今日から3泊4日の修学旅行なの。忘れちゃった?」
すっとポケットから修学旅行のしおりを取り出して見せる。そういえば見覚えがある。僕が転校する前日に元クラスメイトの横山が書いていた。
「でね?イオリくんに捨てられたボッチの俺は…ひとり寂しく任天堂エリアを歩いてたわけ」
ことさら強調して、“捨てられた” をゆっくり言う。いや転校しろと言ったのはカゴメの方じゃないか。
朝日が震えながら僕の後ろから覗き込む。
「な、なに……この人……誰……?」
カゴメは朝日にゆっくり目を向けた。
「君こそ誰?イオリのこと、どこまで知ってるの?
「あなたこそいきなり何!?」
朝日は顔を真っ赤にして反論しようとしたが、カゴメくんの空気感に勝てるわけがない。声が震えていた。
「俺ね…イオリと違って面倒臭いことは嫌いだからね、すぐ結論が欲しくなっちゃうの」
そう言ってカゴメは朝日に近づき、その瞳を覗き込む。そして朝日の右手を握った。握手をするように。
「は!?なに?」
「…あれ?君が」とカゴメくんが言いかけ、朝日が肩を跳ねさせたその瞬間――
「やっと見つけた!!」
遠くから睦の声が響いた。
振り返ると、睦がペットボトルを二本抱えて走ってきた。
その後ろには、天野聖。
睦が「おい朝日!お前チョロチョロすんなって言っただろ」と言って、ペットボトルで朝日の頭を叩いた。
朝日は睦の顔を見て安心したのか再びベソを描き始めた。
天野は僕とカゴメを見てかすかに目を見開いた。朝日の様子を見て僕とカゴメに対して怒りの感情を向けている。当然だ。壁に追い込まれた小柄な朝日。目の前にいる2人の男。どう頑張っても僕とカゴメが朝日をいじめた構図にしか見えない。
「中島くん…もうひとりの方は……どなた?」
四人の視線と感情が一点に集まる。
絵面が地獄だった。
カゴメは涼しい顔をして僕の方を見ている。僕がなんと答えるのかを楽しみにしているのだ。
そんな中、睦が空気を切り裂いた。
「イオリくんの友達か!?紹介してくれよ〜。朝日が虐められているのかと思ったわ」
カゴメは睦の顔を見て、ゆっくり口角を上げた。
「それは失礼しました。初めまして森ノ山高校2年、内藤カゴメ です。イオリくんとはルームメイトでした」
ナイトウカゴメこの7文字で3人はこの少年が何者か一瞬で理解した。
睦が言葉を失った。
「……お前が……あの“全国模試1位”の?」
「うん。ついでに――」
カゴメはゆっくり僕の肩を掴んだ。
「イオリくんの元カレ⭐︎でーす」と言ってピースをした。
心臓が止まった。
「そうだから、イオリが可愛い子を口説いていて嫉妬しちゃいました⭐︎」
朝日の顔がさらに青ざめる。
聖は息を呑むように僕を見る。
睦の顔から軽さが消える。
ほんの数秒の沈黙。
その間に世界が三回転したようだった。
その場の空気を裂くように、カゴメが優しい声で言った。
「ははは!ビックリさせちゃったようだね!ねぇダーリン?」と言ってカゴメは僕の背中をバンバン叩いた。
「いやいやいやいや!カゴメ!!僕はいつ君と付き合った?」
「あれぇ?クラスの公認だったよ?あとで横山にもメールして聞いてみなよ」
「はぁ?!」
僕は一歩後ずさる。
ポカンとする3人の様子を見てカゴメは、ゆっくり舌をなめた。
「じゃあ君たちは大事な元恋人の友達だ。会えて光栄だよ」
今まで黙っていた天野聖が静かに口を開いた。
「えぇ私も会えて嬉しい。初めましてカゴメさん。私の名前は天野ヒジリです」
カゴメは“天野ヒジリ”という名前を聞いてピンと来た顔をした。当たり前だ。カゴメくんは僕の過去を全部知っている。
僕がレイプされたことも。ニーナと手紙のやり取りをしていたことも。ニーナの正体が天野ヒジリだということも。
カゴメはゆっくり微笑んで天野の方に近寄り右手を差し出した。
「初めまして天野さん。会えて光栄だ」
「えぇ私もよ」
天野はカゴメから差し出された右手をしっかり右手で握り返した。その瞬間カゴメくんの瞳は天野を写しながらギラリと光った。
「天野さん…お友達は大事にね」とカゴメは満面の笑みで言った。
「はぁ?」という様子の天野を見て、睦が「なんだよ俺とも握手してくれよー」と言ってカゴメに右手を差し出した。
「もちろん」とカゴメは満面の笑みで睦の手を握り再びニヤリと笑った。
「何だよ」と睦が眉間に皺を寄せた瞬間、カゴメは思いきり、睦の腕を引っ張っりあげた。180ある睦の身長を忘れてしまうほど勢いよく磁石のように睦の体はカゴメに引っ張られた。
睦の耳元でカゴメくんは何かを囁いた。
「○○○○は〇〇○の〇で」
僕は助詞しか聞き取ることが出来なかった。
だけど睦の表情から、カゴメがとんでもない失礼を言ったのは間違いなかった。睦の顔は青ざめ少し震えていた。
そんな睦を見て朝日は驚き、睦の背中を何度も優しくさすった。
カゴメは満足したのか、ニッコリと笑って「じゃあ俺は行くよ」と言って歩いて行った。
僕は皆に「ごめん」と一言伝えて小走りでカゴメのところへ行った。
「カゴメ、睦くんに何言ったの?てか何で僕に」
「イオリ…君の学生生活はこれから間違いなく大変なことになるよ。」
「は?」
「まぁとにかく頑張ってよ。全部終わったら要望通り心中してあげるから」
そう言ったカゴメの目は全く笑っていなかった。
今までで見てきたカゴメの表情の中で1番険しかった。
元クラスメイト達はカゴメのことを神と呼んでいた。
学力だけじゃない。カゴメには全知全能の力があると、得体の知らない力があると冗談で言われていた。
でも今日改めてその噂は本当だったのかもしれないと背筋が少し震えた。




