6-6 精霊の小言
──寮の自室。
ルシエルの手には小さな笛が乗せられている。
魔法都市『ベラルーク』に赴いた際、手に入れた笛。
これで契約精霊である「チル」を呼ぶことができる。
そういえば、まだ一度も使ったことがなく、ベッドに横たわりながらそれを口にし、軽く息を吹きかけてみた。
甲高い音が小さく鳴る。
しかし、何も変化は見られない。
(そんなにうまくはいかない……か)
その時、窓をコツコツと叩く音が聞こえた。
ベッドに寝そべったまま、頭を窓の方へと向けると、小さな鳥が窓ガラスを突いていた。
急いで起き上がり、窓を開ける。
「チル? 本当に来た……」
「は? お前が呼んだんじゃねえか」
布団の上にぽふりと降りたチルは足を高速に動かし頭を掻き、ブルルと震えた。
ルシエルはチルを人差し指に乗せ、顔の前まで持ってくる。
「メルキオールさんからもらったこの笛がさ、本当に役に立つのかと思って試してみたところなんだよ。えっと、だから……用はないんだ」
「フン、そんなことだろうと思ったぜ。お前に何かあれば俺様には分かるからな。他にやることあるだろ? 暇人かよ……」
聞こえるはずもないのだが、ルシエルの耳には確かにチルのため息が聞こえた。
それからしばらくの間、お互いの近況報告をした。
母やロザリーの様子、家に来訪者はなかったかなど。
ルシエルの方は特に変わったことがなかったが、チルはルシエルの胸のざわつきを察知しているようだった。
それをルシエルはやや顔を赤らめながら話した。
しかし、話し始めると、言葉は止めどなく出てくる。
本当はチルにその話を聞いて欲しかったのかもしれない。
「そりゃお前、ハンナだって異性と話すだろ? 特段変わったことでもないし」
「うん。そうなんだけどさ。なんかさ、ハンナ、楽しそうに話してたんだ」
「はぁ、男のヤキモチなんてやめろよ、みっともねえな。もっと大きく構えてろっつーの」
「分かってはいるんだけど、ただ、ひとつ引っかかることがあってさ。その男子から音がしたんだ」
つまらない顔をしながら話を聞くチルの目が一瞬鋭くなった。
ルシエルはその時のことを詳細に話した。
「話だけ聞くと、ただの恋敵ってだけだろうが、仕方がないから調べてやるよ、この俺様が」
チルは仰向けに寝るルシエルの胸の上でピピッと鳴いた。
そして、その男子生徒のことを詳しく聞こうとしたが、何かを考えるように口を閉じ、机へと飛んだ。
そして、卓上ランプのツマミを嘴で咥えて上手に回転させ灯を消した。
部屋にはルシエルの寝息だけが聞こえる。
チルはそのまま部屋を出て姿を消した。
──翌朝。
窓から差し込む光に目が覚めたルシエルはチルを探した。
──が、姿は見当たらない。
昨晩、話しながら寝落ちしていたことに気づき、どこまで話したかを逡巡し、そのまま顔を洗いに部屋を出た。
休み時間、後ろに座るエバン・ヒルティと談笑している時、微かに不快な音を感じ取った。
眉間に皺を寄せると、エバンはそれに気づいた。
「ん? どうした?」
「あ、いや、なんでもないんだ。ただ、なんとなく嫌な音がするなと思って」
小声で話すルシエルは横目でハンナの方を見た。
目頭を抑え、頭を左右に振ったとき、教室の空気が一瞬変わった。
何気なく廊下の方を見たルシエルは、息を飲み込んだ。
そこには金髪碧眼の美男子、昨日、ハンナの鞄を持って歩いていた男が立っていた。
すると、ハンナは席を立ち、その男の元へと歩み寄った。
それを目で追うルシエル。
楽しそうに話している二人を見るのが嫌になり、視線を元に戻そうとしたとき、メルバ・ベルローズと目が合った。
メルバはルシエルのことをジッと見つめている。
それに吸い寄せられるように見たルシエルは、ばつが悪くなり、慌てて目を逸らした。
「なぁ、ルーシー。あれ、誰だ? ハンナと話している奴」
「知らない。昨日も見かけたけど……」
「なんだあいつ。絶対モテると思って生きてる顔だぞ。嫌な風を纏ってる」
ハンナが話を終え教室に戻ると、女子達がハンナに詰め寄っていた。
そこへ、金髪の男子生徒はもう一度ハンナに手を振り、ハンナもそれに小さく応える。
ルシエルは軽い殺気を覚えた。
その時、碧眼と目が合った。
それは昨日と同じ目つきだった。
何かを見透かしているかのような目でルシエルを確かに見た。
放課後、なんとなくカサついた気持ちをリセットしたくて図書館へ向かった。
しかし、歩いている最中、ほんの少し期待している自分に嫌気が差して、踵を返した。
そして、そのまま寮へと足を向けた。
けれどもまっすぐ帰るのも気が進まないので少し遠回りをしてみる。
枯草の隙間から若葉が見える池のほとりを、ボーっと眺めながら歩いていると、奇妙な動きをしている人物がいる。
──エバンだった。
「なんだ、ルーシーじゃないか。あれ? 図書館は?」
「今日はやめた。それより、エバンは何をやってるの?」
伯父から習った武道の型だと、実演しながら説明を始めた。
毎朝、やっているのだけれど、今朝は珍しく寝坊してしまったから、その埋め合わせらしい。
ルシエルはその場で腰を下ろし、しばらく眺めていたが、エバンの真剣な眼差しを見て、ゆっくりと立ち上がり背を向けて歩き出した。
寮の部屋に戻ると、ベッドの上にチルがいた。
布団と戯れているようで、ルシエルの口からは思わず大きな息が漏れた。
「おい、ボーっと見てないで助けろ!」
チルの可愛い怒鳴り声に身体を小さく震わせたルシエルはベッドに近づき、チルの動きを観察した。
遊んでいるかに見えたそれは、爪が布団の繊維に深く入り込み抜けなくなっていたようだ。
ルシエルは、そっと手でチルを包み、爪が折れないように優しく抜いた。
「なんだよ、随分としょぼくれた顔してるじゃねぇかよ。まぁ、大体察しがつくけどな」
足を持ち上げ、爪の先を嘴で整えながら問いかけるチルを見て、ルシエルはもう一つ大きなため息を吐いた。
「まぁ、たまにはそんな日もあるよ。チルは悩みとかなさそうだもんな…… 痛っ、なんだよ、何故噛むんだよ」
チルはルシエルの肩に乗り首を嘴で摘んだ。
「俺様は精霊様だぞ? 人間と一緒にするな。そんなくだらないことで悩むほどちっちゃくないんだよ、まったく」
「くだらないって、僕、何も言ってないじゃないか。なんだよ、くだらないって!」
語尾を強めてチルを睨みつけるルシエルだが、すぐに目を落とした。
「なぁ、ルシエル。今、お前がやらなければいけないことって何だ?
誰も相手にしてくれないからってひとりでいじけて。だからくだらないって言ってるんだよ。
ハンナもエバンも自分の目標に向かって今歩いているんだろ?
全部お前と同じ方向な訳ないだろうが。
それを、自分に背を向けたと勘違いして、甘えてんじゃねぇよ、ったく。
どうして応援してやれねぇんだよ。お前にとって大事な人間なんだろうがよ、え? 違うか?」
──ぐうの音も出なかった。
チルの言う通りだ。
ルシエルは、自分のことばかりで、周りに目を向けてはいなかった。
一体いつからだったんだろう?──そう考えると、顔が熱くなり、何とも言えない複雑な気分になった。




