6-5 鈴の音
石廊を通り過ぎて角を曲がると景色が変わる。
いつ見てもこの白色はハンナ・クレイリッジの身体をこわばらせる。
フーッとひとつ息を吐き、口を強く結んだハンナは、教室の扉を静かに開ける。
「──失礼します。あ、お疲れ様です」
胸に抱えた荷物を強く持ち直し、いつもより深く腰を曲げた。
今日は一際輝いて見える彼女はハンナに気がつき、頬を持ち上げた。
「あら、ハンナさん。ごきげんよう。今日は楽しみにしていますわ」
ブリジット・メイアンは、にこやかに話しながらハンナの方へと歩み寄った。
「あ、ありがとうございます。でも、緊張します」
「そんなに硬くならなくて大丈夫よ。ハンナさんの腕はわたくしが保証しますわ」
「そう言っていたたただけ、て光栄です」と壮絶に噛んだハンナは顔を赤く染めて目を泳がせたが、
手で口元を隠しながら上品に笑うブリジットの姿を見て、不思議と肩の力が抜けて心が穏やかになった。
ブリジットは「すぐに戻る」と言って退室し、静まり返った教室でハンナは乾いた音を響かせながらいそいそと準備を始めた。
今日は試作品のお披露目会。
ハンナは今までの打ち合わせを元に試行錯誤を重ねて試作品の衣装を三着用意した。
本番と同等の白い綿のワンピースにレースや装飾を施したもの。
淡い色の装飾や、白とアイボリーでまとめたものなど、どれも早春に相応しい色合いに仕立てた。
教室の奥から持ち出したトルソーにワンピースを着せて、前に並べる。
人のために作るのは初めてだったハンナは、緊張のせいでうまくトルソーに服を着せることができず苦戦していた。
皆が揃う前には終わらせなくてはと思うと余計に焦り、左右対象に着せることができない。
襟元を正している時、上手くボタンが止められずに少々力を込めて引っ張ってしまった。
ワンピースを着たトルソーはハンナめがけて倒れてきた。
自分より背の高いそれは、重さはそれほどないが、それなりに大きい。
倒して服を汚すわけにはいかないと必死でそれを支えるハンナ。
しかし、自身もバランスを崩してしまった。
「危なかった。大丈夫?」
背後から力強く抱きかかえたハンナは、一瞬何が起きたのか分からなかった。
顔を覗き込む碧眼の青年。
金髪の前髪がキラリと輝いた。
「あ、ありがとう。えっと……ローゼン……ベルク……くん」
「ハハハ。そんなに改まらなくて、アルバートでいいよ。同級生なんだし」
『愛書典』製作委員会で唯一の男子、宮廷文化科二年のアルバート・ローゼンベルク。
彼の腕の中にいるハンナは顔を赤く染め、すぐに離れて頭を下げてお礼の言葉を述べた。
「怪我は──してなさそう、だ、ね。よかった。
ん? これ全部クレイリッジ君が作ったんだよね? なんて繊細なんだ」
アルバートは目を輝かせながらワンピースを着せたトルソーを眺めた。
そして、そのままハンナと談笑を交えながら搬入作業を手伝った。
──ドレス選考会は難航した。
こちらの方が華やか。けれども、あくまで私たちは進行役に過ぎないので、ドレスはシンプルな方が良いのではないか。
他にも様々な意見が飛ぶ中、ハンナは真剣な眼差しでひとつずつメモを取っている。
ブリジットは顔色ひとつ変えずにハンナに意見を求めた。
「わたしは、皆さんがどれを着ても目立ち過ぎないような控えめなデザインを心掛けました。
ですので、わたしの中でどれが一番かというものはありません。
ただ、それぞれにコンセプトを考え、それに沿ってサンプルを作りましたので、そちらをご説明いたします」
ハンナはそれぞれのコンセプト、何故このような装飾にしたのかなどを細かに説明した。
それを聞いたブリジットは満足そうに何度も頷き、微笑んでいる。
そして、ハンナの意見を元に多数決が取られた。
しかし、二点同票となってしまい、教室内にはため息混じりの声に包まれた。
「あらあら、これは面白いことになりましたね。それでは最後の一票をハンナさん、お願いします」
「え? わたしですか?」
「そうですとも。まだあなたの票が入っておりませんもの」
「いや、でもわたしは制作者ですので、選考には……」
ブリジットはじっとハンナを見つめた。
「あなたも委員会の一員ですよ。皆とお揃いのドレスを着るのですから」
ハンナは大きく息を吸い、ブリジットの顔を見た。そして、委員会メンバーの方へ顔を向けると、皆頬を持ち上げ頷いている。
ハンナの口元が震えだした。そして、目がどんどんと潤んでいく。
手で口元を覆い、そしてその手を体の前で揃えて深く腰を折り、震える声で感謝の気持ちを伝えた。
こうして、当日着る衣装の選考会は終了した。
その時、ハンナがそっと挙手をし、皆の視線を集める。
「あの、ひとつ質問なんですけれど。ローゼンベルクさんの衣装はどうしたら……」
アルバートは小さく笑みを浮かべ、ハンナを見据えた。
「クレイリッジ君は、僕に女装をしろと?」
ハンナは頬をかたくし、首を左右にぶんぶんと強く振った。
「えっと、あの……」とどう返していいのか分からずしどろもどろになっていると、
ブリジットがハンナの肩に手を置いた。
「彼に衣装はこちらで用意してありますので心配無用です」
教室内の空気が一段軽くなり、和やかな空間に変わった。
ハンナは安堵の思いを口にし、頬を持ち上げ、白い歯を見せて笑った。
* * * * *
ルシエルは借りていた本を返しに図書館へ向かった。
このところ、ハンナは委員会で忙しく図書館にも来ていない。
ルシエルは心のどこかで今日はいるといいなという思いを持っていた。
別に、そこでしか話せない訳でもないし、休み時間なども普通に接している。
けど、図書館で会う時は何故か心が踊る。
特に何かを話すでもないが、同じ空間に一緒にいれることが、なにか特別な感じがするのだ。
かすかな期待を込めて扉を開けた。
──(やっぱりいないか)
喉を何か苦いものが通ったような感覚を覚えたルシエルは、黙って本を返却し、踵を返した。
なんとなく暇を持て余しているので、エバンのいる食堂へと足を向けた。
大広場を通り、食堂へと向かう道すがら、シャランと鈴の音がした。
ルシエルは辺りを見回した。この音は、いつも聴いているハンナの音。先ほどの落胆の反動で期待が膨らんだ。
音の方へと近づいた時、ルシエルは足を止め、思わず木陰に身体を入れた。
ハンナが楽しそうにこちらへ向かってくる。──見知らぬ男子生徒と二人で。
ルシエルは思わず木の後ろにまわった。そして、隙間から二人の様子を伺う。
男子生徒が持っているものは、ハンナの鞄だった。
ルシエルの鼓動は一気に加速し、耳鳴りを覚えた。
奥にいるハンナはこちらには気づいていない。
しかし、手前にいる男子生徒はチラリとルシエルの方を見て、片方の唇を持ち上げた。
さっきまで聴こえていた鈴の音は消え、不快な音がルシエルの視界を狭めた。




