5-12 帰郷の音
「ただいま」
夜、しんと静まり返った町に帰ってたルシエルは、そっと玄関のノブを回した。
「おかえり」の優しい声を聞いた途端、愛おしさに包まれ、思わず母の胸に飛び込んだ。
母のミレイユは何も言わずにルシエルの髪を優しく撫でた。
今まで抑えていたものが一気に溢れてくる。
悲しくないのに涙が止まらない。
ルシエルは母の背中を強く抱き、枯れるまで泣いた。
嗚咽を漏らして。
* * * * *
フーっと息を吹きかけ、熱い紅茶をすする。
喉を熱いものが通り、冷えた身体を温めた。
妹のロザリーは部屋でチル一緒に寝ている。
テーブルの中央には、ヴァレン・コールで見つけた父の手帳が置かれている。
ミレイユは震える指で手帳に触れ、「おかえり」と小さな声で呼びかけた。
けれども、中を開こうとしなかった。
ルシエルが勧めても決してその手は動かそうとしない。
「今夜はこれだけでいい。ただ、話はあなたの口から聞かせて」と手帳を見つめている。
ルシエルは手帳のこと、トビアス親子に助けられたこと、
魔法都市ベラルークのことや『響感』、チルのこと、全てを話した。
ミレイユはルシエルの『響感』のことを知っていた。
自分たちではどうすることもできなくて何年も悩んでいたそうだ。
けれども、父セドリックは諦めずに研究を続け、精霊に『響感』を共有させることに成功した。
──将来、ルシエルの助けになるようにと。
ミレイユはチルが森から戻って来た時に感じるものがあったと言う。
しかし、ミレイユの持つ魔力では、どうすることも出来なかった。
チルのことは追々ロザリーに説明するとして、今夜はベッドへ入った。
──(トビアスさんにはお世話になりっぱなしだったな。
ハンナとシャーロットはトビアスさんが谷まで送ってくれたし、この礼はいつかしよう。
シャルもまたトビアスさんの工房に行きたいと行っていたし、
ハンナはミロと別れ際に泣かれ、また会う約束をしていたしな)
ルシエルは自身の手を眺めながら、今日の出来事を反芻し、目を閉じた。
翌朝、ロザリーがチルと一緒に部屋から出てきた。
「おはよう、お兄ちゃん。昨日は遅かったみたいだから先に寝ちゃったよ」
ロザリーの手の上でチチチと鳴いたチルはパタパタと部屋を周回し、ルシエルの頭に止まった。
「やぁ、チル。えっと、おはよう」
ぎこちない挨拶にチルはチチッと小さく鳴いた。
前日の傲慢な態度は無く、むしろ可愛らしい仕草を見せている。
朝食後、ミレイユとロザリーは買い物に出かけ、ルシエルは冬休みの課題レポートを仕上げるために留守番をしている。
リビングのテーブルに淹れたての珈琲を置いたとき、チルがケージの中からギギギと強めに鳴いた。
ケージの扉を開けると、ルシエルの頭まで一直線で飛んできた。
「ねえ、チル、色々と聞きたいことがあるんだけれど……」
「おう、いいぜ。何でも答えてやる」
「随分と気前がいいんだな」
「ロザリーがパンくずをたくさんくれたからな」
ルシエルはフッと鼻で笑うとチルが耳をつついた。
「あ、ごめん。つい可愛くってさ。それで、これから僕はどうしたらいい?」
ルシエルの率直な思いをチルにぶつけてみた。
精霊と契約を結んだことにより、何が変わるのか?
そして、この先どうなるのか。
「──別に何もかわりゃしないさ。ルーシーと契約を結んだからな。
必要な時にちゃんと役割を果たすまでだ。ただ、俺様はロザリーとここにいる」
「居心地がいいから?」
「まあ、それもあるが、いまのロザリーには俺様が必要だろ?」
「うん。そうだね。よろしく頼むよ。ロザリーも不安定のようだからさ。
それはそうと、僕が契約を結ぶ前からこの家にいたのは何故?」
「お前が契約するの遅いからだろ? っほんと、どんだけ待たせるんだよ。
何年も暗闇で待ち続ける俺様の身にもなれっつうの」
チルはくちばしで尾羽を咥えて緩やかな曲線を作った。
ピンっと元に戻ってはまた咥え、曲線を描き、身だしなみを整えている。
「はいはい。それは、失礼いたしました……」
レポートの続きをやる前に、ふと気になり、父の手帳を開いた。
小さな字で『響感』にまつわることが書かれている。
それは何ページにも及ぶものだった。
昨日、ベラルークで、父の恩師メルキオール氏による説明の事柄の事も記載があった。
そして、響感、世界の音、精霊復活と単語が丸で囲われている先にある言葉を見つけた。
──恩寵のしるし
──(……恩寵のしるし? どこかで聞いた気がするんだよな……)
記憶をたぐり寄せているところで、玄関の方から声が聞こえた。
ミレイユの声と、男性の声。
扉が開くとそこには見覚えのある顔があった。
「やあ、ルシエル。元気だったかい?」
「アーサー」
久しぶりの再会に、ルシエルは頬を持ち上げ、玄関まで駆け寄った。
母たちの買い物の途中でばったり会い、ルシエルが帰ってきていること聞き、
一緒に荷物を運んでくれたアーサー・エルウッド。
かつて父セドリックの研究所で働いていた。
父逮捕の後、街を追われ、ここセルドーに住まいを見つけてくれたのも、
ルシエルをアーク・ヴァルティア学園への入学手続きをしてくれたのもアーサーだった。
「学園はどうだい? ルシエルのことだから研究ばかりしているんじゃないかい?」
「うん。楽しいよ。友達も出来たんだ」
「好きな子もでしょ? お兄ちゃん」
照れながらロザリーに文句を言うルシエルの顔を見たアーサーは目元を和らげた。
「へえ、ルシエル、そうなのか? どんな子なんだ?」
「アーサーまで、やめてよ。そんなんじゃないってば」
顔を赤くするルシエルは、頬を硬くして笑みを浮かべた。
会話が弾み、ミレイユやロザリーも快活に笑う。
ルシエルはテーブルの上に散らかっているレポートを片付け、
手帳をポケットの中にしまい、珈琲の準備を始めた。
カップをカウンターに並べ、珈琲を注ぐ。
小刻みに震える手に力を入れながら均等に。
ミレイユとアーサーの会話を聞きながら。
その時、チルがルシエルの肩に止まった。
「おい、ルーシー。あいつ、用心したほうがいいぞ。──何かあるな」
ルシエルはチルにしか聞こえない、小さな声で答えた。
「──うん。さっき、聞こえたよ。……不快な音が」
下唇を噛み、ゆっくりと珈琲を運ぶその足取りは猜疑心に満ちたものだった。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
5章はここでおしまいです。次回より6章が始まります。
今後もルシエルたちの活躍を見守って頂けたら幸いです。




