5-10 閉ざされた都市
「少年、怪我をしたくなければそこをどきたまえ」
両手を広げて木箱に立ちはだかるミロは身体を震わせていた。
「早くそこを退くんだミロ」
トビアスの語尾が強まる。
シャーロットは警戒を緩めることなく、事態を見つめている。
──(このままだとミロ君が危ない)
ハンナ・クレイリッジは急いで荷台のミロの所へ向かい、そっと抱き寄せた。
ミロの震えが伝わり、ハンナの胸にも冷たい緊張が走った。
「だめだよ、ハンナお姉ちゃん。このままじゃ……」
ハンナは何も言わずにミロの頭を撫でる。
男は木箱の蓋に杭を差し込み、無理矢理こじ開けた。
中には衝撃緩和のための藁が詰め込まれている。
それをかき分け、男の手は止まった。
「──これはっ」
ハンナは思わず目を閉じた。
肩を持ち上げ、ミロを抱く腕に力が入る。
シャーロットは震える手でポーチの中のものを掴んだ。
男を睨むシャーロットの眼光は鋭い。
その時、その手をそっと抑えられた。
──トビアスだった。
彼は黙って頷き、そして、男の方に顔を向けた。
「だから、さっきから言っているじゃないですか。魔導具ですよ。
高価なものだから、こうやって厳重に梱包しているんです。
どうせ蓋を壊されちまったんだ。なんなら中身も取り出しましょうか?」
「……いや、結構だ。行きたまえ」
ミロは目を丸くし、口が半開きになっている。
ハンナもシャーロットも同様に。
「おーい、もう大丈夫だぞ」
トビアスは荷台の床をコンコンと叩いた。
すると、シャーロットの足元の木がわずかに持ち上がった。
「キャッ」と、小さい悲鳴をあげた彼女は足元に目をやった。
そこには藁をつけたルシエルが、ひょっこりと顔を出している。
「──やあ、シャル。ごきげんよう」
* * * * *
「ひどいよ、父ちゃん。みんなを騙すなんて。ルシエルも同罪だよ。どうして教えてくれなかったんだよぅ」
ミロは目を腫らしながら、ポカポカとトビアスの背中を叩いた。
ルシエルは、目じりを下げながら、ミロの頭を撫でている。
「本当よ。ハンナなんか今にも泣きそうな顔をしてたんだから。ちゃんと謝った方がいいわよ、ルシエル。
それに、トビアスさんもあんまりです。私、危うく攻撃するところだったんですから」
「いやいや、悪かったよ。それに、ちゃんと止めたじゃないか。ハハハ」
トビアスは、してやったりと快活に笑った。
ヴァレン・コールを離れ、誰もいない畦道を馬車は軽快な音を立てながら進んでいる。
「緊張して喉が渇いただろ? ミロ、みんなに飲み物をいれてやってくれ。
それにしても見たか? あの警備員の顔。
苦虫を潰した顔って言うのはまさにあのことを言うんだろうな」
落ち着きを取り戻した一行に、ようやく笑みがこぼれた。
「ねえ、ルシエル。いつ荷台の下に潜り込んだの? 確かに木箱の中に入るのを見ていたんだけど」
ハンナが温かい紅茶に息を吹きかけながらルシエルの方を見た。
シャーロットもミロもルシエルの答えを待っている。
「馬車に乗る前に、トビアスさんからこっそり言われていたんだ。
箱から下に潜れるって。だから、馬車に乗ってすぐ荷台の下に潜り込んだんだ。
揺れが激しくて、頭にこぶが出来るかと思ったよ」
ルシエルは頭をさすりながら、まだ付いていた藁のかすをつまみ、フッと外に飛ばした。
「まあ、敵を欺くにはまず味方からって言うだろ? 今頃あいつら、血眼になって探し回っているんだろうな。ああ、愉快愉快」
トビアスは手綱を持つ手に力を入れ、一度だけ振り下ろした。
* * * * *
「さぁ、見えてきたぞ」
小高い丘の上に鎮座する城郭都市。
それこそがルシエルが求めている魔法都市「ベラルーク」であった。
高い壁に囲まれ、中の様子は窺えないが、中央に高い塔が雲を突き抜け、そびえ立っている。
「あれが、ベラルーク。想像してたのと違う」
ルシエルは目を見開いた。
そこはかつての魔界戦争で壊滅的な被害に遭ったとされる都市だ。
あれから四百年。
先人の手によって、都市は城塞という形で復興を遂げた。
遠くからは見えなかったが、近づくと、結界が張られていた。
入り口には門番が立っている。
「職業柄、よく仕入れや納品に来るからな」
トビアスは一枚の紙を広げて見せた。
そこには【通行許可証】と書かれている。
「昔の名残りだろうな。今でも許可証が無いと入れないんだ。
まぁ、心配することはない。そこまで厳重な警備ではないさ」
ルシエルたちの強張った顔を見たトビアスは優しく微笑んだ。
──(きっと、父さんに近づくことができる)
このどこかに父の恩師がいる。会えることを願ってルシエルは唇を噛んだ。
父、セドリックの恩師であるメルキオール氏は、以前そこで教鞭を執っていたと聞いた。
まずは、そこで情報収集するのが得策だろう。
トビアスに礼を言い、学園前で別れた。
一緒に行くと懇願するミロを連れて。
今、ミロはハンナの手を離さないでいる。
学園の門をくぐり、事務室に問い合わせたところ、メルキオール氏の居場所をすぐに教えてくれた。
現在は自宅兼アトリエで小さな薬屋を営んでいるらしい。
事務の女性に父の恩師なので挨拶がしたいと伝えると、彼女は丁寧に地図を描いてくれた。
「この階段を登った先を左と……、あ、あれかな」
葉っぱの模様が入ったガラスの出窓が目印。
間違いない、ここだ。
ルシエルはそっと扉を叩き、一歩下がった。
中から「はーい」と声が聞こえ、扉が開くと幼い少女がぴょこんと顔を出した。
「あ、えーっと。僕はルシエル・バートンと言います。
メルキオールさんのアトリエはこちらでしょうか?」
「はい。どうぞこちらへ」
なんの警戒もされずに中へ通された四人は顔を見合わせた。
「せんせーい、お客様ですよー」
はいはい、と奥から出てきたのは白く長い顎鬚を携えた小柄な老人だった。
「はて? 随分と若う方たちじゃが、以前どこかでお会いしたかの?」
「はじめまして。ルシエル・バートンと申します。
メルキオール先生にお聞きしたいことがございまして、ヴァレン・コールから来ました」
「ヴァレン・コール……。バートン……。おや、もしかしてそなたは、セドリック君のせがれかい?
言われてみれば、目と口元がそっくりじゃな。そうかそうか。
立派な青年になって……。セドリック君、元気にしてるかい?」
ルシエルはこれまでの事情を全て話した。
そして、父の手がかりとなる手帳のことも。そのためにここまで来たのだ。
今も手帳からはぼんやりと光が漏れている。
欠けた円環もそのまま。
メルキオールはそれを見て、ふむふむと顎鬚を触った。
「ルシエルくんや、ちょっと失敬」
「──ッ」
指先から全身に電気が走り、思わず身体を反らした。
見ると、人差し指の先からぷっくりと赤い血が盛り上がっている。
メルキオールはルシエルの手を手帳にかざした。
指から滴る血は手帳へと落ち、やがてそれは、あの欠けた円環を塞いだ。
すると、光はゆっくりと消え、代わりに魔法陣が紫色に輝き出した。
光は円を描きながら柱となって立ち上がり、天井を妖艶に照らした。
光度は増し、思わず目を閉じた。
瞼の奥に光の気配を感じる。
ルシエルはゆっくりと目を開けた。
そこには青い見覚えのある鳥が、手帳の上で毛繕いをしている。
「──もしかして、チル?」
そこには、家にいるはずのチルが目の前にいた。




