5-8 欠けた円環
円の途切れた魔法陣はぼんやりと光を発している。
それを、この場にいる全員が覗き込んで見ていた。
僅かな光がルシエルの頬を照らす。
「何故、円が閉じられていないんだろう……?」
ルシエルは鞄から魔導筆を取り出し、慎重に魔法陣の円の切れ端にペン先を置いた。
──ぶれないように、ゆっくりと円を結ぶ。
しかし、何度も繰り返してもインクが乗らず、結ぶことができない。
それは、ペンを変えても同じ結果だった。
依然、魔法陣はぼんやりと輝いている。
「ほかのページには書けるのに、何故、魔法陣のページだけが書けないんだろう?」
何かを意図していることは分かる。
しかし、それが何なのかは誰も答えられない。
「ねぇ、分からないなら、先生に聞けばいいんじゃないの?」
「ん? 先生?」
「だって、それ描いたのセドリック先生でしょ? だったら先生に直接聞けば……」
トビアスは息子のミロの頭をそっと撫でた。
伏せ目がちに撫でていたトビアスの手が止まり、目を大きく見開き、ルシエルの顔を見る。
「そうだ、先生に聞けばいいんじゃないか。
以前、聞いたことがあるんだ。セドリック先生の先生のこと。
えっと、確か……」
「──メルキオール先生」
「そう、メルキオール先生。何度かその方の話を聞いたことがある。
確か、魔法都市ベラルークで研究されているとか……。
ミロ、でかしたぞ。そうだよ。分からなかったら聞けばいいんだ」
髪をくしゃくしゃにされたミロは口を開けて父親のことを眺めている。
「魔法都市ベラルーク。メルキオール先生」
ルシエルの父の恩師である事は、以前聞いたことがある。
──ルシエルが怪我をして、父が治癒魔法をかけてくれた時のこと。
メルキオール氏はとても偉大な魔術師で、父が魔法薬師を志したきっかけを与えてくれた人物だと。
ベラルークへはここから馬車で行くことができる。
セドリックもよくそこから薬材を仕入れていた。
「ルシエル、行ってみようよ。ベラルーク。そして、会いに行こうよ。メルキオール先生に」
ハンナは力強い視線をルシエルに向けた。シャーロットも頷く。
「ありがとう。けど、無事にここから出られるか……」
「それなら心配いらないよ。父ちゃんがなんとかしてくれる。ね? 父ちゃん」
ミロが歯を見せながら親指を立てた。
「ああ。いい考えがある。任せておけ。と、その前に少し手伝って欲しいことがあるんだ」
トビアスは自身の胸をポンと叩いた。
そして、ルシエルたちを工房へと招き入れた。
所狭しと置かれている魔道具たち。
それらは皆、トビアスが製作したものである。
シャーロットは目を輝かせて、顔を近づけた。
「す、すごい。見たことないものばかりだわ。あの、これは、どういう物ですか?」
「ああ、それは温風が出せる装置だよ。火の魔石と風の魔法陣を組み合わせてね。
部屋を暖めたり、何かを乾かすのに役に立つかと思ってね。
冬場は、湯浴み後の濡れた髪が身体を冷やしてしまうだろ?
だから髪を乾かすのにも使えるように小型のものも作ろうと思ってね」
シャーロットもハンナも、「ぜひ使ってみたい」と熱い眼差しをトビアスに向けている。
他にも見たことのないトビアスの発明品に目を奪われていた。
「そういえば、君も魔道具を作るんだって? 何か見せてもらえないかい?」
「はい、一応。けど、こんな素晴らしい物を見た後でお出し出来るものなんてないです……」
そう言って、一度は断りを入れたシャーロットだが、
その時、ハンナが自身の髪を触り、赤いリボンを解いた。
「これ、彼女が作ってくれたんです。寒くならないようにって。
わたし、これのお陰で体調がとても良いんです」
そう言って、リボンをトビアスに手渡した。
身体を温める術式が織り込まれたリボンを見た彼は、目を皿にして眺めている。
まるで少年のように。
「素晴らしい出来だ。外気温との温度調整も誤差なく出来ているようだし、
それに、何よりもこれを使う人の事を想って作ったのが伝わってくる。
良い仕事をしているね」
シャーロットは顔を赤らめ、ハンナはとても誇らしげな顔をしている。
「父ちゃん、早く支度しないと。魔道具の話をしだすと止まらなくなっちゃうから、その辺にしておかないとだよ」
息子に急かされ、トビアスは思い出したかのようにリボンをハンナに返した。
そして、いそいそと部屋の奥へと向かい、木箱を叩いて、ルシエル達を見た。
──街の門には警備隊が立ちはだかっていた。
その隣には、先ほどの制服を着た人物がいる。
街を出るにはここを通過しなくてはならない。
トビアスの馬車は警備隊の前で止まっている。
「どちらまで?」
「ベラルークです。ご覧の通り、魔道具の納品ですよ」
「そちらは?」
警備隊がトビアスの隣に座るハンナとシャーロットを見ている。
「こちらは、ベラルークの魔法学園の生徒さんで、うちに研修に来てたんです。
それで、納品がてら送っていこうと思いまして」
ハンナとシャーロットは警備員に、平静を装い軽く会釈をした。
特に怪しまれることなくこのままいける。──そう思った時、隣の男が指を荷台に向けた。
「あの箱はなんだ?」
「それも、もちろん魔道具ですよ」
「中身を確認したい」
箱の隣にいるミロが慌てた様子で箱の蓋を抑えている。
これには触れさせまいという意思が顔に出ているのを警備隊は見逃さなかった。
「これはすごく高価なもので、衝撃に弱いからこうして厳重にしているだけです。
べ、別に怪しいものではないです」
ミロの目は左右に動き、蓋を抑える手は震えている。
「大丈夫だ、少年。中身を確認するだけだ。
それに、怪しくないのなら蓋を開けても構わないだろう?」
「いや、でも……」
ミロは箱に背を向け、両手を広げた。
「ミロ。開けて差し上げなさい」
「けど……」
トビアスは様々な視線を避けるように目を閉じ、腕を組んだ。
隣に座るハンナの顔色が青ざめていく。
シャーロットもまた、トビアスへ鋭い視線を向けていた。
──(嵌められた……)
そして、そっとポーチに触れた。
そこに敵意を滲ませて。
「と、父ちゃん……。なんで?」
──暗闇に潜むルシエルは、祈るような気持ちで息を殺していた。
ガタン──ガタン、と荷台が大きく揺れ、
ミロが必死に抵抗しているのが、姿が見えずとも伝わってきた。
「や、やめて……!」
木箱が軋む。
留め具が外されていく音がやけに鮮明に耳へ届く。
ルシエルは唇を強く噛んだ。
背筋を、冷たい汗が伝う。
──(頼む)
心臓がうるさいほど鳴っている。
今にも箱が開く。
ルシエルの身体は石のように硬直した。




