5-2 ルシエルの初めて
白銀に覆われた朝、ルシエルは朝食を食べ終え、家を出た。
「いってきます。今日は、晩御飯は食べてくるよ」
乗合馬車に揺られて城下町、ベルモンドまで。
『ベルティア祭』が行われていなくとも、行商で賑わい、冒険者の姿も目立つ。
少し早く到着したので、街内を歩き、店の情報を頭に入れておくことにした。
待ち合わせ場所は見覚えのある噴水広場。
そろそろ来る頃かなと心を躍らせながら噴水の淵に立ち、本を広げる。
「──ルシエル」
本から視線を持ち上げると、臙脂色のコートを羽織ったハンナ・クレイリッジが頬を赤らめながら小さく手を振っている。
ニット帽から見える髪はややウエーブがかり、ふんわりとして、
いつも見ている緩めの三つ編みとは違う雰囲気に思わず喉を鳴らした。
そして、頭の中では心地よい鈴の音が鳴った。
ルシエルは笑顔で手を振り、それに応える。
「やあ。ハンナ。久しぶり」
「久しぶり。ごめんね、待った?」
「ううん、さっき着いたところだよ」
久しぶりということもあって、街を歩く二人の間には、微妙な距離がある。
「──そうだ、前にハンナが選んでくれた櫛ね、二人ともすごく喜んでたんだ」
「よかった。妹さんのはとっても可愛かったもんね。私も欲しいなって思ったくらい」
二人は街を歩いた。普段見ることのできない洋服や雑貨、
文房具などのお店を見て、その後、鐘のある見晴らしの丘へと移動した。
階段を登ると小さな展望台が見えた。
弾む息を整えながら辺りを一望する。
空気が冷たく、澄んでおり、遠くにヴァルティア学園が見えた。
「ルシエル、お腹空いてる? わたし、お昼ご飯作ってきたの。よかったら」
「え?」
ハンナの手作り。
手作りという響きに、ルシエルの心が跳ねた。
二人は景色がよく見えるベンチに腰掛けた。
ハンナは鞄から包みを取り出し、膝の上で広げる。
そこには、色とりどりの具材が挟まれたサンドウィッチがあった。
付け合わせのピクルスとオムレツ。
ルシエルは、それを見た途端お腹が鳴ってしまい、顔を赤らめた。
「あっ、聞こえちゃった? すっごく美味しそうで、つい」
「ふふふっ。お腹空いたよね。わたしもお腹ぺこぺこ。はい、どれでもどうぞ」
「いただきます。──美味しい! もしかして、パンも自家製?」
「うん。けど、パンはお母さんが焼いたの。パン作りが趣味なんだ」
二人で食べるサンドウィッチの味は格別だった。
そして、ハンナは温かい紅茶を差し出した。
家から持ってきた紅茶が何故今、温かいのか。
それはシャーロット・リンデルが作った魔道具のおかげだと言う。
さらにハンナは、普段三つ編みに使っている赤いリボンをルシエルのマフラーに挟み、腕をのばした。
指先がマフラー越しに触れた瞬間、ルシエルの肩がわずかに強張った。
それに気づいたのか、ハンナは小さく笑った。
マフラーは、じんわりと首元に熱を帯び、身体全体をあたためてくれる。
誰もいない展望台で、身も心も温まり、しばらくの間、二人だけで景色を楽しむ。
街に戻り、再び店を眺めて歩いていたら、前方で女性の大きな声がする。
「ルルー、ルルー」
見ているのは路地裏や、用水路など、狭い場所ばかり。
その顔はとても不安げだ。
「どうされたんですか?」
「ああ、猫が──帰ってこないの。いつもならとっくに帰ってくるのだけど。
あなたたち、これくらいの黒い猫を見かけなかった? 首に赤いリボンを巻いている……」
「見なかったです。──ハンナは見た?」
ハンナは首を横に振る。
そして、ルシエルと目が合う。
「ハンナ、なんとか探せないかな?」
「ちょっと自信ないけど、やってみる」
ハンナは目を閉じ、腹の前で手を組んだ。
ゆっくりと肩が上下し、それを見た女性は眉根を持ち上げた。
しばらくして、──ハンナが目を開けた。
「川の飛び石で身動きが取れなくなった子がいるみたい。
ただ、その子かは行ってみないと……飛び石のある場所ってわかりますか?」
女性は口を開けたまま、目を丸くした。
「あなた、分かるの?」
「まだその子と決まったわけではないですけど、とにかく助けに行きましょう」
三人は駆け足で川沿いを探した。
前方に飛び石が見える。そして、確かに何かいる。
「──ルル」
ミャー、ミャーと川の流れにかき消されそうな小さな声で鳴いている猫は、確かに黒猫だった。
飛び石は濡れて滑りやすく、どうする事も出来ずに震えている。
「どうしよう。助けるにも、あそこまで辿り着けないわ」
女性は腕を抱き、悲痛な表情を浮かべている。
その時、ルシエルが水際に立ち、詠唱を唱えた。
「──凍れ」
静かな音を立てて、水面に白が走った。
杖を向けた先、川の流れはゆっくり止まり、内側から白く凍り始めた。
飛び石のところまで一直線に。
ルシエルは、氷の橋をゆっくり渡り、猫を抱きかかえた。
女性は口元を手で覆い、目を潤ませている。
猫を受け取ると、氷の橋はすでに消えていた。
「どうもありがとう。なんてお礼をしたらいいか」
「いえ、お礼なんてそんな。無事でよかったです」
助けられた黒猫は鳴きながら、女性の頬に顔をこすり付け、
彼女も、それに応えるように強く抱きしめた。
女性からの謝礼を丁重に断り、ルシエルとハンナは笑顔でその場を後にした。
「ハンナがいなかったら、見つけられなかったよ」
「鳥たちが教えてくれたんだ。上から見ていたんだって。
けど、ルシエルがいたから助けられた。ほんと、戻れてよかったね」
ルシエルは先程のハンナの行動を思い返していた。
彼女が自身の能力を発揮している間、ルシエルの中で微かに揺れる音がしていた。
そして、ハンナが目を開けた時、それは消えた。
この音が何なのか、ルシエルにはまだ分からない。
けど、ハンナから聞こえる音はいつも優しい音がする。
街の大通りから一本路地を入った小道。
住む人たちの生活がうかがえる通り。
そこからは、街の喧噪は遠く、走り回る子供たちの声が、路地を伝う。
ルシエルたちは、その先にある古書店を目指した。
店先には看板が立ち、朗読会のポスターが見えた。
以前貰ったチラシと同様、丁寧に描かれたもの。
ルシエルはゆっくりと扉の取っ手を引いた。
カランコロンとやさしい鐘の音がルシエルの体温を上げた。
用意された椅子には数人、先客がいる。
店主の姿が見えず、入口で立っていると、店の奥から人影が見えた。
「あら、あなたたち」
書棚から出てきたのは、先ほどの女性だ。
二人は偶然の再会に、頬を持ち上げ会釈をした。
すると、どこからともなく現れた黒猫のルルが、ルシエルの足元で身体をこすり付け、腹這いになった。
それを見たハンナはコロコロと笑い、腕でお腹を抑えている。
「どうしたの? ハンナ。そんなに面白い?」
「ううん、違うの。ルルちゃんが、ルシエルは命の恩人だから、肉球を触るのを許すって」
ミャーという声に、三人は顔を見合わせ快活に笑った。
そこへ、店主が現れた。
「あなた、さっき話した子たちよ。ルルを助けてくれた」
「やあ。よく来てくれたね。それと、ルルを助けてくれてありがとう」
あまり表情を変えない店主は、それでも二人に頭を下げた。
「あら、あなた、知ってる子なの?」
「ベルティア祭の時に来てくれたんだ、ふたりとも」
ルシエルは、口角を持ち上げ再び会釈をした。
「さあ、座って。今、温かい紅茶を持ってくるわ。ルル、おいで」
黒猫のルルは、呼ばれてもルシエルのそばから離れようとせず、
ちゃっかり膝の上で丸くなり、小さく喉を鳴らした。
しばらく二人でルルを撫でていたら、店の奥から、紙をめくる音がした。
──その音に、ルシエルはわずかに顔を上げた。




