4-9 激情
エバンは手を縛られ、壁に吊るされた。
「おい、おかしなマネすんなよ? 向こうの二人がどうなっても知らねえぞ?」
赤毛の男、ローウェン・アッシュは唇を歪ませながらロープの縛り具合を確認している。
エバンは必死でロープを解こうともがいているが、宙に浮かされどうにもならない。
ローウェンはゆっくりと後方に下がり、片目でエバンに照準を定めた。
ポケットに入れていた手をゆっくりと出し、親指を弾く。
同時にエバンのうめき声が静寂を切り裂き、足元に小石がひとつ、乾いた音を立てて転がった。
ローウェンが親指を弾くたびにエバンの顔が歪んでいく。
口の端から血が滲む。
目に見えぬ速さで弾かれた石はことごとくエバンの急所に命中している。
苦悶の声が届くたびにハンナとシャーロットは小さく悲鳴をあげ、肩をビクンと振るわせた。
「あんたの仲間かも……けど……オイラの姉ちゃんの、大事なネックレスだったんだ……。
あれがないと──あれが……」
「あ? 聞こえねえよ。それにお前の言い分なんかどうでもいいんだよ」
エバンのシャツは破け、血に染まり、首が下を向いた。
呼吸が荒い。
それでも激痛に耐え、唇を噛み、必死に声を殺している。
「──エバン」
ルシエルは動きを封じられ、何もできずただ見ていることしか出来ない。
なんとかしなければ。
けど、恐怖に支配され、震え、歯は鳴り止まない。
「おい、ローウェン、こいつ、もうビビってるぜ。クックックッ」
上に乗る男がルシエルの髪をつかみ持ち上げた。
「やめてください。お願いですから、もう、やめてください。あなたの大事な仲間を傷つけたのは謝りますから」
ローウェンは、ゆっくりとルシエルに歩み寄り腰を下ろした。
そして、粘着質な笑みを浮かべながら手のひらに乗せている石をルシエルの口へ、いくつもねじ込んだ。
髪を掴み、一気に地面へと叩きつける。
──ッ
ルシエルは目の前が真っ暗になった。
激痛で意識が薄れていく。しかし、再び激痛により意識を呼び戻される。
「謝るって言ってもなぁ、もういねえんだよ」
──(……)
「お前達のせいで退学だよ。た・い・が・く!」
奥歯が折れた。切れた痛み、様々な痛みがごちゃ混ぜになって涙が止まらない。
「あ、謝る必要なんか、ないからな、ルーシー。姉ちゃんの、命に関わることだったんだ」
ローウェンは目を細め、腕を振り下ろした。
「うああああああ!」
「ギャーギャーうるせえな。おい、あいつを黙らせろよ」
ローウェンの投げた刃物が、エバンの足に刺さり、エバンは顔を歪め、足元に水溜まりを作った。
「きったねー。こいつ、漏らしやがった」
近くにいた男は笑いながらエバンの腹を蹴り上げた。
「なぁ、なんであの女たちをここに連れて来てるか分かるか? お前達ばかり痛い思いをするんじゃ可哀想だもんなぁ。
色々と見てみたいだろ?」
ローウェンは井戸の方へと足を向けた。
「や、やめて。お願いですから。僕はどうなってもいいです。だから、二人は、二人には何も、手を、出さないでください」
二人の隣にいた大男が、シャーロットの腕を捕まえ、無理やり持ち上げた。
「いやぁぁぁ、やめて」
「シャル!」
エバンが顔をぐちゃぐちゃにしながら叫び、何とか縛られた縄を解こうと足掻いている。
「そういや、お前、さっき選ばれてたよなぁ? いま、どんな気分だ?」
ローウェンが手を伸ばす。ハンナは震えながら下を向く。
胸元のバラの飾りに手をかけ、引きちぎり、地面に捨てた。そして、ハンナの顎を掴み、乱暴に持ち上げる。
「やめろ! やめろー!」
その時、ルシエルの中で「最後の何か」が静かに切れた。
──もう、どうでもいい。
内側から湧き立つ青白い感情。
先程までの震えは止まり、全身の血液が騒ぎ立つ。
ゆっくり手を地面につき、身体を持ち上げると、
馬乗りの男はバランスを崩して地面に尻餅をつき、慌てて立ちあがろうとした。
が、手が地面から離れない。
見ると、男の腕は肘まで凍りついていた。
ルシエルの周りには冷気が漂い、
一歩、二歩と歩くその足元は、音を立てて凍てつき、白い靄が漂う。
「ふたりから手を離せ。やめろって言ってるだろ」
「フッ、女の前では随分と威勢がいいな。知ってるんだぜ、お前のこと。お前の親父のこともな」
足を止めなかった。
ゆっくり、一歩ずつ近づく。
ローウェンは空気を裂き、風の刃を放った。
ルシエルは避けることなく胸に受けた。
服は裂け、鮮血が飛び散る。
それでも決して止まることはなかった。
「お前、『悪魔の子』って呼ばれてたんだろ? いいんだぜ、ここでバラしても」
「それがどうした。僕はその子から手を離せって言っているんだ」
ルシエルの目は瞬きもせず、ローウェンだけを見据えている。
「お、おい、それ以上近づいたらこの女どうなっても知らねえぞ」
やや狼狽したローウェンは腰に忍ばせていた刃物をハンナの喉元にピタリとつけた。
「ハンナを傷つけてみろ、お前の腕ごと消してやる」
近づくルシエルに、ローウェンは持っていた刃物を振り下ろした。
ハンナは目を閉じ、肩をこわばらせる。
鈍い音だけが響き、静寂に包まれる。
そして、ゆっくりと目を開けた。
刃物はルシエルの腕に刺さり、刃は腕を貫通していた。
「──いやぁぁぁぁ」
ハンナの顔は青ざめ、涙で顔を濡らしている。
ルシエルは表情を動かさないまま、ローウェンの手首を掴んだ。
その手から放出される冷気は、手首を伝い腕をゆっくりと凍らせている。
慌てて離れた瞬間、ローウェンの口を手で塞いぐ。
そして、小さく詠唱をし、手のひらから、水を放出させた。
ゴホッ、ゴホッと、むせ返るローウェン。
手足をバタつかせて苦悶の表情を浮かべている。
ルシエルは表情ひとつ変えない。
「これ以上、僕らに近づかないと、約束してもらえますか? 出来ないのなら、この水、今すぐ凍らせてもいいんですよ?
体内に入った水が凍ったらどうなるか、想像つきますよね?」
ローウェンを押さえつけている手から光が生まれ、口の中へと流れこんでいる。
それを見ていた大男がシャーロットの腕を離し、ルシエルに向かって突進する。
ルシエルは、抑揚のない声で、「大いなる水よ、包め」と、男の顔の前で手をかざした。
手のひらがぼんやりと光り、そこに球体の水が生まれ、男の頭を包み込んだ。
ゴボゴボと咳き込みながら、みるみるうちに顔色が変わる。
喉を掻きむしり、地面にのたうち回る。
水は、ルシエルの一言で霧散し、男の目つきが怯えたものへと変貌した。
「もう一度、聞きます。これ以上僕たちに関わらないでもらえますか」
ローウェンの口の周りが凍り始め、目に恐怖の色を浮かべている。
膝をつき、ルシエルの腕に爪を立てる。
その指は冷たく、霜が付着していた。
首を縦には振らないローウェンに対して、ルシエルはさらに詠唱を唱えた。
──その瞬間だった。
「そこまでだ。ルシエル・バートン」
背後から腕を掴まれたところで水は止まり、冷気も薄れていった。
振り返ると、その手は、騎士科教師、アーサー・ヴァリスのものだった。




