4-6 ポップ大作戦
「悪いな、ノエル。俺、ちょっと行ってくるわ」
「お、俺も、行ってくる。お前も誰かいるなら誘ってこいよ」
「お、おい。お前たちまで……」
ノエル・フロストの友人、アベルとエイドリアンはバツが悪そうにノエルから離れた。
ノエルは手に持つグラスを震わせながら会場を傍観している。
——(クレイリッジくん、凄かったな。まさか選ばれるなんて)
ノエルは頭の中で、ハンナの隣に立ち、手を取った。ゆっくりとステップを踏み、ターンを繰り返す。華麗な舞に釘付けとなり、ノエルは悦に浸る。
──!
そのとき、一番見たくないものが見えてしまった。
舞踏場と化した会場の奥に、ハンナ・クレイリッジが誰かと踊っている。
ノエルはそこから目が離せなくなり、首筋がひんやりとした。
そして、それははっきりとした憎悪へと変わった。
ハンナの隣には一番見たくなかった相手がいたから。
「──そんなに肩をいからせたって無駄よ。ハンナは諦めなさい」
ノエルは背筋が粟立った。
全身を寒気が襲い、ゆっくり振り返ると、
そこには真っ赤なドレスを着たメルバ・ベルローズがいた。
「あんた、いつもハンナのこと影から見てたでしょ? 知ってるんだからね」
「い、いや、僕は別に……」
「大丈夫よ。誰にも言ったりしないから。私もルシエルが良かったんだけどさ。
ハンナの前であんな顔をしているのを見ちゃったら……。あんたも分かるでしょ?」
「……。」
ノエルは手元のグラスを見つめた。小さな泡がグラスの縁に現れて、そっと弾ける。
「なんか、お互い辛いわね。でも、ハンナは私の親友なの。だからあの子を傷つけない。
そう決めたの。けど、このまま見ているのは……。
──ねえ、ちょっと私に付き合わない? せっかくの後夜祭なんだから楽しまないと、でしょ?」
メルバは口角を持ち上げ、ノエルにそっと手を差し出した。
ノエルはハンナの煌めいている笑顔を一瞥し、目を閉じた。
──(僕は何をやっているんだ。いや、何もしていないのか……。)
グラスの中身を飲み干し、眼鏡の位置を直し、
そして、震えながらメルバの手に重ねた。
「ありがとう。よ、よろしく、お願いします」
* * * * *
エレシア・ブリットはボーイフレンドと踊っている。が、その表情は硬い。
「なぁ、そんな顔しないでくれよ。なんか惨めになるじゃないか」
「分かってるわよ。けど……、けど」
エレシアの視線の先にはハンナ・クレイリッジがいる。
──(何よ、その顔。さぞ満足でしょうね)
「ねえ、ちょっといい事、思いついちゃった」
そっと耳打ちをし、唇を歪めた。
エレシアは曲に合わせながら直線的にステップを踏み、視界にハンナを収めた。
──(見ていなさい。今からアンタに大恥かかせてやるんだから)
ステップの幅を大きくし、背後を常に気にしているエレシア。
徐々に近づき、足をかけようとタイミングを見計らっている。
「お、おい。やめようぜ。あの子は何も悪くないじゃないか。せっかくの後夜祭なんだから、楽しもうぜ」
「何言ってんのよ。楽しめるわけないじゃない。分かってるの? あんな田舎者に負けたのよ? この私が」
エレシアは鼻息も荒く、まくしたてる。
よし、あと少しだ──そう思い、足を差し出しかけた、その瞬間。
背中に強い衝撃が走った。
思わず目を閉じたエレシアは尻に痛みを覚えた。
──ッ。
目の奥で細かな光が飛んでいる。ゆっくりと目を開けると石造りの天井が見えた。
体勢を整えようと床に手をついた時、何かに当たった。
「いててて」
「ちょっと、大丈夫?」
「うん。あれ? 僕の眼鏡……」
一方的な方向しか見ていなかったエレシアは、反対側にいたノエルと衝突してしまった。
腰に痛みを覚えながら、違和感のある方の手をそっと持ち上げた。
そこには柄の曲がってしまった眼鏡。
「あ、ごめんなさい。どうしよう……」
「だから、やめようって言ったんだぞ。何やってるんだよ」
エレシアとボーイフレンドは対照的な態度で話している。
「あ、眼鏡……、曲がっちゃってるじゃない。ノエルの眼鏡、よね?」
「うん、けどたぶん大丈夫。レンズが割れた訳ではないし、曲がっているのは直せると思うから」
エレシアに頭を下げたノエルは、曲がってしまった柄をゆっくり元に戻そうとした。
しかし、その柄は無常にも、二つに折れてしまった。
──「「あ」」
「あ、なんか、ごめん。嫌な空気にしてしまったね」
ノエルは静かに立ち、皆に頭を下げ、その場から背を向けて歩き出そうとした。
──(僕はいつもこうだ。僕だけが……)
ノエルは背中を丸め、足元を見たとき、──腕を引かれた。バランスを崩し、倒れそうになった身体はメルバの腕の中に収められた。
「ちょっと、何処いくのよ? 私までひとりにするつもり?」
「あ、ごめん。けど……」
「ちょっと──嘘でしょ? あなた」
──?
メルバは目を広げて、ノエルを見つめている。頬は赤く染まり、手は小刻みに震えている。
「えっと、あのぉ。ベルローズさん?」
「ノエル、あなた。すっっっごく、いい男じゃない。眼鏡しないとそんなに変わるの?」
「はぁ。眼鏡は、自分を守る盾みたいなもので、かけなくても一応は見えているんだけど」
「えー! そうなのぉ? あなた、断然その方がいいわよぉ」
ノエルは目を泳がせて、頭をかいた。
そして、メルバにリードされるかたちでエレシアたちから離れ、ワルツの続きを踊った。
* * * * *
後夜祭委員の生徒から、ダンスの時はワルツを演奏してほしいと頼まれていた教師、フェリシア・ロウラインは、
ゆったりとしたテンポで大人びた曲を選び演奏していた。
それに合わせて学年主任のエドモンド・グレイサンのウッドベース、宮廷文化科の教師、ブライトン・アーレンによるバイオリンで
甘く、切ない音色を奏でている。
──(そろそろ、頃合いかしら?)
フェリシア先生は両演奏者と目配せをした。
静かに演奏を終え、最後の和音が会場内に余韻を残す。そして、生徒や教師から拍手の渦。
ここで、演奏者達は立ち上がり礼をする──はずだった。
しかし、フェリシア先生は再度鍵盤に向かい合い、力強く和音を打ち鳴らした。
これには生徒も教師も、何事かと目を丸くしている。
グレイサン先生の刻むリズムは皆を誘うように強く、早く。ブライトン先生の軽快な音色が、弾むように聴く者の身体の奥へと溶け込んでゆく。
──(あなた達は、若いんだもの。もっと激しく、情熱的にならなくっちゃ)
先ほどまでとは真逆の軽快なリズムに、床を踏み鳴らす足音が重なっていく。
ルシエルもハンナも、エバンやシャーロットも合流し、
遠くにいたメルバと、見慣れない好青年も合流する。──それがノエルだと知り、一同は驚いた。
誰もが笑っていた。
声を上げ、息を弾ませ、額に浮かんだ汗を気にもせずに。
そして、エバンの姉、アイリスも溢れんばかりの笑顔で騎士科のオーウェン・ベルハートと激しいステップを繰り広げていた。
今、この会場に隔たりはない。
ハイラード校長も、いつも難しい顔をしているフィンレスト教頭も、リズムに合わせて身体が跳ねている。
先ほどまで顔をこわばらせていたエレシアも笑みが溢れている。
今宵の後夜祭は、生徒だけでなく教師によるサプライズで盛大に盛り上がり、長い夜は、深い余韻を残したまま幕を閉じた。




