2-10 世界の音を、君はまだ知らない
カーテンの隙間から差し込む光が部屋の温度を上げる。
慣れているはずのネクタイを、もう一度結び直す。
ルシエルは写真立てを持ち上げそっと目を閉じた。
エバンに全てを打ち明けた日、
彼は最後まで何も言わず聞いてくれた。
──話せてよかった。
とルシエルは素直にそう思う。
エバンは「親友がいない」と言っていたが、
──(それは僕も同じだ)
持っていた写真立てをギュッと握り、
力を込めた目で見つめた。
──(僕はひとりじゃない。……よね?)
今まで誰かに頼ることが出来なかった。
話せば、遠ざかる気がしていた。
けど、エバンは全てを受け入れてくれ、
それでもルシエルのことを友達だと言ってくれた。
ハンナやメルバもいる。
寮の下で待っていてくれた日、目を腫らした顔を見たハンナが
「よかったね」と言った。
ルシエルはあの時、ハンナの言う意味が分からなかったが、
今はその意味が分かる。
──(うん、よかった。頼れる友人がいて、
大切にしたい友人がいて、本当によかった)
静養してからクラスメイトに会うのは、
しばらく振りで少し気恥ずかしい。
エバンとハンナとメルバが、
寮の前まで迎えに行くと言ったが、
エバンが同じ寮の騎士科の先輩、オーウェン・ベルハートと
鉢合わせしたら、「俺と組手をしろ!」と、
面倒なことになりかねない。
だから旧庭園で待ち合わせにした。
机の上の鞄に手をかけた時、
引き出しから紙が飛び出ていることに気がついた。
先日、エバンが来てくれた時に無理やり押し込んだ手紙だ。
はみ出ている便箋の角を摘みそっと引っ張り出すと、
微かに耳鳴りがした。
眉根を寄せ片方の手で耳たぶを触りながら便箋を引き抜いた。
父の研究所で働いていたクリストフからの感情の抜け落ちた文。
──(結局、クリストフは何が言いたかったんだろう?)
研究所に行くと、いつも相手をしてくれて、気にかけてくれてた。
そんな人の書く文章ではない。
だからこそ、何故あんなよそよそしい手紙を、
わざわざ送ってきたのかが分からない。
ルシエルはもう一度声に出して読んだ。
ほがらかに晴れ渡る空の元、新学年になられ清々しい学園生活をお送りしているここと存じます。
うわむきに歩くあなたの姿にきっとお母様もお喜びでしょう。
こちらは、研究所を離れ皆、保護観察の元で新しい生活を送っていますが、
くやむことは何もございません。
しずかな森で暮らす生活もいいものですね。
ただ、買い物などは街まででないといけないのがやや難点ですが、贅沢は言えませんね。
しっかり者のルシエル様、どうぞ実りある日々をお過ごしください
──!
便箋を持つ手につい力が入り、
総毛立ち、脳が痺れた。
──これって。
改めて読み返す。
──違う。
これは、ただの手紙じゃない。
──そういうことか。
ルシエルは武者震いが止まらない。
──(報告……か)
検閲をすり抜けるために書いた手紙。
クリストフは何かを知っている。
ルシエルは思考を巡らせるが、今のルシエルには見当もつかず。
また、自分で調べようにもその手立てがない。
だから今はじっと待つことにする。
ルシエルは、はやる気持ちを胸にしまい込み、軽く頬を叩き部屋を後にした。
* * * * *
机の上には複数枚の紙が乱雑に置かれており、
『静謐感知における報告書』と記された用紙も見えている。
その中の一枚を手に取り、椅子に腰かける。
ギーっときしむ音が部屋の空気を変えた。
──(やはり思っていた通りだ)
上着のポケットから小さな鍵を取り出し、
机の引き出しの穴へと差し込みゆっくりと回す。
幾何学模様で施されたファイルに手を取り、その一枚を綴じた。
机に散らかっている用紙は全て、暖炉に投げ入れ火をつける。
火は紙を蝕むように広がり、やがてそれは炎となって、黒い笑みを、浮かび上がらせた。
──(確実に行わなければ)
開いていたファイルをパタリと綴じ、机の上に置く。
遮光カーテンを開けると月灯りが差し込む。
今宵は満月。
冷たい輝きが机上ファイルの表紙に記された文字を、
ぼんやりと浮かび上がらせている。
『ルシエル・バートン』 と。
これで2章はおしまいになります。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
やや重めの章になりましたが、
3章は新キャラクターの登場、クラス対抗戦でルシエルやエバン、
ハンナにメルバの奮闘するシーンが多数あります。
お気軽に読んで頂けたら嬉しいです。
評価やリアクションなども頂けたら励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。
此崎りつ




