表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/38

2-8 バランバランと崩れる音

試験は、唐突に終わった。


沈黙の結界は、何事もなかったかのように解除され、

白一色だった空間は跡形もなく消え去った。

そして、そこに立っていたのは、ルシエルだけ。

顔色はひどく悪く、焦点の合わない目は、まだどこか別の場所を見ている。

足元はおぼつき、教師に肩を支えられてようやく立っている状態だった。


周囲の生徒たちは、誰一人として声をかけなかった。否、かけられなかった。

心配そうな視線は向けるが、すぐに逸らしてしまう。

まるで、触れてはいけないものを見るかのように。


「……本日の試験は中止とします」


試験官の淡々とした声が、響き渡る。


*  *  *  *  *


「ルシエル・バートン、入室してください」


ルシエルはおぼつかない足取りで結界内に入る。

──やるしかない

そう自分に言い聞かせた。


結界内では魔力探知の類いの魔術は通用しない。

ルシエルは聞こえるはずのない音が頭の奥の方に感じ、

それが全身へと伝わってくるのを実感した。


──(これ、信じていいのか?)


半信半疑で違和感のある方角へ足を向けると、

高い音域の混じりけのない綺麗な音色がルシエルの筋肉を動かし

一歩また一歩とそちらへ歩みを寄せる。

理由もわからないまま、身体が引き寄せられていく。

抗おうとしても、足が止まらない。

このところ、何か違和感を感じる前は必ず音を感じている。

その正体は不明だが、確かに何かが起こる。良くも悪くもだ。

最初は勘が冴えているのだろうとばかり思っていたが、

そう何度も当たるのはさすがに無理がある。

この試験ではそれを確かめる事が出来るかもしれない。

その利用方法を考えるべく思考を巡らせると、

今まで体験したことのない感覚になっていることに気がついた。

足裏の感触も薄れ、宙を歩いているのか、それとも落ちているのか。

平衡感覚は完全に失われ、

ルシエルは自分の身に何が起こっているのか理解が追いつかなくなってきた。

酷い船酔いのような嘔吐感を覚え、胃の中を掻き回されている。

景色は何も変わらないが回っている感覚が正常な神経を削ぎ落としてゆく。

とめどなく続くそれに、視界は外側から円状に暗くなっていった。

意識を保つことが困難になってきている。

奥歯を強く噛んでみるが、視界はぼんやりと黒く染まりはじめていた。

 

どれくらいの時間が経過したのだろう?

先程までの不快感は消え、ルシエルは地に立つ感覚が戻り、

冷たい地の感触が足裏に伝わった。

ドンドンと響く音で我に返った。

大声が聞こえる。

さらにそれらの音を掻き消すほどのガシャーンという激しい音に、

身体をビクンとさせ目を見開いた。

いくつもの石がガラスを割る冷たく耳をつん裂く音。

背中が粟だつのを感じたルシエルは思わず壁の方に走り、

あることに気がついた。


ここはかつてルシエル達が住んでいた家だ。

何故今かつての家にいるのだろう?

試験を受けている最中ではないかと試験官を探すと、

部屋の光が届かない場所に人影らしきものが見えた。

近くまで寄ったところで声をかけようと思ったルシエルはその声を飲み込んだ。

そこには恐怖で怯えている妹のロザリーと耳を塞ぐルシエル。

そして、二人を抱き抱える母の姿がある。


状況が追いつかない。

ただ──危険だけは、はっきりと分かった。

──ここから早く逃げないと。

ルシエルはこの後に起こることを知っている。

母の元へ駆け寄りたいのだが、これ以上足が動かない。

とにかくこの場を離れるよう何とかしなければ。


「逃げて!」


そう口にするものの、出るのは吐息だけ。

外からは罵声が聞こえ、

家の中は投石によってめちゃくちゃにされている。


「母さん!ロザリー!早く逃げて!」


どんなに大きな声を出し、叫んでも届かない。

母の顔は悲痛で歪んでいる。

ルシエルは胸が張り裂けそうで、もうこれ以上は見ていられない。

目を閉じても瞼の裏に鮮明に映し出される。


──やめてくれ。


震えの止まらない両手で顔を覆い懇願した。

頭の中で様々な音が、ルシエルの正気を少しずつ蝕む。

あの時聞いた罵声と怒号、憎しみと怒りしかない言葉たち。

それらが一斉に負の感情となりねじ伏せてくる。


──お願いだから、もう。


母達がうずくまっている傍に突然父が現れた。

その顔は喪失感で埋め尽くされ、目はガラス玉のように色が抜け落ちている。

そしてその首には、縄がかかっていた。


──父さん? 何してるんだよ? 母さんが、母さんが、


手を伸ばすも届かず、やがて全てが霧に包まれ、

ルシエルの意識も靄と共に薄れていった。



*  *  *  *  *


 試験官のフェリシア・ロウラインは淡々と報告書に事実を書き込んでいた。

沈黙の結界内では稀に己の抱えている闇の部分が露呈してしまうことがある。

中でも感受性の高いものは影響を受けやすい。

恐らくはルシエル・バートンに関してはそれだったのだろう。

教師に抱えられその場を後にする姿がフェリシアの瞳に入り込んできた。

目はうつろで、不規則に揺れている。

全身の血の巡りが止まってしまったように顔面蒼白となり、

言葉にならない何かを呟いている。

フェリシアは報告書にその旨も記載し目を閉じる。

出来ることならば、生徒のあんな姿は見たくない。

眉根を寄せ、フーっと息を吐きペンを置いた。


その日の夕方、緊急職員会議が行われ、

翌朝生徒たちには全ての実技試験の中止が言い渡された。

そして、代替として基礎魔術理論の筆記試験が実施されることとなった。


*  *  *  *  *


 ルシエルはやはりしばらく静養が必要と診断された。

寮の自室での学習となり、朝夕に養護教諭のイゾルデ・フロステルが問診をする。

実技試験を終えた生徒たちは控室にいたため、試験中止の理由を知らない。

数名の目撃から、噂は瞬く間に広がった。


──ルシエルが壊れた。


よからぬ噂をする者にエバンは自分の感情を抑えることが出来ず飛びかかってしまった。

騎士科の教師アーチャー・ヴァリスが止めに入り事なきを得たものの、クラス内を一層重たい空気が支配した。


エバンはルシエルに会えないことがよほど堪えている。

昼食もほとんど食べていないのをメルバとハンナは目撃していた。

放課後、メルバとハンナの提案でエバンは、

養護教諭のイゾルデのところへ赴いた。


「週明けには復帰させるつもりだったから構わないのだけれど、無理はさせちゃダメよ」


釘を刺されたエバンは首を何度も縦に振り、

医務室の前で不安げな顔をして待つメルバとハンナに親指を立てた。

ルシエルのいる寮に入るエバン。


「無理矢理引っ張ってきたらダメだよ?」


ハンナにまで釘を刺され、歯を輝かせながら手で大きく丸を作っている。


エバンの姿が見えなくなってから、ハンナとメルバは手を握り静かに時を待った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ